connected world

神山蓮

第1話

春の盛りも過ぎた5月中旬。時々夏のような暑さを感じるこの頃、まだ冷房が効かないフロアで私はいつも通り仕事をこなす。


藤田鈴、27歳。田舎にあるこじんまりとした診療所で医療事務をしている。大学生の頃になんとなく取得した医療事務の資格を活かして、3年前から今の診療所で働いている。消毒液のような病院特有のにおいにもすっかり慣れ、よく来院するお年寄りの顔と名前はすっかり覚えた。医療機関とはいえ、やはり接客業。たくさんの人と話をする。最近あった出来事、家族の話、噂話。おかげで退屈する暇がないのは、大変でもあるけれど、楽しい。仕事はほかに、保険者の管理や経理などいろいろあるが、私にとっては丁度良い仕事量だと思う。


時刻は夕方の5時48分。診療の受付時間も終わったので、私は片付けの作業にはいっていた。この時間になれば、そんなにバタつくこともない。できるだけ定時で帰れるように努めている私は、片付けのスピードだけならこの診療所で一番早いのではないかと思う。

受付の周りをくまなくチェックして、待合室やお手洗いの掃除を終えると、時計の針は6時を回っていた。私と一緒に受付に入っていた事務の先輩、塚原森子さん、通称モリさんに声をかける。


「何か他にやっておきましょうか?」


「今日はもう大丈夫かな、帰ろっか」


 29歳と年齢の近いモリさんがテキパキと判断をする。2歳しか変わらないのに、しっかりしていて優しい。仕事も人柄も尊敬できる先輩だ。


「お疲れ様でした~!」


モリさんと一緒に診療室の奥まで聞こえる声を出す。看護師さんたちが軽く返事をしたので、ロッカーへと向かった。他愛もない話をしながら制服から私服へ着替えていると、ブブッとスマホが震えた。ちらりと画面を見ると友人たちとのグループLINEだった。


「ご報告!このたび結婚しました!」


待ち受けのままでもわかる幸せそうな一行がすっと目に入ってくる。少し目が痛い。最近は結婚ラッシュだから驚きもしないけれど、とりあえず、会社を出たら返信をしようとう思い、スマホの画面をそっと伏せると、立て続けにスマホが震えだした。きっとグループのみんなからの祝福の返信が来ているのだと思う。グループと言っても5人しかいないのだけれど、これくらいの時間なら、みんな仕事も終わって家にいるか終業くらいの時間。メッセージやらスタンプやらで返信が重なる音がする。


「藤田さん、スマホ鳴ってるよ?電話じゃない?」


「あ、すみません、たぶんLINEなので大丈夫です」


「LINE?にしては、ずっと鳴ってる気がするけど?」


「たぶんグループのやつなので。さっきグループの1人が結婚の報告をしてきて」


「あぁ、なるほど。そりゃそうなるわ。あれでしょ?おめでとうメッセージの嵐!」


「フフ、そうです。私も後で返信しようかなって思って」


「そっかそっか」


少しの間モリさんと結婚について話す。20代後半は、どうしたって結婚という文字がちらつくものだ。急ぐわけではないけれどと、どこか羨ましそうな気持ちが見え隠れする。その気持ちを隠す必要もないので、自然とそういう会話が続いた。そうしてひとしきり話し終えると、モリさんはまた自分の仕事に手を動かし始めた。モリさんはとてもフランクな人だ。空気も読めるし、いろんな話をできるが、私情には絶対に踏み込んでこない、楽な人である。そんなモリさんと話しをしながら帰り支度を済ませ、院内にいる人たちに再び軽く挨拶をして退勤。とりあえず、家に帰ったら録りだめていたテレビドラマを観ながらいろいろしよう。そんなことを考えながら家路へ着いた。


 ドラマを録画するのが私の趣味の一つだ。新しく始まったドラマすべてを観られるわけないのに、とりあえず録るようにしている。案の定1話も観ることなく3か月後にすべて消去してしまう作品もあるけれど、いつのまにか増えていくデータを眺めるのが好きなのだ。そして、一つずつデータを消していく作業もまた好きだ。いくら残業が少ない仕事だからといっても、やはり4月は忙しかった。私が手をつけない間に、結構な本数たまっていて、観るのが少し面倒なくらいだ。全く観ていなかったドラマのタイトルをスクロールしながら、どれにするか悩む。


「今回はサスペンスが多めって感じかなぁ・・・」


空気のような独り言をつぶやいて悩んだ結果、一番下にあったデータから観ることにした。悩んだ甲斐のない選び方にはなったが、選ばれたのは家族愛を語るホームドラマだった。とにかく観るものが決まればあとは良い。ドラマを流したまま、ご飯を作って、食べて、片付けて、ドラマが終われば続きを観る。ドラマに集中することはほとんどない。音楽を聴くような感覚でドラマを流すのだ。気づけば最初の作品は観終わってしまった。時間は10時過ぎようとしていた。観終わった分を消去して、次の作品を観ようとしたが、キリが良いのでお風呂に入ることにした。


お風呂に入りながら次に観る作品のことを考えた。


「次はサスペンスにしようかな。サスペンスの作品多かったし」


今日の選び方で行けばデータの下から2番目のものを観るのが順番として正しいと思うのだが、下から2番目の作品は恋愛ものだった。しかし、私は恋愛ドラマを観るのは極力さけている。理由は、なんというか、がっかりするからだ。胸が躍るようなシーンやロマンティックな展開。見ている最中は少なからず幸福感を楽しむことができる。しかし、物語が終われば私の心に現実が帰ってきて、現実は私に対して「お前は何をしている?」と語りかけてくるのだ。もちろんその声は幻聴なのだけれど。


 私には今恋人はいない。いたらもっとキラキラした生活をできるんじゃないかと思う。だから恋人が欲しいと思うことはあるが、欲しいと思ってできるものじゃないのが恋人。友人とは少し違う存在だろう。実際のところ、私はただなんとなく「恋人がいればいいなぁ」と思っているくらいなので、そこまで深刻に恋愛に向き合っているわけではない。そんなことを考えていると、そういえば、友人が結婚の報告をしてきてくれたことを思い出した。あとで返事をしようと思っていたのに、まだ返信をできていなかったことに、タイミングを逃してしまったなぁと渋い顔をする。ああいう返信は、できるだけ早い方が良いに決まっている。でも、ここ数年それが億劫になっていた。恋愛ドラマと一緒で、自分にがっかりするからだ。


自分にがっかりするのは、誰もが知っている感情で、恐らく嫉妬なのだろうと思う。「私だって誰かと幸せになりたい」、「なぜ私は幸せになれないのか」、「私の何がいけないのか」。そんな負の感情が自分の心を取り巻く。そして、一通り妬んだ後、次は自分の狭量に後悔することになる。ここ数年、この報われない負のスパイラルから抜け出せないでいる私は、きっと、以前付き合っていた恋人とのことが忘れらないのだと思う。元恋人のことを思い出すのはあまり気乗りしないので、一瞬よぎった彼のことはシャンプーと一緒に流してしまおうと、頭からシャワーを浴びた。ただ、あえて言うなら、よりを戻したい、もう一度会いたいとは思わない。むしろ二度と顔を会わせたくないくらいで引きずっていないつもりだが、時に人は、自分が思っている以上に心の傷が深いことがあるのかもしれない。


以前の恋人と別れて2年が経ったが、それから恋愛はしていない。彼との別れのせいにしたくはないのだけれど、元恋人との別れと同時に、いつのまにか大好きだったドラマでも恋愛ものを受け付けなくなって、だんだん観ることがなくなった。それなのにとりあえず録画はしてしまう自分の未練がましさは何と言ったら良いかわからない。はぁっとため息をつきながら、ブクブクと湯船に頭を鎮めた。


お風呂から上がると、とりあえず友人への返信をしようと決心する。「寝てしまって遅くなった」とでも言って祝福しようと作戦をたてた。少し返事が遅れた分、できるだけ丁寧に、長文になるようにしてメッセージを送った。これだけしっかり言葉を並べれば問題ないだろうという分量を送信しスマホから手を放した瞬間、「ポン」という音が鳴った。それは、メッセージを送る音だ。しかし不思議である。私はもう何も送っていないはず。なのに、確実に私から送信された音がしたのだ。おかしいなと思い画面と確認してみると、自分が送った記憶のない「おめでとう」という可愛らしいスタンプが私自身から送信されていた。自分の意図しない形でメッセージが送られていたのだ。


「私、何も送ってないよね?スタンプ送るつもりもなかったし・・・手が、滑った?」


 そもそも私はあまりスタンプや絵文字などの装飾は送らないタイプで、使うときは本当に稀なのだけれど、今回はとりあえずスタンプを送らなくて良いくらいの言葉を送ったつもりだったので、送らないつもりだったのだ。少し不思議な感覚になった。すると、たくさんの返信が来た。


「鈴、返事遅~い(笑)でもスタンプ送るとか珍しいね!」


「鈴がスタンプ!?」


「鈴、ありがとう!鈴からおめでとうスタンプをもらえる日が来るとは・・・幸せになります(*^_^*)」


「私の結婚のときもそのスタンプ送ってね~」


 私、どれくらいみんなにスタンプを送っていなかったんだろう。そこまで私の誤スタンプに反応がくるとは思っていなかった驚きと同時に、もう少し普段から装飾した文章を送ろうと反省した。けれど、悪い気分ではなかった。友人たちの笑顔がスマホの向こう側に見えたように思えて、うずくまっていた気持ちが晴れた気がした。優しい気持ちを抱きながら眠りについた。


次の日。一日の仕事を済ませ、無事帰宅。いつもどおりと言いたいが、昨日のできごとが自分でもよほど嬉しかったのか、今日は一日穏やかな気分だった。友人たちとの騒がしかったやりとりもすでに落ち着いていて、ゆったりとした時間が流れる。今日も昨日に引き続き、趣味のドラマ鑑賞をしよう。せっかく幸せになった友人のことを思い、なんとなく今日は恋愛ドラマを観てみようかなという気持ちになった。先にお風呂を済ませ、ご飯をつくりながら物語をなぞる。


内容は新人ブライダルプランナーの物語のようだ。新人らしい張り切った姿、時に衝突や挫折、苦労を抱えながらもいろんな幸せを見送る様子は、誰かが作ったストーリーだとしてもどこか共感できるものだった。そしてお決まりの恋の予感も十分にじみ出ていた。つかず離れず。もどかしい空気が物語に寄り添っていた。いろんな気持ちが揺れ動き、確実に進んでいくドラマ。しかし、録りだめていたものを観きったころには、相も変わらず置いてけぼりをくらったような寂しさが私の心に残った。


「寝よう」


そう小さく呟いて、寝る支度を始めた。どうしてこんな気持ちになるのか整理できないけれど、やはり見なければよかったと思い、テレビのリモコンを手にしてスイッチを押した。しかし、


「あれ?」


テレビが切れない。スイッチを2、3回押したが消えない。動揺して違うスイッチを押しているのかと思って手元を確認したが、スイッチは間違っていなかった。電池切れ?

「えい!えい!」と小さく声に出して何度か押したら、やっとテレビが静かになった。電池が切れたのかもしれないと新しい電池に入れ替えつつ、テレビに自分の心の狭さを指摘されたような気がして余計に凹んだ。


どっと疲れが押し寄せてきたので、歯を磨き、わずかな自己嫌悪に陥りつつ静かにベッドに向かって電気を消した。こんな淀んだ気持ちで眠りにつくのはいただけないが、今日はとりあえずもう何も考えたくない。深呼吸をしながら無理やり眠ろうと思った。


「え?もう寝るの?」


枕元で誰かが言った。少年のような声だ。けれど、1人暮らしのこの家に少年がいるはずもない。あぁ、夢か。案外簡単に眠れるものなんだな。


「あれ?マジ?おーい!おーい!」


明らかに私を起こそうとする声がする。耳元で少年の声だ。


「ねぇ、まだ起きてるんでしょ?目ぇ開けてよ。」


いやいやいや。起きているけれど、目を開けてと言われてここで瞼を持ち上げる勇気はさすがに私にはない。不法侵入?幻覚?どちらにしたってホラーな状況なのだ。幸いまだ夜は寒い。薄い毛布を掛けているから体の震えはバレないだろう。もはやバレないでと願うしかない。


「なんで起きないんだよー。起きてるだろー?」


起きていることがばれている恐怖に心臓をバクバクさせならが、それでも私は寝たふりを続ける。もう目を瞑ったまま動かないことしかできない。まさに睨まれたカエルの気持ちだ。睨まれているかどうかはわからないけれど。


「しょうがない。こうなったら強制的に起きてもらおうかな。えい。」


楽しげないたずらっぽい声がした瞬間、私の上瞼と下瞼が誰かの指によってパッと開かれた。


「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


と叫びたかったが、さすがに怖すぎて声にもならない。代わりに一瞬息が止まる。そして、確かに開かれた私の視界には、中学生くらいの少年が映ったのである。そして、少年と視線が鉢合わせになった。


「こんにちは!あぁ、この時間はこんばんは、かな。なかなか起きないから強硬手段を使っちゃったよ。ごめんごめん。」


謝るくらいなら狸寝入りの私を起こさないでほしい。そう言いたかったが、まだ恐怖からか声を出すことができない。


「ん?あ、そっか。急に知らない人が出てきたらびっくりしたよね。でもどうやって切り出すが悩んでいたら急に寝ようとしたもんだから、俺も焦っちゃってさ。許してよ。怖いことしないからさ。」


「こ・・・怖いこと、しなぃ人・・は、こここ、こんなじ・・・・かんに、人の・・・家に・・・来な・・ぃ・・・・です」


必死に思ったことを口にする。


「確かに、言われてみればそうか。でも、どちらかというと、俺は君に招かれたって感じなんだよね。だから、とりあえず電気をつけて話をしない?」


「あの・・・えっと・・・・・」


まだ恐怖は消えない。少年が言うように危害を加える雰囲気は微塵も感じないが、体がいう事をきかないし、何より心がガタガタと震えている。


「大丈夫だから」


少年が少年らしからぬ優しい笑顔でそう言った。なぜかその笑顔を見たとき、緊張がほぐれてふっと体が自由になった。そして、少年が言ったとおり電気を点け、少年と向かい合った。


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