第26話 先輩、就職する

暮井地辰夫(くれいじたつお、元ホームレス)


翌日、俺は職業安定所に行こうと思った。

南山によるとヘローワーク多血川という斡旋所が多血川にあるらしい。

電車で20分の距離だ。歩くと3時間くらいかかる。

金はないが時間はある。歩いて行こうかなと思っていたら南山がパソコンで大丈夫だと言った。

多血川まで行っても、そこにパソコンが置いてあって、それで就職口を探すことになるから同じらしい。

俺は南山の部屋でにパソコンを借りた。


児童指導員、病院内の定期清掃、警備員、看護師、調理師、訪問マッサージ


などの職業が並んでいる。

どうしても警備員に目がいってしまう。

だが、今の俺はよれよれだし、何かを守ることはできない。

現実的なことを言えば、多くの警備員の仕事は異常がないかをチェックし、あれば通報することだ。身辺警護でもなければ、何かを守ったり戦ったりしない。

だから老人でもできる。

だからと言って、俺が再び警備員の仕事に戻っていいのだろうか。

火事で亡くなった人たちに申し訳ないし、過去にすがるのも違う気がする。

ここは介護かマッサージのような誰かの世話をする仕事がいいだろう。


俺は南山にそう話したら


「先輩は昨日僕がやったマッサージできますか?はい、あの光るやつです。

え?できた。

光の色は?

色はないんですか。

それなら塩谷さんが必要としている人材です。

塩谷さんに連絡しましょう。

…面接したいそうです。

ヨガ教室に行ってください」


と言われた。

そういえば昨日集まった主婦たちもそんなことを言っていた。

俺は南山と駅に向かって歩き始めた。

ニセアカシア通りを抜けたところで南山が急に発作を起こして倒れた。

こいつ持病があったのか。

南山に肩を貸し、少し道を戻ると元気になった。


「やはりここまでか…いえ、病気じゃありません。僕はこの先には行けないんです。ここからは先輩が一人で行ってください。この先を左に折れてまっすぐです。そして…」


だいたいの道順を聞いて俺は一人で歩きだした。

南山はあの場所から先に行こうとすると発作が起こるらしい。

何の呪いだろう。


駅前商店街のなかに「ヨガ教室・ミナミン」はあった。

一階は店舗で、フルーツやジャムを売っている。

テーブルと椅子もあって、喫茶店としても使えるらしい。

テーブルのいくつかは「会員専用」というプレートが置いてある。

まだ開店前らしく、俺が入るとすぐに従業員がやってきた。

にこやかな女性だ。

面接に来たというと、二階に通された。


ここがヨガ教室らしい。床はマットが敷いてある。

そこで白い作務衣を着た三人の中年女性たちが座禅を組んで瞑想をしていた。

おれは彼女たちの前に正座して挨拶した。

彼女たちも自己紹介した。

塩谷、渡辺、太田、そして出迎えてくれた人が桂木という、全員古平団地の住人らしい。


「南山様の前職の先輩だそうですね。どういった経緯でいらっしゃったかお話をお聞かせ願えますか?」


座ったまま背筋を伸ばして静かに語るその姿は、すごく高貴な感じがする。

仙女みたいだ。

俺はここに至る過程を正直に話した。

火事のことも、自宅に幽霊がいることも。


「え、4の404ってマジで幽霊いるの?」


太田という女性が急に仙女から団地主婦になった。


「はい、和室にずっといます」


「ふええ~」


三人がひざを突き合わせ、俺の前でぼそぼそ相談し始めた。


「あいつヤバくない?」


「そういや公園でホームレス見たわ、あいつだったのね」


「でもコーチが世話になった人だし」


と声がもれ聞こえる。

やはり俺は歓迎されていないらしい。

店の雰囲気から場違いだと思ってはいたのだが。


そこへ桂木という、俺を出迎えてくれた女性がやってきて提案した。


「とにかく、うちは女性客が多いのでその髭とぼさぼさ頭とジャージは何とかしたほうがいいですねえー」


彼女の手には整髪剤とT字カミソリがあった。わざわざ買ってきてくれたらしい。

本当に申し訳ない。

俺は洗面所で髭をそり、桂木さんに髪を切ってもらった。

整髪剤で髪を整え、白い作務衣に着替えて、また三人の女性の前に立った。


塩谷「はうっ」


渡辺「おおふ」


太田「ひえっ」


女性たちが俺を見てのけぞった。そんなに見苦しいのだろうか。

彼女たちは部屋の隅まで移動して再び話し合っている。


「あいつヤバくない?」

「超ヤバい!」


俺は自分にがっかりした。

だがこんなことですぐにあきらめるのはよくない。俺なんかをもろ手を挙げて受け入れてくれる人が早々いるわけがない。

名優のロバート・デ・ニーロが芸術学校の卒業生たちに

「君たちは死ぬまで何度も『拒絶の門』をくぐり続けるだろう」

と言ったそうだ。

デ・ニーロみたいに偉くなっても拒絶されるらしい。

俺ごときが1回拒絶されたくらいでいちいちへこんでは、就活中の学生たちに笑われるだろう。

やる気をみせなければ。


「南山くんがやっていた光るマッサージは僕もできると思います」


「そ、そうですか。ではさっそく私にお願いします」

「あ、塩谷さん、ずるいですよ。ここは私に」

「ま、まちなよ。ジャンケンだろ」

「そう言いながら、なんで横になってるのよ」


三人はマッサージの被験者になるのを争っているようだ。

こんな情けない俺相手に、彼女らは面接官として真剣に取り組んでいる。俺も真剣になろう。

そこに桂木さんがいい香りのするジュースを持ってきた。


「これを飲むとウェーブヒールが出ますから、飲んでくださいねぇ」


桂木さんは俺にコップを渡してマットに横になる。

そうなのか?

俺はそのジュースを飲んだ。

さわやかな甘み。うまい。

どこからか音楽が聞こえる。

俺が大好きな演歌だ。

少し悲しいメロディーにもかかわらず心が浮き立つ。気分が乗ってきた。

俺は桂木さんの背中にぷるぷるする手を置いた。

おっとりした女性なのに鍛えられたいい筋肉だ。柔軟で強靭、しなやかと言うのだろう。

俺には筋肉の流れがわかった。

それに向かって手を這わせながら、俺は例のへろへろウェーブパンチを打つ。


「あへええええええ」


白い光がでて、桂木さんはおかしな声を出した。

だが苦しそうではない。気持ちよさそうだ。

お風呂に入った時うめく声に近い。

だからかまわず、俺はマッサージを続けた。


太田「ちょっと、ピンク!抜け駆けズルい!」


桂木「はああああああ」


塩谷「そんなに気持ちいいの?」


渡辺「ウェーブヒール、慣れてるでしょう?」


桂木「こおおおれえええはああ…」


1分もすると桂木さんはぐったりしてしまった。

マッサージの必要がない身体なのに、過剰にしてしまうというのもよくない気がする。あくまで面接なのだ。

横を見ると、塩谷さんたち三人もマットの上に川の字に寝ていた。

俺は一人ずつ順番に同じ作業をする。


「んほおおおおお」

「へああああああ」

「うふううううう」


やっぱり変な声を上げてぐったりした。


マッサージが終わると女性たちはよろよろと部屋の隅に行き、また密談を始めた。

ぼそ…

ぼそ…

ぼそ…


よく聞こえない

イタチがくれた赤い実を食えば聴覚が上がって会話が聞き取れるのだろうけど。

俺はドキドキしながら面接の結果を待った。



「わたし何回かいってしまいました」

「なんかあたし強くなった気がする」

「ちょ、マズイっしょ。あんなのを出したら主婦が集まって店パンクしちゃう」

「すごいイケメ…イケオヤジです。店に出さずに、あたしたちで独占しませんか」

「そっそれは…いい考えだけど、ビジネスとしては、、あり得ないわ」

「あのウェーブヒールは南山コーチ越えですよ」

「じゃ、雇う?」

「なに言ってるの、当然じゃない」

「ふふふ、出勤する楽しみが増えました」

「古平団地に住んでるんでしょう。一緒に出勤できますわ」

「…店外…出勤デート…ぐふふふふふ」



4人はこちらに来て


「ぜひ、うちのスタッフになってください」


と言ってくれた。

よかった。

今回は「拒絶の門」をくぐらずに済んだ。


「ホームレスからの社会復帰だとお金もなくて大変でしょう。はい、では給料の前払いで10万円をお渡しします。そのかわり他の仕事につかないでください。もうここのスタッフだから、決まりましたから」


俺のようなホームレス上がりを信用して10万もの大金を渡すなんて、この人たちはどれだけお人好しなんだろう。

全員、大金をもらって驚いている俺を見てニコニコしている。

俺はこの人たちの信用を裏切ってはいけない。


俺は今日から働くことになった。

月給は警備員時代よりいい。すごい。

塩谷さんが医療用マスクを持ってきて、これをつけてやってくれと言った。

他の女性スタッフはマスクをしていない。

たぶん浮浪者生活で口臭がきつくなっているにちがいない。

彼女たちは優しいのでそのことを直接指摘しなかったのだ。

俺は恥ずかしくなり、すぐにマスクをつけた。

これはあまりしゃべらないほうがいいだろう。


最初のお客さんはお婆さんだった。

俺は作ったばかりの名札をつけて自己紹介した。

お婆さんにウェーブパンチをやって大丈夫だろうか。

塩谷さんに訊くと「ウェーブヒールです」と言い直され、「さきほどの調子でやれば大丈夫だから」を肩を叩かれた。

俺はデレオという果物のジュースを飲み、マッサージを始めた。

すると、お婆さんは「ああ~」とか「ひい~」とか呻き始める。


「痛くないですか?」


と訊くと


「ちょっとマスクをはずして」


と言う。

聞き取りにくいのだろう。

俺はマスクをはずして、愛想よく笑い



「痛くないですか?」


と言った。

お婆さんは驚愕したように目を見開き、


「…ぜんぜん」


と消え入りそうな声を出した。

なんか目が潤んでいる。

俺はマッサージを続けた。

その間お婆さんはずっと手で俺の膝をなでていた。

きっと孫にそっくり、、とかなのだろう。

最後は


「もっとマッサージしたいー」


というお婆さんを塩谷さんたちが引きずって体操のコーナーに連れて行った。

よかった。気に入ってもらえたようだ。

お婆さんは来た時よりかなり元気になった気がする。


午前中はお年寄りが多かった。

午後は主婦が多い。


俺は客が多くても流れ作業にならないように丁寧にウェーブヒールを打った。

人によって筋肉の付き方は違う。

俺はその人の弱っている部分と、強くしたい部分を見定めてヒールする。

みんな妙な悲鳴を上げているが、「痛いですか?」と訊くと決まって「大丈夫」と言う。

なぜか女性客にマスクを外してと言われることが多かった。

俺は長いこと人と会話をすることが少なかったため、活舌が悪くなっているようだ。

くさい息を止めてマスクを外し、笑顔でごまかすと、だいたいの女性が最初のお婆さんと同じように驚いていた。

そっくりな親戚がそんなにいるとは思えない。

俺は何か変なことになっているのだろうか。

でもやたらボディータッチはされたし、マッサージは気に入ってもらえたらしく


「明日も来ます」


と言ってくれた。


体操のコーナーでは塩谷さんたちが彼女たちにジュースと赤い実をたべさせ、ウェーブヒールを教えていた。

彼女たちのヒールは赤や黄や青の光を放っていた。

全員色付きだ。やはり俺は変なのだろう。

青い光の太田さんに、色のついたウェーブヒールを出したいと相談すると、


「色はその人の個性だから。あんたは無色がいいのよ。無色は他人のためのヒールなの。貴重なの」


と言ってくれた。

これは世間からはぶられたと思った俺が、自分を癒すために見ている幻覚ではないだろうか。世間の役に立つことを自分に証明しようとしている。つまり彼らを一所懸命施術することで俺は自分の心を癒しているのだ。

おれは自分のためだと思い、ひたすら施術をした。

彼らと話をし、心と体をほぐした。


気が付いたら閉店時間だった。

ミナミンのスタッフが一緒に帰ろうと言ってくれたが、俺は買い物をしたいと言って断った。

ここは駅前だ。

俺は口臭ケアの歯磨き、洗浄剤やサプリメントをたくさん買った。

シャンプー、リンスに香り付き石鹸も買った。

牛丼屋で晩飯を食う。

うまい。涙が出るほどだ。

じわあっと込みあがる感動にふるえつつ、ゆっくりと食った。

贅沢をして、お新香と卵も追加した。


おれは帰って念入りに歯と舌を磨いた。

牛丼はうまかったが、残りカスは口から一掃しなくてはならない。

はーはークンクン

自分の口臭はよくわからない。

明日も仕事だ。

風呂に入り、寝る準備をしているとお店のスタッフたちが次々とやってきた。


「暮井地さん、幽霊見せてよ」


「暮井地さん、あれ、あなたも来たの?」


「ちょっとブルー、なに抜け駆けしてるのよ」


「あ、レッドも来た」


「あ、あなたたち、9時に訪問なんて非常識よ」


「よく言う、自分だって」


「ピンク、あんた旦那さんに申し訳ないと…」


「欽ちゃんは今お風呂だから、、、ちょっと覗きに来ただけですー」


みんなそんなに幽霊が見たかったのか。

幽霊たちは相変わらず、停止していた。だが朝とは何か雰囲気が違う。


「えと、この二人がカップルで、残りの男の人は友達なんですか?」


「いや、そんなはずはないのだが」


5人の幽霊男のうち、一番若い男が女幽霊と仲がよさそうにしている。

ほかの4人の男も女を囲んでいるが、なんとなく陰気だ。

幽霊なのに二人だけ陽気に見える方がおかしいのか。

ホームレスにも幽霊にも格差はあるらしい。


幽霊を見たスタッフたちは


「やっぱり抜け駆けはよくないですよね」

「そうね」

「うん、反省した」


と、なにやら納得していた。

みんなそれぞれ

「晩御飯を多めに作ったから」と差し入れを持ってきてくれていた。

おにぎりに煮物、卵焼き。


「すごい、明日は朝からごちそうです。ありがとうございます」


俺は礼を言った。

彼女たちはまた作ってあげると言って帰っていった。


おれは微妙な雰囲気の幽霊たちが成仏できるようにお祈りして寝た。



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作者「小説投稿サイト定番の鈍感主人公をついに書いてしまった」


暮井地「いつから俺は主人公になったんだ。あとマスクはコロナだからでは…」


作者「いや、これコロナのない世界の話だから」


幽霊「今回5500文字」


作者「ありがとう」

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地球自宅警備員 ゆっくり会計士 @yukkurikaikeisi

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