第25話 先輩は団地住民と知り合う

暮井地辰夫(くれいじたつお)


ホームレス生活(昨日まで現役だった)の夢を見た。


昼間は公園のベンチで休んで、夜は歩き回る。寒いから眠れないのだ。

なるべく人目につかないように暮らす。

歩いてて誰かとすれ違いそうになったら、路地や自転車置き場に身を隠す。

食い物を探すのも夜のほうがいい。

が、遅くなると別のホームレスに先を越されてしまう。

落ちこぼれの世界にも競争がある。

命がかかった、切実な競争が。

町中を探しても食い物にありつけず、公園に戻ると家用の段ボールとブルーシートがなくなっていた。ホームレスか、ホームレスを嫌った市民が持って行ったらしい。

…どうしよう。


目が覚めると布団の中だった。

夢は瞬時に薄れていった。

すごい。

家があるって素晴らしい~

あたたかい~

もどりたくない~


この掛布団は6千円の人工羽毛だった。

軽くて暖かい。

羽毛布団は何万円もすると思っていたが、世の中は常に進歩しているのだ。


起きたら、腹が減った。

とりあえず玄関のコップで水を飲む。

幽霊たちは部屋の隅に体育座りで女を中心に円状に集まっていた。

あいかわらず時が止まったように固まっているが、すこし楽しそうに見える。

5人の男の視線は女に集中し、女はまんざらでもなさそうだ。

これはもしかして「オタサーの姫」というやつだろうか。

男だらけのオタクのサークルに見栄えのいい女が入ってぎくしゃくする話を昔、南山から聞いたことがある。


「今日は『熱いよ~、苦しいよ~』はやらないのか?」


…無視された。

忙しいらしい。

俺は彼らにまた水をやり、外に出た。

南山の部屋を訪ねてご飯を食べさせてもらうか。

いや、ここまで世話になった上にそれは悪いな。

今日はガス会社の人が来ると言っていた。お湯が沸かせるようになる。

やかんがあると白湯が飲める、贅沢を言えばお茶も欲しい。

炊飯器と米があればご飯も炊ける。夢のようだ。

どこかに落ちてないだろうか。

俺はきょろきょろと見まわす。

うむ、米より仕事を探すべきだな。


もう昼近い。

職安に行きたいが、ガス屋さんがじきに来る。

時計を持っていないので、時間を知りたいときは、公園の時計を見に行く。

俺は団地を観察した。

そこら中、赤い南天の実だらけだ。

最近急に茂りだした。主婦たちも積極的に育てている。

足元にイタチが現れて話しかけてきた。


「これ食べる?おいしいよ」


やはりこのイタチはしゃべるようだ。

俺はイタチの幻覚を見るようなことを何かしただろうか。車で轢くとか。

考えながらイタチが差し出した赤い南天の実を口に入れる。

さわやかな甘みが口に広がる。

同時に脳が覚醒し、五感が鋭くなり、力が湧いてくるようだ。

どう考えてもおかしい。これは覚せい剤みたいな果物だ。


「ちょっとあなた」


背後からお婆さんが声をかけてきた。

手に三角ホーを持っている。


「この団地の人ですか?勝手に南天の実を食べないでください」


「ああ、すいません、4号棟のものです。このイタチに勧められてつい…」


俺は何を言ってるんだ。

幻覚に罪を擦りつけるなど、、、おかげでこのお婆さんにも頭が狂ってることがばれてしまった。

この団地で暮らしていきにくくなる。なんとか取り消せないものか。

おばあさんは俺の足元を見て言った。


「あら、レレちゃん、いらっしゃい」


「これ食べる?おいしいよ」


「ありがとう、でも、知らない人に話しかけちゃだめよ。誘拐されるから」


お婆さんはイタチと話し始めた。とするとこのお婆さんも俺の幻覚らしい。


「それで…4号棟とおっしゃいましたが、何号室ですか?しばらく引っ越しのトラックは見ていませんが」


三角ホーが揺れている。

にこやかだが、幻覚のお婆さんなのにただならぬ警戒心を感じる。答えを間違ったらあのホーが首筋にとんできそうだ。南天の実で鋭敏になった感覚がそう言うのだ。

むろん幻覚だからそんなわけないのだが。


「404号室です」


「404!!!あの…」


「えと、その事故物件を安く借りました。南山君の紹介で」


「まあ、南山コーチのお知り合いでしたか」


お婆さんから急に殺気が消えて、友好的な雰囲気になった。


「えー、404だって」


「まじで?」


周りにどこからともなくあらわれた主婦たちが集まってくる。

みんな俺をひそかに観察してたかのようだ。

彼女たちは俺の部屋のうわさ話をし始めた。


「あそこって風俗嬢が手首切った部屋よね」


「首吊ったのよ。男に騙されて」


「ああ、そういう嬢にかぎって純情パターンね」


「昼間っから出るって聞いたよ」


「どこで吊ったのよ」


俺は教えてやった。


「ドアノブです。昼もでます、今もいます」


「えーーっ、見に行っていい?」


とくに反対する理由もない。彼女たちはレレというイタチやお婆さんとも仲良く話している。

とすると全員が幻覚なのだろうか。

幻覚が幻覚を見せてくれと言っているのだろうか。

もう何が何だかわからない。


「はい、いいですよ」


俺は彼女たちを引き連れて404号室に戻った。


「お邪魔しまーす」


みんなぞろぞろと入ってくる。


「昨夜はこのドアノブに引っかかってたんですが、今は和室にいます」


和室には、やはり男五人と女一人が座っていた。


「ええー、すごい、幽霊初めて見た」


「一人じゃないの?この男たちだれ?」


「これは俺に憑いている霊です。火災で亡くなった気の毒なアニメファンです」


「ああ、あの火事。南山コーチもいたんだっけ」


「おじさんもアニメファンなんだ。死んだ人に同情するとついてくるんだよ」


多少誤解されたようだが、警備責任だったと言いたくないので訂正しないでおこう。

主婦の一人が手で触ろうとしたが、その手は幽霊を通り抜けた。


「ちょっと、やめなさい。呪われるわよ」


「スマホには写らないみたい」


「あたしお供え買ってくる」


「お酒と、塩も」


酒はアル中の俺にまずい気がする。ずいぶん長いこと飲んでいない。


そこへガス屋がやってきた。

女性たちが集まっているので驚いている。

軽く点検をし、メーターを確認して帰っていった。

ガスレンジもないので、ガス漏れしようがない。

とにかくこれでいつでも風呂にはいれる。

また一段、文化的生活の階段を上った。


「暮井地さんっていうんだ。なんにもない部屋ですねー、幽霊以外」


「先日までホームレスだったもので。南山君の世話でこの部屋に入りました」


「ああー、公園にいたのあなた。コーチの知り合いだったの?」


「はい、これから仕事を探します」


「塩谷さんたちがヨガ教室が忙しくなったから、働き手を募集してたわよ」


「ウェーブヒールできる?」


ウェーブヒール? ヨガ教室?

なんだろう。ウェーブパンチなら南山に教えてやったが。

しかし今のこの震える手でウェーブパンチなど打てるはずがない。

それにもし主婦に向かって繰り出して、本当に出たら、彼女を叩きのめすことになる。

それはまずい。ここに住めなくなる。


「じゃあこれで」


主婦がどこからか持ってきた洗面器に水を張った。

なるほど、南山の訓練法はこれだったな。

俺は水でなく南山たちを使って訓練したが…

さっそく床に置かれた洗面器の水にウェーブパンチを打ってみた。


ぷるぷる・・・ちょろ・・・


案の定震える手に、力が入らず空振りの手ごたえ。


ぴかあ


だがなぜか洗面器の水が光り水煙が上がった。

なんだこれは???

こんなのは知らない。


「おお~!コーチと同じく無色じゃん」


「無色はレアですよ。塩谷さんが喜びます。雇ってもらえますよー」


なぜか主婦たちが「無職だ」と騒ぎだした。

確かに無職だが、なぜもてはやすのだろうか。

それに、さっき水が光ったが、それも幻覚だろうか。


床を拭いていたお婆ちゃんが


「雑巾もないのね。これあげる」


といって拭いたタオルをくれた。


「あ、うちに使ってない鍋と包丁あるけど要る?」


と別の主婦が言う。

すごくありがたいと答えると、ほかの主婦も捨てる予定だった小物を持ってきてくれた。ぼろ布一枚でもたすかる。バケツや古着、やかん、まな板、茶碗、箸、スプーン、フォークももらえた。どれも買うとお金がかかる。彼女たちにはいらないものでも、俺には貴重なものだ。


主婦たちが帰ったあと、和室を見ると幽霊たちの周りにお茶やお菓子と紙パックのお酒がおいてあった。玄関には盛り塩が小皿にある。俺は塩は幽霊たちに悪い気がして、台所に持って行った。ちょっと舐めるとしょっぱくてうまい。料理するときに使おう。

俺は幽霊たちに


「すまないがお茶とお菓子を少しいただきます」


と言って手を合わせ、どら焼きとペットボトルのお茶を少しもらった。

幽霊たちは動かない。

多分幻覚なのだろうが誠実に対応したほうがいいに決まっている。現実と幻覚の区別がつかないのだから、安全パイをとるなら、全部現実ということにして対応すべきだ。彼らに詫びを言っても俺は損をしないのだ。

どら焼きを口に入れると、顎の付け根から痛いくらい唾液がでてきた。よほどカロリーや甘味に飢えていたのだろう。

お茶を飲んで腹も口も落ち着いた。


午後、南山が来てテニスのコーチをしに行くと言うので見学に行った。

テニスクラブに行くと南山はすごい速さで主婦たちにマッサージをかけていた。

南山が手を主婦の背中に当てるたびに白く光るように見えるが、たぶん幻覚だ。


クラブでは4つのコートのうち一つだけでテニスをやっていて、残りのコートでは女性たちがトレーニングをしていた。空手に近い実践的格闘技のようだ。

時々目にもとまらぬスピードで動く。主婦とは思えない。

受けと攻めの型を交互にやっているのを見て、俺はその動きができるのなら、受けと同時に攻めをやる型があると提案した。

見せてほしいと言われたので、警備員時代に考えた型を披露した。

ついでに相手の目や首など急所を狙った殺人技も教えた。

プルプルしてるのでよれよれの動きだったが、主婦たちはすぐに理解して素晴らしい動きで俺の技を再現した。


「そう、それ。そういうふうにやりたかった」


「素晴らしい指導のおかげですよー」


「この団地の皆さんの身体能力が異様に高い気がしますが」


「体を鍛えるのが流行ってるんですー」


女性たちが集まり、さっき教えた型を教えあい、やり始めた。

みんな殺人技に興味があるように見えるが、たぶん気のせいだろう。


晩飯を南山に誘われたので、南山の家で、彼の母親と一緒に飯を食った。

俺は南山の母親に明日職安に行くと話すと、彼女は息子に


「お前もいけ」


と言った。どうも母親にはテニスコーチは仕事と思われていないらしい。

飯を食ったあと、南山がマッサージをしてやると言う。

あの光るやつか。気になっていたので頼むと、背中と腰と腕にやってくれた。

俺の中で言葉にしがたい何かが起こっている。

この団地の人々の異常さはこれが原因ではないだろうか?


その夜、俺は眠ることができず、団地内をうろついていた。

団地の掲示板では「本を捨てないで」や「障害のある方たちの力になります」などの文字が常夜灯に照らされていた。


夜中の2時。

小型トラックが団地内の道路に止まる。

二人の男がトラックの荷台から荷物を植え込みの上におろし始めた。

二人の男にジャージ姿のお婆さんが声をかけた。


「そこはゴミ捨て場じゃありませんよ」


男たちはぎょっとしてお婆さんを見たが、彼女以外に人がいないと知ると無視して作業を続けた。


「明日は粗大ごみの収集はないし、第一粗大ごみシールを貼ってありませんね。最近不法投棄が多くて困っているんです。犯人はあなたたちですか。何とか言ったらどうです?」


二人の男は無視して作業をスピードアップし、荷物を荷台から乱暴に放り投げ始めた。

お婆さんは素早く荷台に近づく。


ヒュッ、どすっ


「げえっ」


三角ホーが男の脇腹に突き刺さり、ホーを引くと男が荷台から転がり落ちた。

引き抜かれたあと、再び三角ホーが弧を描き、うめいている男の首に刺さった。

茫然と見ていたもうひとりに、背後からべつの主婦が飛びつく。

髪の毛を掴まれ、荷台から真っ逆さまに落ちる男。

スイカが割れるような音がして、そいつも動かなくなった。


「やーっと捕まえましたね、富田さん」


「ええ、いい気味よ」


二人はにこやかに会話した後、俺に気が付いた。


「あら、こんばんは、暮井地さん」


「はあ、こんばんは」


「見てた?びっくりしました」


「いえ、それほどでも」


実際俺はそれほど驚かなかった。目の前の全員が幻覚である可能性はかなりの高確率だと思っている。


「こいつらはゴブリンという悪い生き物ですから、殺してもだいじょぶなんです」


そういいながら富田と呼ばれたお婆さんが男の頭を蹴ると、黄色い光とともに頭は土くれになって砕けた。

なるほど、ゴブリンというのはドロ人形みたいなものらしい。

もう俺の幻覚である確率はほぼ100%だろう。


「だからこれからこいつらを畑に撒くんです。野菜がよく育つんですよ」


「そうですか、お手伝いしましょう」


なぜかテニスクラブにあった車いすにゴブリンを乗せ、畑まで移動して砕いて撒いた。


「ふう、ありがとう。あとは車と粗大ごみね」


俺は恐る恐るきりだした。


「あの…ゴブリンたちが持ってきたテーブルやイスや戸棚ですが…その、もらっちゃダメですか」


富田さんと主婦は顔を見合わせ、「あはは」と笑った。


「いいわよ。こっちも助かるわ。ゴブリンどももたまには役に立つのねえ」


「あとは車ね。空いてる駐車場に止めときましょう。なんかに使えるかも」


俺はトラックの場所に戻り、震える手で戸棚をつかみ力を込めた。

とても持てないように思えたが、意外と軽々運べた。なぜか強くなった気がする。

富田さんたちもテーブルと椅子を運んでくれた。

トラックの荷台にはガスレンジまであった。油で汚れているが十分使える。

電池も入っている。ガスホースで繋ぐと火が付いた。

もらったやかんに水を入れお湯を沸かして飲んだ。


俺はまた文化的生活の階段を一段上った。


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作者「今回5500文字」


暮井地「これも幻覚かもしれない」


作者「いや、ちゃんと書いたから」


南山「タイトルを『地球自宅警備員』から『クレイジー先輩の文化的生活向上計画』に変えたほうがいいのでは」


作者「先輩の話はさらっと流す予定だったのだが、なんでこうなった?」

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