第25刑 静孔は泣き虫――A

 2人を無事にこの場から逃がすことには成功した。だが同時に、《罪人》側からは大きく信頼を欠いてしまう結果になったようだ。


 アルバートの背中に、ひやりと冷たい、何か尖ったものが当てられる。振り向くまでもない。ナイフだ。


「小僧。そんなことで儂の目を誤魔化したつもりか」


「そこまでできるとは思っていませんよ。どれだけ強大な力を持っていても、所詮あたしは普通の《罪人》。貴方がた《臣公》には遠く及びません」


 ズブリ、と切っ先が肉を裂いて入ってくる。まるで破瓜のように、亀裂から異色の血が流れ出た。


「餓鬼を2匹逃がすだけならまだしも、まさか明外あけがた静孔しづくまで利用しようなどと、考えている訳ではあるまいな?」


 思わぬ指摘に、アルバートの口角が上がる。


「さぁ? それはあの子たち次第なんじゃないかしら」


「フン……。貴様がグランドのお気に入りでなければ、今この場で殺しておるわ」


「そう。主サマに感謝しなくちゃね」


 オリヴォはアルバートからナイフを抜くと、車椅子を転がして奥の部屋へと消えて行った。


 緊張の解けたアルバートは、全身から力が抜けてその場に座り込んでしまう。


「頼むから上手く脱出してちょうだいよ。あたしの首と、あなたたちの命が懸かっているんだからね」


 蝙蝠になりきれない彼は、壁に開けた巨大な穴を見つめて、そう呟いた。




        × × ×




「殺そう。今この状況なら勝てる」


 それが真っ先に杏樹あんじゅの口から出た案であった。『E.S.B.』の人間としては、それが正しい判断である。《罪人》の中でも最高位である《臣公》の1人だ。確実に処刑することのできるこの状況で、執行しない理由はない。


 だがそれを受け入れることのできないのが、十谷とおやしょうという少年だった。


「こんなに怯えている方に手を下すなんて……。僕にはとても……」


 躊躇っている彼の胸倉に、杏樹は掴みかかった。


「晶は甘い! それがあなたの良い所だよ。でも、甘さを見せる相手を見誤らないで!」


「けれど、僕にはこの人が危険な存在には見えないんです」


 杏樹は呆れた。晶がここまで甘いことを言うなんて、思ってもみなかった。


 しかし、晶も晶で、どうして自分がこんなに気後れしているのか、分からない。これまで《罪人》に対して容赦をすることはなかった。杏樹と戦った時も、彼女の方が一枚上手だったとは言え、死刑執行する決意をした。


 ではなぜ? 明外静孔に対しては、こんなに躊躇ってしまうのか。杏樹や那雫夜ななよといった、悪人ではない《罪人》と多く接してきたからだろうか。罪に身を堕とした者が全員加害者ではないということを知って来たから? どうしても、明外静孔が危険には見えない。


「晶。あなたが止めても、アタシはやるよ。千載一遇のチャンスだ。ここで《怠惰臣公》を叩く」


 腕章に十字架をセットし、処刑人の力を解放する杏樹。その手は、静孔の首に伸びていた。


 細い。あまりにもその首は細かった。杏樹だって、あまり身体ができている方ではない。長い間サバイバルのような生活を送っていたせいで、満足な栄養を取り入れられていないからだ。そもそも《罪人》化したのは小学生の頃、以来肉体は大きく成長をしていない。だが杏樹は《罪人》としての力も有しているため、常人よりは生命力が高い。だから満足のいく生活を送ることができている。


 それに比べて、明外静孔はどうだ。彼女だって《罪人》だ。であるにも拘わらず、骨と皮ばかりの身体である。首も、まるで枯れ枝を掴んでいるのではないかと錯覚するくらいだ。


「(いける)」


 そう確信した杏樹は、腕に力を籠める。ちょっと筋肉を膨らませただけなのに、静孔の首はギシリギシリと音を立てた。このまま簡単にへし折れそうだった。一瞬、隣に視線を向ける。


 晶は何も言わない。彼だって理解はしているのだ、杏樹が行っていることが正しいのだと。怯えている相手が処刑されるところを見るのは、辛い。だがこれで正解なのだ。彼はそう自分に言い聞かせていた。


 杏樹はすぅ、と息を大きく吸い、腕に力を集中させる。


 明外静孔は、その間一切抵抗をしなかった。彼女は怠惰の罪で《罪人》に身を落としている。他人よりも諦めが早いということだろうか――。


 その時だった。部屋の壁一面が、突如として吹き飛んだ。


 飛んで来た瓦礫を裏拳で跳ね除け、晶は警戒態勢に入る。杏樹を守れる位置に立ち、十字架をセットした。


「屋敷に迷い込んだネズミどもが、随分勝手な真似をしてくれているようだな……」


 しわがれた老父の声。時折、ぶひゅうぶひゅうと、空気が漏れるような音がしている。この声、アルバートに庇われる直前に耳にしたものだ、と2人は気づいた。


 壊れた壁の向こうから現れたのは、声のイメージに違わない、車椅子に座ったミイラのような男だった。


 ミーナ・オリヴォ。《罪人》の中でもとりわけ力の強い、《嫉妬臣公》である。


「人様の家を物色しただけではなく、居候にまで危害を加えるとは。生かしては返せないな」


 そうやって不愉快そうに笑うと、オリヴォは自らの肉体を変貌させた。身体だけではない。車椅子や、その背もたれに取りつけたアームも、まとめて形を変えていく。


「どうやらアルバートにも君たちにも、お仕置きをしなければならないようだな」


 変貌したその姿を見て、晶はおくびを漏らす。こんな《罪人》は初めて見た。これまで戦った相手が変化させていたのは、せいぜい身に着けている衣服や靴、眼鏡程度だ。しかもそれが肉体の一部として、特性を得ることなどはなかった。それが、オリヴォはどうだ。車椅子は下半身と一体化し、四本の巨大な節足となっている。背もたれのアームは凶悪な腕に。上半身はそのまま《罪人》化している。


「まさかこれで、通常形態だっていうの……」


 息を飲む杏樹。2人の頭に、パラパラと天井の破片が降って来る。


《嫉妬臣公》ミーナ・オリヴォが変貌したタランチュラ・ディシナは、全高3メートルを超す巨大な体躯をしていた。《重罪態》ではない、これが彼の普通なのだ。


「さて、どちらから殺そうか」


 おっとりとした口調に対し、背中の腕はせわしなく動いている。しかし尖った先端は、決して晶と杏樹から逸らされることはない。


 2人では《臣公》に敵う訳もない。戦いを挑んだところで、返り討ちにあって惨殺されるのがオチだ。そのため、晶が取った行動は、至って簡単だった。


「はぁっ!!」


 杏樹の手を取り、部屋の扉を破壊する。そのまま廊下を駆け抜けた。


「ぬぅ。以外にすばしっこい。室内で変わったのが仇となったか」


 狭い地下の廊下では、タランチュラ・ディシナはすぐに追って来ることができない。その巨躯があちらこちらでつっかえていた。


「ちょっと晶! これはどうするの!?」


 騒ぐ杏樹の腕には、まだ静孔が握られていた。爪が軽く皮膚に食い込んでしまったせいで、気軽に抜くことができなくなっているのだ。静孔の相方である暮内くれない弥希みきは、血液を利用した攻撃を繰り出していた。彼女も同様の力を持っている可能性は否定できない。ならば――。


「連れて帰ります!」


 彼女の処遇について、晶は間髪入れずに答えを出す。


「馬鹿じゃないの!? こいつは《臣公》の1人なんだよ!?」


 もちろん、杏樹からは即座に反対される。だが厄介なことに、晶は1度決めたことは譲らない性格をしている。静孔を殺さないという判断が、揺らぐことはなかった。


 いつもは彼に対して肯定的な杏樹も、今回ばかりは「ごめん晶。あなたの意見は受け入れられない」と、厳しい目つきになっている。


「とにかく、館を脱出したらこの女は即座に処刑する。いいね」


「駄目です」


「……ッ! 分からず屋! アタシよりも、こんな女に肩入れするの!?」


 僅かに、晶の眉尻が下がる。だが今は、これ以上言い争っていても得をしない。まず動かすべきなのは足だ。


 地下に部屋はいくつかあったが、いちいち確認している暇はない。全て素通りし、階段を目指す。廊下の突き当たりに、上の階に向かうための階段を発見した。それと同時に、後方からけたたましい足音がする。タランチュラ・ディシナが、扉や壁を破壊しながら進んできているのだ。


「逃がすかガキどもォォォ!!!」


 ミーナ・オリヴォの罵声。それを耳にして、2人の足はますます速くなる。


 だが身体の大きさがそもそも違う。タランチュラ・ディシナは、あっと言う間に距離を詰めてきた。


「やばいよ晶! やっぱりこいつ捨てよう!」


「ヒィ! ゴメンナサイぃ!」


 握りしめられた喉から、精一杯の声を絞り出す静孔。杏樹は彼女の肉を削いででも、手を放そうとしていた。


 だが晶は、それを制止。同時に安堵の表情を浮かべた。


 前方から、誰かがやって来るのに気付いたからだ。


「2人とも、伏せなさい!」


 階段を駆け下りて来たアルバートが、そう支持する。彼の手には大き目のマスケット銃が握られていた。


「(あれは――!)」


 晶はその銃に見覚えがある。百波ももなみ利里りりが研究部から譲り受けた兵器、エグゼブラスターと同型だ。まさか、アメリカでも完成させていたとは。


 その武器を目にしたオリヴォは、不愉快そうに醜い顔面をさらに歪めた。


「忌々しい、デスデローサの遺産か! どこまでも儂の気分を害する奴だ!」


 1発、2発、アルバートはタランチュラ・ディシナに向けて発砲する。だがその装甲は鋼よりも硬く、エグゼブラスターでも傷をつけることができない。まさかこの兵器が通用しないとは思っていなかったアルバートは、唇を噛む。


「晶、杏樹、走れ! それしかこの館を脱出する方法はないわよ!」


 彼に指示された通り、晶たちは階段へと走る。


「やはり貴様はそっちだったようだな。グランドには悪いが、ここで死んでもらおう」


 タランチュラ・ディシナのアームが、一斉にアルバートに向く。全てを回避することはできない。玉砕覚悟でしかけるべきか? この時彼の目には周囲の動きがゆっくりに見えていた。次に取るべき行動が、一瞬の内に浮かんでは消える。最良の一手が思いつかない。


「(さて、どうしたものかしらね……)」


 半ば諦めながら、エグゼブラスターを正面に向かって構える。タランチュラ・ディシナは図体が大きい。撃てば当たるのは間違いない。だが、どこまで通用するか。次の次を放棄して、エネルギーをチャージするべきか?


「それしかないわよねぇ」


 左腕に巻いた腕章に、銃口を付ける。そして急いで溜めたエネルギーを相手に向かって――。


 発射する、その前だった。アルバートの頭上を、何かが飛び越えていった。


「晶!?」


 処刑人の力を開放した、晶だ。だが普通じゃない。


「(なるほど。あれがオーバーキルモードね。クリスティーナも恐ろしいものを息子に渡したわね)


 晶の行動に面食らったのはアルバートだけでない。オリヴォもだった。


「何だあの小僧。何だあの姿は!?」


 アームの照準を修正。その矛先は晶へ向く。鉄の太い腕が、彼の細身に叩きつけられる。――も、効果はなかった。晶はアームを掴み、また蹴りつけ、攻撃をかいくぐる。そのままみるみるうちに、オリヴォとの距離を詰めていった。


「うおっっ――りゃああああ!!!」


 晶の拳が、タランチュラ・ディシナの顔面を捉える。


「(ダメだ、硬い! 1発じゃ何の意味もない!)」


 続けて蹴りを食らわせようとしたが、背後への注意が疎かになっていた。今度こそ、アームの一撃を受けてしまう。壁に叩き付けられる晶。


 その直後。今度は杏樹が飛び出してきた。指先からは血が滴り落ちている。静孔を離すために、切り落としたのだ。だがその程度の傷であれば、すぐに再生してしまう。


「馬鹿!! あなたたち、逃げなさいって言ったでしょう!?」


 再び注意するアルバート。だが若者たちは聞き入れようとしない。


「あなたのために来たんじゃない。晶を助けに来たんだよ!」


 杏樹は《罪人》に目もくれず、晶の救出に向かう。


 それを見逃してくれるほど、敵も優しくはない。


「小娘が! 儂よりもそんな小僧を取るか!」


「当たり前だよクソジジイ! そんな馬鹿な嫉妬するな!」


 杏樹の侮言は、オリヴォの神経をさらに逆なでした。


「貴様ァァァァァァァァァ!!!!」


 晶を腋に抱え逃走を図るも、《罪人》の巨躯に阻まれる。


「邪魔だ、どけ!」


 鉄の身体に毒針を突き立てようとするも、はじかれてしまう。装甲が厚すぎる。並みの力では通用しない。


《臣公》の肉体を傷つけることのできる力。かつて百波利里がドラゴン・ディシナを退けた時のような――。


「晶、杏樹。時間稼ぎありがと」


 前方から満足気な声がした。そこには、静かにほくそ笑んでいるアルバートが。彼はエグゼブラスターにエネルギーを溜め終え、敵に向けて構えていた。


「早くこっちへ!」


 呼ばれて杏樹は足を動かす。《罪人》の腕が晶に当たらないように走った。


 そして2人が通り過ぎるや否や、アルバートは引き金を引いた。


「ごめんネ博士。あたしは処刑人こっちに付くわ」


 砲撃。鋼鉄の巨躯を押しのけるほどの威力。古びた内壁はもちろん、タランチュラ・ディシナの肉体をも焦がし、融解させた。


 これまで受けたことのないエネルギーに、オリヴォは絶叫する。


「ああ! これがエグゼブラスターの力かッ! 忌々しいデスデローサめが! 死してなお、儂を苛立たせる!」


 大蜘蛛の装甲が剥がれ、《罪人》は人間の姿に戻る。炎上する館の中で倒れ伏したオリヴォは、車椅子やその他の生命補助器具を失ったことで、呼吸をすることも、手足を動かすこともままならなかった。


 そんな彼に、アルバートは哀れみの目を向ける。


「全ての機材を《罪人》の肉体に取り込んだことが仇になったわね。これでもう、あなたは立ち上がれない。この館と運命を共にするのよ」


「黙れ小僧めが……。儂は死なぬぞ。そして次こそ必ず、貴様の息の根を止めてやる……」


「ハァ。たかが1人の《罪人》に恨み節を吐く程度とは、《臣公》も堕ちたわね」


 階段の上にチラリと目をやり、晶と杏樹がいないことを確認する。それからアルバートは、床、壁、天井に向けて乱雑に発砲した。地下通路が破壊されたことで、館全体が揺れる。


「アル、バート……。すぐに、殺して……覚悟しろ……」


 呼吸器が外れたせいで、オリヴォは言葉を発することも満足にできない。《臣公》の一角を担った男の最期にしては、随分とあっさりしたものになりそうだ。


 そう思ったが。


 通路が崩壊するよりも先に、天井に穴が空いた。否、館の上部が吹き飛ばされたのだ。


「! やっば、全然気が付かなかったわぁ」


 館を包む結界に入り込むことができて、一瞬でこの場を吹き飛ばすことのできる者など限られている。地上から降りてきたのは、巨大な剣を担ぎ金色の甲冑を身に纏った怪物だ。


 怪物はアルバートとオリヴォを交互に見やり、ため息を吐く。


「じいさん、油断したね。ガキ共にここまでやられやがって」


「よく言う……。結界の外ギリギリで、観察していた……くせに……」


 怪物――ドラゴン・ディシナは瀕死のオリヴォを脇に抱えた。


「まだあんたに死なれる訳にはいかない。ここは撤退だ」


 そう戦うことなく場を立ち去ろうとする彼女に、アルバートはエグゼブラスターを向けた。エネルギーは充填済みだ。いつでも撃つことができる。


信太しのだ美子みこ。わざわざあなたが出てくるなんてね。傷はもういいのかしら?」


「お前こそ。今回の裏切り、傷で済むと思うなよ」


「ハナからそんなこと考えてないわ。二重スパイなんてやっている時点で、碌な死に方をしないのは分かり切っているもの」


「自分の死に様について考えているだけ、お前は利口だな」


 小馬鹿にするように笑う信太を、オリヴォは睨め上げる。


「貴様、誰のことを言っている?」


「さあね。まさか何10年も死に損なっているクソジジイがいるわけでもあるまい」


 ドラゴン・ディシナは一瞬、信太美子の姿になると、空いている右手で髪をかき上げた。彼女のその動作を、アルバートは挑発と受け取る。


 引き金に指を掛けると、信太は再び《罪人》態となる。


「今回ばかりは見逃してやろう。お前にはまだあちらに潜り込んでいてもらわなければ困るからね。それに実際、私の傷は癒えていないからな。この場で戦えば《臣公》を2人失いかねん。それは避けたいんだよ」


「アタシも怪我人と年寄りを苛めるような趣味はしていないわ。いいでしょう、ここはお互い手出しをしない、ということで治めましょ」


「恩に着るよ、アルバート」


 そう言い残し、ドラゴン・ディシナは飛び立って行った。


 崩壊する館の中で、アルバートは力なくへたり込んでしまう。



「……よく無事で済んだなぁ。あんなバケモノ2人も目の前にして、しかも完全に処刑人側に付いているのがバレて、見逃してもらえるなんて」


 瓦礫が彼のすぐ脇に落ちる。それでもなお、アルバートは動けずにいた。


 天井が崩れ、地下室は地上の建物で埋まってしまう。1人が脱出できないまま、館は完全に倒壊した。

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処刑人の殺し方 間堂実理果 @miricaandminori

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