第24刑 死に魅入られた男―B
幸い、手足は縛られていない。立ち上がり、歩き回れる、自由の身だ。晶は床に転がる何か(形からしてコップ? 皿?)を足で払い除けながら、様子を探る。
「何にもなさそうだよ、ここ」
突然声をかけられて驚く。だが、声の主は彼よりも先に目覚めていた
「もう10分くらい調べてるけど、ただのガラクタ置き場としか言いようがない。扉も鍵が閉まっている。完全に閉じ込められたね」
彼女は部屋の真ん中に設置された作業台の上で胡坐をかきながら、苛立たし気に舌打ちした。
「あの人……。『E.S.B.』のスパイであると同時に、《罪人》側のスパイでもあるんだよね。簡単に気を許したのがいけなかったんだ」
「アルバートさんは悪い人ではないです。きっと何か考えがあって、僕たちを気絶させたんだと思います」
「どうかな。もしかするとアタシたち、ここで殺されちゃうかもよ」
そう言って杏樹は、晶にあるものを投げつけた。床の上に落ちたそれを拾い上げて、晶はぞっとする。
それは腐敗した人間の腕だった。
「あのジジイ、被験体に若い身体が欲しいって言っていた。その腕、数時間後のアタシたちの姿かもしれないよ」
杏樹は完全に、アルバートのことを信用しなくなっている。彼を敵と見なしたようだ。
「それに、まだ気づかないの? 左腕」
指図されて見ると、晶も杏樹も、左手首につけていたはずの、処刑人の腕章がない。
「取り上げられちゃったね。戦うこともできないで、どう脱出するの?」
「それは……。きっと、アルバートさんは裏切っていない。きっと腕章も渡してくれるはずです」
「晶は他人を信用しすぎなんだよ! それに、どうしてそんなに希望的観測ができるの? 今アタシたち、生還はおろか、この部屋を出ることすら難しい状況なんだよ?」
「僕はアルバートさんを信じています。彼については、僕の方が杏樹さんよりも知っている。僕たちを裏切るような人ではありません」
晶の主張に、杏樹は深々と溜め息を吐く。そして、折れた。
「分かった。ひとまず彼は信用する。でも、どうやってここから出る?」
「窓はない、扉にも鍵……。とりあえず、壁を直接破壊するとか?」
「どうやって?」
「どこかに武器でもあれば……」
雑多なガラクタの海を漁り、利用できそうなものはないか探す晶。杏樹も渋々、適当なものを探し始めた。床のものを退け、汚らしい棚を開けていく。
「(……ん?)」
そして気付いた。1番下の棚。ここだけ妙に汚れが付いていない。これは使用していると言うより、ここだけ手入れされていると言った方が正しいだろう。試しに開けてみようとするが、ここも鍵がかかっている。妙だ。他の棚や引き出しには鍵がついていない、あるいはついていても壊れているというのに。
「(何かある)」
この中にあるものに、杏樹は心を惹かれた。なぜかは分からない。だがとにかく、開けてみたいと思ったのだ。
「仕方ないな……」
杏樹は眉間に神経を集中させる。すると、爪先からびりびりとした感覚が起こる。血が沸騰したかのように、全身に熱い流れが生まれた。
「杏樹さん!?」
異様な気配を感じたのか、晶が杏樹を向く。
処刑人の力が使えない今、彼女は自らに眠る《罪人》の力を使おうとしていた。ワスプ・ディシナ。スズメバチの特性を持つ、
左手の甲から生えた毒針を、そっと棚に近づける。そしてガリガリと切っ先で戸を削った。指が入るくらいの穴が開くと、そこを取っ手にして無理矢理外す。
「これって……まさか」
中に入っていたのは、小さな木箱だった。強化された腕力で強引に蓋を開けると、中には黒色の腕輪と十字架が入っていた。
そう。処刑人の証、執行十字と腕章だ。
「何これ。本物?」
杏樹が首を傾げるのも当然だった。通常の十字架は銀色である。銀には邪悪を祓う力がある。狼男を倒すには銀の銃弾を、吸血鬼を撃退するにはそれこそ銀の十字架を、と言った具合に、銀は魔に対しての特効薬なのだ。そして杏樹やアルバートのように、《罪人》の特性も併せ持った人物は、金色の執行十字を所有している(性能的には通常のものと同じ)。だがこれは、そのどちらとも違う。漆塗りのように綺麗で、禍々しい黒だ。他の装備とは正反対に、邪悪を秘めているかのような色。
「杏樹さん。それ、大丈夫なものでしょうか」
その得体の知れない装備に、晶は不安を覚えた。直感でしかないが、これを持っていたら不幸になる。そんな気がした。
一方の杏樹は、この黒い十字架に強く惹かれていた。普通ではないということは、よく伝わってくる。しかし彼女には、これがブランドもののバッグのように、三ツ星レストランのフルコースのように、非常に高尚で素晴らしいものに思えてならなかった。
欲しい。この魅力に満ちた存在を、自分のものにしたい。そんな欲望が、彼女の内側に渦巻く。
「一応持っていこう。この先、自分の腕輪が取り返せるか分からない。それなら、いざと言う時に使えるものがあった方がいい」
「まさか、その黒い十字架と腕輪を使う気ですか?」
「もちろん。これには力がある。アタシには分かる」
「危険です! 置いて行きましょう。杏樹さんには《罪人》の力もある。いざと言う時は、その力を使って逃げてください。足手纏いになるようであれば、僕の事は見捨てて構いませんから」
晶の申し出を聞いて、杏樹は彼に平手を打った。
「馬鹿なこと言わないで。アタシはあなたを守るって、支えるって、そう決めたんだ。何があっても離れないし、見捨てない」
「でも杏樹さん! 全滅したら意味がありません!」
「――――ねぇ晶。聞いて。アタシは常にあなたと共に在る。あなたが死ぬ時はアタシが死ぬ時。アタシが死ぬ時はあなたが死ぬ時。だからアタシは死ねないの、あなたを死なせる訳にはいかないから。そしてもしもあなたが死ねば、その時はアタシもすぐに後を追う。だから、2人とも生き延びるには、2人とも生きて逃げるしかないんだよ」
あまりにも真っ直ぐな瞳で言葉を発するため、晶は純粋に聞き入ってしまった。その内容が過激なことについては、あまり頭に入って来なかった。
「……分かりました。それじゃあ僕も、全力で逃げます。杏樹さんを死なせないために」
彼女のことだ。今口にした通りのことを、本当にやりかねない。晶はこれ以上、杏樹に不幸な運命なんて、押し付けたくなかった。
だがこの黒い十字架は、得体が知れない。安易に使用する訳にはいかないだろう。
まずここからの脱出には、ワスプ・ディシナの力を使うことになった。扉に毒液を注入し、腐食させる。そうして建てつけが悪くなったところに、体当たりをして強引に破壊した。
「とりあえず、物置部屋からの脱出は成功だね」
「あとはこの館から出られれば……」
廊下を確認し、脱出経路を探っていた、その時だった。
「すごぉい。部屋から出られたんだ」
「!!」
現れたのは、アルバート=ブラック。晶は一切警戒をしていないが、杏樹は敵対心剥き出しの視線を彼に送った。
アルバートは2人に歩み寄ると、晶の耳元に唇を近づけて囁いた。
「ごめんね。あたしの立場上、ああするしかなかった。安心して。必ずここから逃がしてあげるから」
「やっぱり。良かった、僕たちを裏切った訳ではないんですね」
「当たり前じゃない。そんなことしたら、クリスに惨殺されるわ」
晶から身を離す際、彼はそっと十字架と腕章を手に持たせてきた。杏樹にも同様に、2点を返却する。
「いざと言う場合には、それ使って逃げなさい。そうなった時はきっと、あたしはもうダメだろうから」
「……信頼できるの?」
「あたしもあなたも、《罪人》でありながら《罪人》に楯突く者。碌な死に方をしないことを承知の上で、この生き方してるのよ。そんな簡単に掌を反したりはしないわ」
さらにアルバートは、1枚の紙切れを取り出した。
受け取った晶は、二つ折りにされていたそれをそっと開く。描かれていたのは、この館の見取り図だった。
「あたしはあの爺さんの相手をして、時間を稼ぐ。あなたたちはその隙に逃げなさい」
「アンタ、そんなことしたらスパイだってばれて――」
「そんなこと、百も承知よ。それでもあたしはあなたたちの味方をするって言ってるの!」
その時だった。
「ほう。結局君は、そちら側なんだね?」
カラカラと車輪が回る音と共に、ミーナ=オリヴォが姿を見せる。
「スパイほど信頼ならない存在はいない。2枚舌どころか、3枚も4枚も使い分けおる」
アルバートの額に脂汗が浮かぶ。晶も杏樹も、どうすればこの状況を脱することができるか、模索していた。こうなれば、3人で戦えば――。
「博士。出て来るのが早いです。そうすれば、もっと簡単に殺してあげられていたのに」
高熱が放出された。アルバートの肉体が、変化する。青い薔薇の焼き印を持つ、高等《罪人》。イーグル・ディシナの姿へと。彼は《罪人》と化すと、いきなり2人に攻撃を仕掛けた。
「あんた、やっぱり!」
まだ腕章を装着していなかった杏樹は、咄嗟にワスプ・ディシナへと姿を変える。
「敵を騙すにはまず味方から――。でもあたしにとって、全てが敵であると同時に味方でもある。全員騙す対象なのよ」
イーグル・ディシナは、簡単に、羽虫をあしらうような動作で、杏樹を突き飛ばす。たったそれだけなのに、ワスプ・ディシナは後方の壁に半身がめり込むほどの衝撃を受けた。
「杏樹さん!」
奇形の口から吐血する杏樹を見て、晶は血相を変えて駆け寄る。
「食えない男だな。貴様に背中は見せたくない」
「ごめんなさいね、信頼ない男で。でもね博士。こうでもしなくちゃあたしも生きていけないのよ」
オリヴォに嫌悪感を示されるも、アルバートはへらへらとした態度で返す。彼はそのまま、晶と杏樹に歩み寄り、
「騙して悪いわね。じゃあね、2人とも」
「!!」
双翼を叩き付け、壁ごと吹き飛ばした。
× × ×
「痛っつ……。あれ、でも傷は……」
晶と杏樹は、かなりの勢いで攻撃されたはずなのに、気絶すらしなかった。
ふと上を見ると、そこには大きな穴が空いている。壁と床ごと吹き飛ばされ、下の部屋に落ちたのだと気付く。
「あの人、だいぶ手加減してくれちゃったね」
吐血していたはずの杏樹は、身軽そうにひょいと立ち上がった。
「杏樹さん。身体は大丈夫ですか?」
「舌を噛んでちょっと切った程度。敵を騙すにはまず味方から、成程ね」
「アルバートさん、僕たちを逃がすために、こんな手を使ったんですね」
貰った館の見取り図を見ると、さっきまでいたのが1階奥の倉庫で、今いるのが地下の部屋であることが分かる。だが……。
「ここ、何の部屋なのか書いていません。他の部屋は何かしらメモ書きがあるのに」
「使っていない部屋とか? でも、その割には綺麗と言うか、使用感があると言うか……」
そこまで言って、杏樹は何かの気配を感じた。
「シッ。この部屋、誰かいる」
彼女に指示され、晶は口を閉じ、耳を澄ます。
不気味なくらい物音がしなかった。
「何の気配もありませんよ?」
「いや、いる。――違う。気配が小さいんじゃない。大きすぎるんだ。この部屋全部に霊力が満ちている」
「それって――!」
杏樹とアルバートは、ブラッド=O=グランドの居場所を特定することができなかった。あまりにも霊力が巨大過ぎて、辺り一面からその気配を感じてしまったせい
だ。今この部屋では、似たようなことが起きている。
「消そうとしても殺しきれない気配……。この部屋、かなりヤバい奴がいる!」
そこまで断定し、叫んだ時。
「…………ぐすん」
「!! 見つけた!」
すすり泣くような声が、杏樹の耳に届いた。彼女はすかさず、音源を探す。
それは、妙に小奇麗なベッド。皺が寄り、まだ薄ら温もりのあるシーツが、ついさっきまでここに誰かがいたことを教えている。そんなにすぐに、どこかへ行けるような空間ではない。近くにいる。
「ここだ――――――ァッ!!」
勢いよく、片足で、ベッドを蹴飛ばす杏樹。するとその下には。
「ヒィィ! 嫌ァ、殺さんで!!」
汚い、色の無い髪。だらりと口から出っぱなしの舌。そして両目を封印するアイマスク。
そう。そこにいたのは《怠惰臣公》、
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