ホタル

「ホタル……ですか?」

 ただでさえ少ない彼の言葉を大切に掬うように反復してやると、ポツリと短い返事が来る。

「うん」


 雨の日の図書室に音は少ない。


 ざあざあという音のカーテンに遮られ他の教室よりも空調のよく効くここは、オレンジ色の電灯の光とあいまってさながら異世界となる。

 そんな異世界の中で私と彼。金井美保と杉田龍成はそれぞれの本に目を落としつつ言葉を交わしていた。テスト前でもなければ放課後の図書室だなんて寂しい場所には人が寄り付かず、自然といつもの面子というやつができあがる。彼は四組の理系で私は二組の文系。そんな最近人づてに聞いた情報を得意げに思い出し、ささやかながら自分たちの不透明な関係に頬を緩めた。


『恋愛って何だろう』


 要約すればそんな質問だ。臆病な私はグニャグニャと紆余曲折を経て絞り出した。

 彼は、杉田君はおそらく恋愛小説が好きだ。切ったような薄い目を眼鏡に隠して紙面を睨みつける。純文学でも、ライトノベルでも、彼の磁器のような細い手にはいつも恋愛小説が握られていた。

「綺麗ですもんね、ホタル」

 夜の河川敷を舞う無数の光を想いながらページを捲る。祭りの後だろうか。にぎやかな声は遠くに、冷たい石畳の上にはポツポツと人影が見える。その影のどれもが寄り添い合うのを横目で感じながら隣を見上げれば、眼鏡の君が――


「金井さんは?」


「へ?」

 異世界に帰ってきた彼女は、気の抜けた返事をした。

「僕は『ホタル』だけど、金井さんは?」

 悪い癖だとよく言われる。長く話すのがどうにも苦手で、言葉を短く切ってしまう癖。素直に「僕は恋愛のことをホタルのようだと思うんだけど、金井さんはどう思うかな?」と言えばいい。その方がよく伝わる。それは僕でも分かっている。ただ、その当たり前ができない自分を甘やかしてくれる彼女と居ると、口は少ししか動かなかった。

「そ、そうですね……『宝石』でしょうか」

 宝石。キラキラしていて綺麗で、高価で、誰もが欲しがる手の届かないもの……か。


「素敵だね」

「ええっ!? ほ、ホタルもとっても素敵ですよ!」

 素直に素敵だと、そう思った。歪んだ僕とは大違いだ。

 金井さんの思いは分かっている。そもそも分かりやすいんだけど、を向けられるのは初めてじゃない。きっとこう言えば喜んでくれるんだろうな、とか、彼女は僕にこう言ってほしいんだろうな、そんな言葉を選んでみる。それだけでも最低だな、僕は。


――キーンコーンカーンコーン


「あっ、すみません。私もう帰らなきゃ」

 いつものチャイムに攫われるように彼女が席を立つ。疼いて痒くなる喉に気づかないふりをして本を閉じ、今日初めて彼女の顔を見た。少女というのが正しいのであろう幼さを感じる顔立ちに少し野暮ったい雰囲気。おさげにまとめた髪なんてどこのマンガの登場人物だよと思う。今一番僕が触れたくて、帰したくなくて――怖い顔。


「……うん。さようなら」

「はい。また明日」


 杉田龍成は過去の苦い記憶から目を逸らすように本に目を落とした。そんなナレーションが頭に流れるほどには本の内容なんて頭に入ってこなかった。

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二人芝居 にとろげん @nitrogen1105

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