思考と表現

 思考すること、表現することについて、あらためて認識しなおすこと。とっても有意義だったと思う。有意義といっても言葉が浅いかもしれない。なんだか、深いところの認識にとどいた気分だ。いや実際、気分というたったいっときのことではなく、とどいたのだろう。こういうのは、ほんとうの意味ではきっとあとになって、じわじわとわかるのだろうけれど。

 ひとはいろんなことを考える。いろんな枠組みのなかで考える。そうして自分の枠組みができていく。立場ができていく。足もとができていく。それらはときには偏見だとかバイアスだとか言われる。それもまた真実だ。でも、だからといって枠組みや立場が悪いというわけではない。

 重要なのは、他の枠組みや立場をどう理解するかということ。自分だけの枠組みだけで世界を切り取らず、むしろもっと鮮やかに見ていくこと。自分だけの立場で世界を、人生をあゆんでいくのではなく、他人の立場をもときにはあゆみ、すすめることさえできる自分であること。

 どれも、とってもむずかしいことだ。でも、できるといいなって、思うのだ。

 自分だけの枠組みや立場にとらわれてしまうこと。そうすると、他者が理解できなくなる。感情が、事情が、価値が。なにもかも。その世界はいわば、認識の牢獄だ。

 認識の牢獄はつらい。身体も自由で、心も自由なつもりでいて、他人の声はきっときっとそこには深くはとどかない。刺さらない。どこかに漂ったままで。

 孤独、ということだ。それは。

 世界はそんなに狭くない――そう実感するには、なにも外に出ていく必要はないのだ。もちろん、外に行くのも悪くないけれど。本を読むのも悪くないけれど。でもいまこんなご時世ですし。なかなか、外に出よとも言いづらい時代ですよね。

 だから、外に出るのも本に出るのもきっと絶対条件ではない。ただ深く自分をたすけてくれる。いろんなことを知って、見て、考えることをたすけてくれる。だからできればやったほうがいい。でも、それだけではない。

 重要なのは、自分自身の考えを確立したあとで、なおかつ、他人の考えをじっと見ること。見据えること。

 そのためには、思考と表現が欠かせない。いつまでも、いつまでも、つづけていきたい、ことである。

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いつもの日々を、とくべつに感じていく。 柳なつき @natsuki0710

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