季節のように、すすんでいくこと

 なにかを瞑想のように書く、ということはたしかにやってみると意外と、そのときに思っていることがあらわになる。その瞬間、という意味でもそうだし、その日々の暮らし、もっと言うならばその時代、という意味でもそうだ。

 時代、というのが人生にはそれぞれあると思っている。季節のようなものだ。逆に、なかなか移り変わらない季節はけっこうもどかしいし、ある意味でせつない。いけない、というわけではないのだけれど、春のまま終わってしまう一生もそれはそれでかなしい――もちろん、永遠に花が咲き蝶々が舞っているのだからよいではないか、と考えることもできるのだけれど。

 季節にも、人生にも、春夏秋冬があると私は思っている。生まれた月とはまた違い、ひとは確かにこの順番で人生をめぐっていくような気がするのだ。春を最初に置いたのはいったいだれだったろう。しかし、うまいことだったと思う。夏も、秋も、冬もはじまりとは思わないし(冬はすこしはじまりの気配を孕んでいるとはいえ、それはやはり同時におわりの気配をも孕んでいるからではないかと思う)、実際それらに意義をとなえているひともあまり見たことがない(まったくいないとは言わないけれど)。

 春のまま、終わる人生とはどんなものだろう。不可抗力の場合もある。けれども、みずからとめてしまう場合も、ある。春はいちばん過ごしやすい。おわりの気配に怯えなくても済む。けれども「時間は平等」で、春のまま、ずっと春のままであろうと「そのとき」はくる、いずれはおそらくかならずくる。

 夏も知らず秋も知らず冬も知らず果てるのは、もどかしいし、せつないし、かなしい。これこそが私の勝手な価値観と言われてしまっては――その通り、なのだけれども。

 だから、でも、それでも、私は季節をすすめたいと、やはり思う。

 個人的な所感として、私の季節は、いま、夏だ。すこし、かなり暑くなりはじめたかもしれない。過ごすのに過酷な季節だ。しかし、いろんなことが育って、実りの準備をする季節でもある。どんどん成長していくさまざまなものごとを見るのはとてもおもしろいし、生きがいでもある。

 すすんでいく。そのことを、季節とともに、忘れないでいたい、とか思う。

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