タイミング、とか

 頭がまっしろになる、ということがある。だれしもあることだと思う。でも私もなる。とくに「忙しい」と思っているときなんかは、ある。

 思考がとまる。というか、頭がうごかない、というべきか。そういうときは休むべきだ。でもなかなかに休めないこともある。それが錯覚なのかもしれない。あるいはそれがもう判断を誤っている、ということになるのかもしれない。

 いま、なにか、やらねばいけない。休めない、というか無理に休んでしまえば休めるんだろうけれど、そうすると滞る、というのは果たして現代人の病気なのかそれとも「ふつう」の「常識」なのかと言うべきか。

 逃げていい、休むべき、と言われはじめて、いまやある種の「常識」として共有されつつある。そんな状況になって久しい気もする。それはたしかにそうだろう。「とにかくやれ」という根性論の時代よりはずっとずっとましなはずだ。

 けれども、逃げること、休むことに一点の曇りなく間違いがないとも思えないのだ。

 なにかを、成し遂げたい。そういうときにはたまに、というかわりと、タイミングという要素がかかわってくる。あとで、ではだめ。いま、やらねば、だめなのだということがたくさん。

 もちろん、それでもどうしても無理というときはあるだろう。その場合はしょうがない。でもおなじチャンスが、あるいはおなじようなチャンスが、次にくるかというとそれはわからない。運とかいう、気まぐれな話にもなってきてしまうからだ。

 だから、難しい。自分自身の思考のしろさと、日々のカラフルさにどこまで折り合いをつけていくか。そりゃまあ思考がしろければできれば日々もまっしろにしてしまいたい。でもそれは必要なことなのかな、願望なのかな、それとも欲求なのかな。その区別を見極めることが肝要なのかなと感じては、いる。

 ただ、ほんとうはいつでもどこでも、休めるときは休んで、やれるときはやって――そうだといいなあ、なんて思うのだけれど。いまはまだ、無茶な話ですね。百年後、あるいは千年後ならいざ知らず。いや、百年後、千年後だって、それはわからないね。

 タイミングというのはいつもこうして、つきまとう。私はいつもタイミングについていくのに精いっぱいだ。たまにはタイミングを引き寄せて、タイミングよりリードしてみたい。そのためにはまだまだこれから、修行とか、そういうのが必要なのかもしれないよね。

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