「異」と、なにか
異、ということについて考える。ことなる、と読んでもいいし、い、と読んでもいい。異なる、あるいは、異質や異界や、そういう言葉についてとりわけ最近よく考える。
異、であるとはどういうことであろうか。古来よりひとびとは「異」を認識していたように思う。それは神の領域として、あるいは妖怪など「怪異」の領域として、ともかく自分たちとは異なるなにかとして、それらを認識していたように思う。
では人間が「異」をその身に宿していないかというと、そんなこともない。
日本では、人間が神になることも、人間が妖怪になることもある。神が妖怪になることもあるし、妖怪が神になることもあるけれど(祀られているか、どうか、というポイントが重要になってくるらしい)。「異」になる可能性を、人間は深く宿している。そしてかならずしも神や妖怪やあるいはその他超常的な存在にならなくたって、人間はやはりどこか「異」を抱いてすこしずれているようにも、私には思えるのだ。
そんな「異」がたとえば神やあやかしと共鳴する。
ひとは、「なにか」をたえず求めているという。すくなくとも、先日お話させていただいたとある方はそうおっしゃっていた。だから人間は「宗教的なもの」を必要とする。かならずしもそれが「信仰」とか「宗教」とかいうかたちではなくとも、でも人間には「なにか」そういったものが必要なのだ、というお話だったし、それは、ほんとうにそうなのかもしれない。
神社やお寺や教会、あるいは大自然などで「なにか」を感じる。旅行や散策が好きな方は多くおられるであろうが(私もそうです)、そのすべて、とまで言えなくとも(新しいスポットやおしゃれなカフェやお店や美味しいものなんかも求めているだろうし)、その動機のどこかには、やっぱり「なにか」を求めている、というものもある、のではないだろうか。すくなくとも、やはり、私はそうだ。
現代の社会。科学的で、効率的で。それでいて、ひとはいだく「異」に呼応する「なにか」を求めて毎日毎日、暮らしているのかもしれない。
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