第24話 不思議な少女(3)

 建物の中心部へ歩を進めるたびに、歓声や怒号もより近づいてきた。もはやがなり声と呼べるくらいに騒々しい。

 開けた場所にようやくでたとき、暗闇に慣れていた目に太陽光が突き刺さって春野はつい目を細め、手で瞼を覆った。真っ白に染まった視界が徐々に光に慣れていくと、そこに現れたのはたくさんの観客で席が埋め尽くされた闘技場だった。

 がなり声に等しい歓声に混じって、どこからか金属音が響き渡る。階段状になった観客席をくだっていった先に、どの席からでも見えるような丸い空間があり、そこでは2人の男たちが互いに持つ剣で火花を散らしていた。


「もう始まってる!」


 ジェーンはそう叫ぶなり、春野の手を引いて勢いよく通路の階段をくだっていった。春野はただ、転ばないようにしながら、ついていくので精一杯だ。


「そこ空いてる? ちょっと通して!」


 ジェーンは、端っこの席にいた観客の1人に話しかけて、席を2人分確保した。


「よし、なんとか座れた!」


 ふぅ〜、と小さくため息を吐きつつ、ジェーンは額に浮かぶ汗を払う。春野も同じようにして額と顎に伝う汗を手で拭った。天上にある太陽の熱だけではない。人々の興奮と熱気の渦がより体温を上昇させていた。

 席にようやく落ち着いたあいだにも、戦いは続く。剣士たちの剣が重なり合うたびに、人々の声に時折どよめきが混じった。

 春野は周りの人たちが見ているものと同じものに目を向けた。剣士たちの顔は、春野がいる位置からでは遠くて見えづらい。1人は上半身裸で、太陽の光に反射した筋骨隆々の体には、遠くから見ても無数の傷で埋め尽くされていて、それが逆に彼自身の自信を象っているかのようだ。どんな敵をも恐れることなく立ち向かう強さを感じさせた。

 一方で、彼の相手をしている者はどうだろう? 春野は、もう1人の剣士に視線を注いだ。そちらはちゃんと上下共に白い布を巻いている上に、体も。傷だらけの体を太陽の下にさらす男よりも若干細身に見える。


 いったいどちらが、観客たちの言っていた「百戦百勝の剣使い」なのか。

 それをジェーンに聞こうと、彼女の方を向いて口を開いたとき、一際高い歓声があたりに響いた。驚いた春野は、再び中心部へと目を向ける。服を着た方の剣士が、突如目にも止まらぬ速さと技術で剣を奮い、筋肉の方の男を圧倒し始めたのだ。

 やがて劣勢を強いられた男の方は、徐々に足を後退していく。あ、と思ったときには遅かった。足を滑らせて地面に尻をつかせた彼の身に勢いよく剣が振り下ろされる――。

 春野は思わずギュッと目をつぶった。人々の歓声に混じって、肉を貫くような音がたしかに春野の耳には届いた。


 あれほど騒がしかった歓声が止む。春野が恐る恐る目を開くと、そこには地面に大の字に倒れた状態の筋肉の男が1人。細身の男が手にしていた剣をその心臓に突き立て、そこから赤い血がどくどくと、川のようになって地面を濡らしていた。

 なんてこと……。つい、春野は呻き声を漏らしてしまう。

 だが、春野が受けたショックとは正反対に、人々の興奮は最高潮に達していた。細身の男が「どうだ」とばかりに空へ向けて広げた腕に、一瞬静まったはずの世界に、再び歓声や怒号が巻き起こる。


「さすがだ、百戦百勝の剣士!」

「今回も大勝利!」


 沸き立つ歓声のなかで、春野は気分が悪くなりそうだった。





 会場から出ると、ジェーンが「楽しかったね〜」と空へ向けて伸びをしながら、満足げにそう言った。

 さっきまで同じ会場にいた周りに人たちもそうだ。彼らは口々に「すごい良い試合だった!」「こんなものを見られるなんて感激だ」などと、口々に言い合っている。春野にはよくわからない感覚だったが、せっかく盛り上がっているジェーンの空気を壊したくなくて、「そうですね」と曖昧にうなずいた。


「ここでは、いつもああやって誰かと誰かが殺し合いをしているのですか?」

「殺し合いって……」


 春野の容赦無い物言いに、ジェーンはちょっと呆れて「戦ってるんだよ」と訂正してきた。


「もちろん、いつもだよ。この闘技場はね、大浴場よりもさらに人気のある場所で、町を訪れる人たちもここを求めてわざわざ遠方から足を運ぶ人までいるんだから!」


 相当な物好きだ。きっとその感覚を春野は一生、理解することができないだろう。

 例えば、今日殺された筋肉質の男にだって。家族がいたはずだ。彼を愛する人、彼の帰りを心待ちにしている人。でも彼は、もう二度とそういった人たちのもとへ帰れなくなった。

 何故って? 殺されたからだ。つい数分前までたしかにこの世にいた男は、心臓を剣で深々と突き刺され、あっけなく絶命してしまった。見た目からして、あんなに強そうだったのに自分よりも体格の細い――とはいえ春野に比べたらやっぱり大きいけど――男に負けて、死んでしまった。

 もちろん、筋肉の男が勝っていたら、間違いなく殺されていたのは細身の方だったろう。どちらにしろ、二度とこんなものは見たくない。金を払ってまで見るものでもない気がした。


「……あー、あー。えっと、えーっと。お腹空いてきましたね!」

「そうね。じゃあ、お母さんが持たせてくれたパン食べよっか!」


 ジェーンは懐を探って、そこから布に包まれたパンを取り出す。


「近くに広場があるはずだからそこで食べよう」


 ジェーンの提案に春野はうなずき、道を急いだ。できるなら早く遠ざかりたかった。

 訪れた広場では、ちょうど市場が店仕舞いをする時間帯らしかった。あちこちで広げられていたテントや敷布が片付けられていて、場所も充分に確保できる。

 ジェーンに案内されるまま建物の軒下にあるベンチに腰掛けた。早速パンを包んでいた布を解いたジェーンが、「あちゃ〜」と声を上げる。


「さっき人混みにもみくちゃにされたから、ちょっと形悪くなってる」


 申し訳無さそうに「ごめんね」と謝るジェーンに、春野は「大丈夫ですよ」と首を横に振った。形がどうあれ、食べられれば問題はない。

 だが、ジェーンが取り出したパンを見たとき。春野は顔をひきつらせてしまう。


 取り出されたのは、丸く象られたパン。たしかにジェーンの言う通り、もみくちゃにされた影響で形が歪に潰れ、さらにそこから赤いジャムがどろりとこぼれている。

 思い出されるのは、先ほどの闘技場での試合の一部始終。あの場で心臓を貫かれた挙句、体内にある血を、川のように流して殺された、筋肉質の男の姿だった。


「やめとく?」


 よほど自分はひどい顔色をしているのかもしれない。隣にいるジェーンが気遣わしげに視線を向けてきたので、春野は「いえ」と首を横に振った。


「食べます。せっかくですし」


 覚悟を決めて、春野は潰れたジャムパンを手にする。


 大丈夫、これは人の肉じゃない。血じゃない。裏のパン屋のおばちゃんが毎朝早起きして作ってくれるパンなんだから。そしてそれを、お母さんは「お昼に」と持たせてくれたのだ――。


 自分にそう言い聞かせ、春野はジャムパンにかぶりついた。

 ジャムのどろりとした舌触りが、血と同じでないことを祈るので精一杯だった。

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Anise 凪野海里 @nagiumi

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