第23話 不思議な少女(2)

「ね、入ってみましょうよ!」


 ジェーンがそう提案してきた。辺りが騒がしいせいで、いつもよりもさらに距離が近い。春野の耳元に口を寄せて、それでもなお大きな声を出しているが、そうでもしないとすぐに辺りの喧騒にかき消えてしまいそうだった。


「多少はお金かかるけど、おごるから!」

「わかりました!」


 騒がしい場所は好きではないため、あまり気乗りはしなかったけれど。これも記憶を取り戻すためだ。何が手がかりになるかもわからないから、試せるものは片っ端から試していきたい。

 春野はうなずいた。ジェーンはいまだ離さない腕を引っ張って入り口の群衆のなかへと向かっていく。


「はい、いらっしゃい。楽しんでね」


 受付にいた男の人にジェーンはいくらかの銅貨を渡した。


「えーっと、今日は誰がでてるんだろう」


 独り言のように呟きながら、ジェーンは人が集まっている場所へと歩いていく。ついていくしかない春野は、群衆にもみくちゃにされながら、なんとか離れないように進むので精一杯だった。


「百戦百勝の、あの有名な剣使いがでるらしいぞ」

「本当か!?」

「通りで今日は一段と人の多い……! 是非、一目拝みたいよ」


 中央へ向かって歩いている集団のなかでそんな声が聞こえた。どうやらそれほど有名な人が何かをやるらしい。

 それにしても、剣?

 前を進むジェーンでさえ「ほんとに!?」と興奮した様子で春野へ振り向いてきた。


「ラッキーよ、春野! こんな試合滅多に見られないわ!」

「そ、そうですか……」


 反対に春野は困惑してしまう。そんなことよりも、いったいどこへ進むというのか。周りは背の高い大人たちばかりで、空の色さえわからない。正直に言えば、さっさと用事を済ませて帰りたいくらいだった。

 そのとき、道の先で「わっ!」と大きな歓声があがった。


「剣使いが来たぞ!」

「こりゃ見ものだ!」

「どけどけ、早く見せろ!」


 歓声があがった途端、人の流れがより一層激しさを増した。春野は辺りの大人たちにもみくちゃにされる。

 そして、気がついたときには遅かった。「あ」叫ばれジェーンの小さな声がして間もなく、春野は前につんのめって転びそうになる。

 そのとき、ジェーンと繋いでいない方の手を誰かに掴まれた。


「わっ! わわっ」


 そのまま人の流れに逆らうかのように、横道へと引っ張られた。

 不思議だった。あれほど動くのもままならい状態だったと言うのに、急に人の波が自分たちの進む道を、自然と開けている。なのに、耐えることのない流れは、どんどん建物の中心部へと急いでいく。

 春野はそのなかで、自分を引っ張ってきた相手の後ろ姿を見た。白い布をフードのようにして頭をすっぽりと覆い隠している。背丈は、春野とそう変わらない。白い布からはみ出た白い手は、春野の腕をしっかり掴んでいた。

 ジェーンではない、よな? 春野は首を傾げた。もしかして誰かと間違えているのかもしれない。春野は「あの」と声をかけた。

 しかし、相手からの反応はなかった。もしかして人が多いせいで聞こえていないのかもしれない。

 やがて横道にそれた2人は、人の波から遠ざかっていき、気がつくと辺りには誰もいなかった。


 廊下の真ん中で、春野は見知らぬ子どもと共にいた。


「……あの」


 ありがとうございます、とお礼を言った。もしこの子どもに引っ張られていなければ、自分は今頃転んでいて、人の波にさらにもみくちゃにされていただろうから。

 いったいこの子どもは、誰なのだろう。

 そのとき、子どもはようやく春野へと振り向いた。ところが、フードが影になっているせいで顔は見えなかった。


「え……と。あ、私は春野っていいます! あなたは誰ですか?」


 子どもは答えなかった。

 聞こえないわけでもあるまい。

 同時に、春野は周囲の異変にようやく気がつく。

 さっきまで、外まで響くほど騒がしかったはずなのに、周囲にはいつの間にか喧騒の声1つ、聞こえてこないのだ。

 まるで、自分たちだけが世界の何処かから切り離されたような感覚だ。辺りを覆いだした奇妙さに、いっそ不安が押し寄せてくる。


「あの、誰なのですか?」


 ここまで自分を引っ張ってきた子どもが、「助けてくれた」というよりも「誘導してきた」ように感じられた。いったい、この子どもは何者なのか。自分に何の用があるのか。ただ助けてくれたとは、どうしても思えなかった。

 相手の様子を伺っていると、不意に子どもはスッと音もなく近づいてきた。後ずさろうと身構えた春野の耳元に向けて、子どもは語りかける。


「思い出して」

「え?」


 どういう意味ですか。聞き返した春野の後ろで「春野ぉ!」と呼ぶ声が響いたのは同時だった。

 振り向いた春野は、向こうの方からジェーンが走ってくる姿を認める。


「ジェーン!」

「もう、どこ行ってたのよ……。探したのよ」


 ジェーンは春野の前で立ち止まると、ハアハアと肩で息を繰り返した。


「……まあ、手を離したアタシも悪いけど」

「助けてもらったんです。それでここまで連れてこられて」

「誰に?」

「誰って。この子に……あれ?」


 もう一度子どものほうへ目を戻したが、いつの間にか例の子どもはいなくなっていた。

 同時に、どこからかワッと歓声が響き渡る。世界に音が戻ってきたかのように、途端に辺りは騒がしくなった。


「春野?」

「さっきまでここにいたんですよ。どこ行っちゃったんでしょう?」


 慌てて辺りを見渡してみるけれど、人が隠れられそうな場所はないし、道は奥までずっと1本だ。いったいどこへ行ってしまったというのだろう。

 狐につままれたような気持ちで佇んでいると、しびれを切らしたジェーンが「とにかく!」と声を張り上げ春野の腕を取ってきた。


「早く行きましょ! もう席がないかもしれない!」

「そうですね……」


 もう少し探していたかったが、たしかに闘技場の方も気になった。

 また白いフードの子どもに会えるようにと願いつつ、春野は再びジェーンに腕を引かれてその場から急いで離れた。

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