クイズは百薬の長

snowdrop

孫は子より可愛い

「いざ決戦、ご長寿ご長寿早押しクイズ~」


 進行役が声を絞り出すと、教室の端に立ち並ぶ十数人の高齢者らが一斉に拍手した。

 室内の中央には机が横並びに置かれ、古びた早押し機が一台ずつ用意されている。

 拍手の中、出場者の三人が席に着く。


「おーっ、ナツイですね。この早押し機は、共立電子産業株式会社のワンダーキットシリーズの早押し判定キットを買って、みんなで作ったヤツじゃないか。かなりボロだけど、修理されて使い込まれてる感がある」


 手の内におさまるほど小さい早押しボタン。

 真ん中の席に座る元部長は目尻に皺を作り、撫でながらつぶやいた。


「休憩時間は、早押し機のかわりに電卓をよく使ってたよなぁ。各自、押す数字を決めてから、答えがわかったら声を出しつつボタンを押して。一番早く押した数字が表示されるし、数字だけなら九人、記号もつかえばそれ以上の人数でも参加できる。なにより、二番目以降に押した人がだれかもわかるから、一石三鳥くらいなんだよね。白熱しすぎて壊したこともあったよな」


 元部長の右隣に座る元書紀は、ニヤニヤしながらシミのある両手で早押し機を持つ。


「そうそう、よくおぼえてるね。それだけじゃなくて、えーっと、あれも使ってたけど、なんだっけかな」


 元部長の左隣に座る元副部長は、生え際が後退した額に手を当てて首を傾げた。


「あれとは?」

 元部長が訊ねた。


「最近名前がすんなり出てこなくなってきて」

 元副部長の言葉に、元書紀は黙ってうなずいている。


「えっと……あ、思い出した。ウルトラクイズのボードゲームの早押し機だ。あれも使ったことがあったと思うんだけど」


 ようやく思い出せた元副部長の言葉に、「あったあった」と二人がはしゃぎだす。


「あれは正解不正解のとき、音を鳴らせるのがよかったですね。みんなで早押し機をつくってからは、使わなくなったけど」

「俺達が高校生のころだから、懐かしいはずだよ。あれから半世紀くらいたってるんだから」

 

 元部長、元書紀、元副部長が、いっそう深い皺を作って微笑む。

 顔や見た目は老いてはいたが、彼らの目は当時と変わらず、少年の瞳をしていた。


「突然ではありましたが、クイケンの同窓会に集まっていただき、皆様ありがとうございます。かつて青春をかけて夢中になったクイズが、僕たちにはありました。互いに離れていた時間が長くとも、言葉を交わさなくても、いまもクイズで繋がっているのです。僕たちの後輩たちが引き継いで使い続けてきている早押し機を、今回のクイズに使用することにしました」

 進行役の説明を聞いて、出席者全員が感嘆の声を上げる。


「まだ現役ってところがすごい」

 元部長の声が弾む。

「うん。もちろん、手直しはしてるだろうけどね」

 元副部長は、しんみりとつぶやく。

「タッチパネルでは味わえない、アナログの指の感触がいいよね」

 元書紀は包み込むように早押し機を握った。

 

 進行役の「ボタンチェックをしてください」の声を合図を聞いて、我先にとボタンを押していく。

 聞き慣れた音を耳にしながら、次第にクイズプレイヤーの顔になっていった。


「みなさん高齢者になられたことにちなみにまして、本日はご長寿によります、ご長寿早押しクイズをやりたいと思います」


 進行役の言葉を遮るように、元部長が手を挙げる。


「高齢者とは何歳のことでしょう。国連では六十歳以上、国連の世界保健機関だと、公的年金の受給資格者とおなじ六十五歳から。道路交通法の高齢運転者は七十歳以上。高齢者の医療の確保に関する法律では、前期高齢者が六十五歳から七十四歳、後期高齢者は七十五歳以上となっています」


「世界全体では男女平均が七十歳を超えていますが、今回は古希を基準にしています」


 進行役の言葉をきいて元書紀が、「俺達はまだ高齢者じゃないぞ~」と声を上げた。

 そうだそうだ、と元部長が笑いながら続く。


「でもまあ、前期高齢者ですし、企画意図は概ねまちがっていないのではないかと」

 元副部長が背を丸めて笑みを浮かべる。

 まあそうだけどね、と三人は笑いあった。


「ルールの説明をします。ご長寿の偉人が答えになる早押しクイズを行います。わたくしの手元には、偉人のクイズが書かれたカードが百枚あります。よくよくシャッフルしてから、一枚ずつ引いて、問題を出していきます。正解の人物が亡くなった年齢から、七十歳を引いた年齢が得点となります。正解した場合、得点を自分に入れるか、相手に入れるかを決めることができます」


 元書紀が小さく手を挙げる。

「なるほど。つまり、夭逝した人物だった場合は、得点がマイナスになるんだな」


「そのとおりです」

 進行役がうなずく。

「出題する問題の中には、七十歳より前に亡くなっている偉人も入っていますので、この偉人は短命だと思ったときは、渡したい相手の名前を宣言してください。誤答した場合、残りの参加者に解答権が移ります。全員が誤答した場合、偉人の享年に関係なく、全員二十ポイントずつ引かれます。全部で十問出題します。終了時、得点が一番高い人が勝者となり、ささやかではありますが賞金をゲットできます」


「へえ」

 三人は適当にうなずいた。

 賞金とかいいながら、勝者に贈られるのは名誉だけなのはいつものこと。仮に用意していたとしても、大した額ではない。


「ちなみに、いくらなんですか?」

 何気なく元書紀が質問した。

「十万円です」


 進行役の返答に、三人が色めき立つ。


「まじかっ」

 元書紀は嬉しそうな声を上げ、

「俄然やる気が出てきました」

 元副部長が猫背だった背筋を伸ばし、

「賞金は俺がいただくぜ」

 元部長は鼻息荒く、早押しボタンに指を乗せた。


 進行役が手元に置かれたカードの山札の一番上から一枚引く。

「それではいきます。問題。小説『若きウェルテルの悩み』や」


 ピンポーンと音が鳴り響く。

 問題文の途中で早押しボタンを押したのは、元部長だった。


「ゲーテ」

「正解です」


 ピポピポーンと軽快に音が鳴り響いた。

 元書紀と元副部長は小さく手を叩く。

 周りでみている元部員たちも拍手した。


「一応、続きを読みます。小説『若きウェルテルの悩み』や詩劇『ファウスト』などの作品を残したドイツを代表する文豪は誰か? 答えはゲーテでした」


「これは俺に入れる」

 元部長はいししし、と歯を見せて笑う。


「自分に入れるんですね」

「この人は長生きだったからね」

「ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテが亡くなったのは八十三歳です。元部長、十三ポイント獲得です」


 元部長は片手でVサインをしてみせる。

「ゲーテが人生最後に語ったとされる『もっと光を』ですが、死の三十分前に『もっと光が入るように寝室のよろい戸を開けてくれ』と召使いに告げたものだそうです」

「相変わらず博識ですね」

「老いたとはいえ、まだまだ若い者には負けてないと思ってますから」


 元部長の言葉を聞きながら、元副部長と元書紀は何度もうなずく。

 三人は横目で見合い、早押しボタンに指を置く。

 

 進行役が一枚、手元のカードの山札から引く。

「問題。ウィーンの三大作曲家といえばモーツアルト、」


 一斉に早押しボタンを押した。

 押し勝ったのは、元書紀。


「ベートーヴェン」

「正解です」


 ピポピポーンと軽快に音が鳴り響いた。

 元部長と元副部長、元部員たちも拍手した。


「問題文をもう一度読みます。ウィーンの三大作曲家といえばモーツアルト、ハイドンとあと一人は誰でしょうか。答えはベートヴェンでした。では、どうしますか?」

「この人は、モーツアルトより長生きだったけど、どうなんだろう。有名な音楽家って短命な気もするんだけど……わからない。だから元副部長にあげるね」


 顎を撫でつつ元書紀はつぶやいた。

 おっ、と元副部長は声を上げそうになる。


「ベートーヴェンは、五十六歳のときに肝硬変で亡くなりました。元副部長は、マイナス十四ポイントになります」


 進行役の答えをきいて元書紀は、「よしっ」と握りこぶしを作って顔の前で振る。

 元副部長は「ひょえ~」と小さく声を上げた。


「ベートーヴェンが亡くなった年齢は知っていたから押さなかったんだけれども、このクイズは答えないと自分に入ってきてしまうルールだというのを忘れてました」


 元副部長の言い訳に、そうですねと元部長がうなずいた。

 三人は早押しボタンに指を乗せる。


 進行役は咳払いをし、手元のカードの山札から一枚引いた。

「問題。世界三大美女の一人と言われ、酢に真珠を溶かして飲んだと」


 三人が一斉に早押しボタンを押した。

 解答券を得たのは元副部長だった。


「クレオパトラ」

「正解です」


 ピポピポーンと軽快に音が鳴り響いた。

 元部長と元書紀、元部員たちも拍手する。


「問題文をもう一度読みます。世界三大美女の一人と言われ、酢に真珠を溶かして飲んだと伝えられるエジプトの女王は誰でしょうか。答えはクレオパトラ七世フィロパトルでした。では、どうしますか?」

「紀元前の人だから、そんなに長生きではないと思うので、元部長に譲ります」

「俺にかよっ」


 元副部長の決断に速攻で元部長がツッコミを入れた。


「クレオパトラは三十九歳で亡くなっています。オクタヴィアヌスの捕虜となったクレオパトラは、屈することを拒んで自殺したと伝えられています。というわけで、元部長にマイナス三十一ポイント当てられ、結果マイナス十八ポイントになりました」

「うわ~、まじかよ」


 元部長は薄くなった頭をかきつつ苦笑いをうかべた。

「真珠の主成分は炭酸カルシウムなので、酢の主成分である酢酸で溶けるのは当たり前なのですが、クレオパトラが使ったとされるワインビネガーはpH3、酸度は六パーセントぐらいのものだと過程すると、溶けて泡が出てきても、すべてが溶け切るまでにはかなりの時間がかかると思います。それに溶けて酸性が弱まると、飲めるかもしれないけど苦くなって美味しくなくなるはずなんだよね……飲んだことはないけど」

「飲んでないのか」


 軽く笑いあった三人は眼光を鋭くし、早押しボタンに指を乗せた。

 

 進行役が手元のカードの山札から一枚引き、目を細める。

「問題。アメリカ合衆国の小説家で代表作が『エデンの園』、」


 いち早くボタンを押したのは元書紀。


「アーネスト・へミングウェイ」

「正解です」

 ピポピポーンと軽快に音が鳴り響いた。

 元部長と元副部長、元部員たちも拍手する。


「問題文をもう一度読みます。アメリカ合衆国の小説家で代表作が『エデンの園』、『老人と海』といえば誰でしょうか。答えはアーネスト・ヘミングウェイでした。それでは、どうしますか?」


「老人の話を書いてるくらいだから、長生きなんじゃないのかな。僕は自分に入れます」

 元書紀は小さく微笑みつつ、首を傾げた。


「アーネスト・ヘミングウェイは六十一歳で亡くなってます」

「まじかよっ」

 大声を上げる元書紀。

 答えを知っていたのだろう。

 元部長と元副部長は、吹き出して笑っていた。


「晩年は、事故の後遺症による躁鬱など精神的な病気に悩まされ、ショットガンで自殺したそうです。というわけでマイナス九ポイント獲得しました」

「嬉しくねえよっ」

 結果を聞いた元書紀は苦笑いを浮かべた。

 みている元部員たちからも笑いが起きる。

 笑った笑ったと言いつつ、先に二人が早押しボタンに指をかけた。


 進行役が手元に置かれたカードの山札から一枚引く。

「問題。ロシアの文豪で代表作が『罪と罰』」


 三人とも早押しボタンを押した。

 押し勝ったのは元部長。


「ドストエフスキー」

「正解です」

 ピポピポーンと軽快に音が鳴り響いた。

 元書紀と元副部長は小さく手を叩く。

 みている元部員たちも手を叩いた。


「問題文をもう一度読みます。ロシアの文豪で代表作が『罪と罰』といえば、その作者は誰でしょうか。答えは、フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーでした。それでは、どうしますか?」


「享年……覚えてないなあ。ギャンブル好きだったらしく、不倫旅行中にカジノで全財産無くして、出版社に泣きついて前借りしてたとか、小説家のくせして書くのが嫌で、筆記係にしゃべりまくったことを文章に起こしてもらってできた小説のタイトルが『ギャンブラー』だったとか。その筆記者と結婚したとか。『白痴』の処刑直前の描写が実体験のように書かれているのは、作者が実際に処刑や島流しにあっているからとか。そういうことは覚えてるのに……んー、ここは元書紀に譲ります」


 元部長の言葉を聞いた元書紀は、口を一文字に固く結んだ。


「フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーは、五十九歳で亡くなっています」

「やりぃ~」


 手を叩いて喜ぶ元部長。

 ぶぶぶーっ、と吹き出して、元書紀は天井を仰いだ。

 

「元書紀にはマイナス十一ポイント加算されましたので、合計マイナス二十ポイントです」

「ちょっと、おかしいんじゃないか」


 堪りかねて元書紀が声を上げる。

「ご長寿早押しクイズとか言いながら、ゲーテ以外、ご長寿じゃない偉人ばっかりだろ」

「確かに」

 元副部長も同意した。

「もう一度、山札をシャッフルし直したらどうかな」

 元部長の提案を聞いて、進行役は「わかりました」とシャッフルし始めた。

 念入りにカードを混ぜ終えると、山札から一枚引いた。


「問題。『最後の晩餐』や」


 三人は一斉に早押しボタンを押した。

 押し勝ったのは元副部長。


「レオナルド・ダ・ヴィンチ」

「正解です」

 ピポピポーンと軽快に音が鳴り響いた。

 元書紀と元副部長、元部員たちも手を叩いた。


「問題文をもう一度読みます。『最後の晩餐』や『モナリザ』で知られるルネッサンスを代表する人物といえば誰でしょうか。答えはレオナルド・ダ・ヴィンチでした。それでは、どうしますか」

「そうですね。どうしようかな」

 元副部長は顎をしゃくる。

「禿頭で髭もじゃの自画像は有名ですからね。あの顔はどう見ても高齢者って感じなので、自分に入れたいと思います」

 元副部長は進行役に笑顔を見せた。


「レオナルド・ダ・ヴィンチは六十七歳で亡くなっています」

「うわっ、足らないのか」

 元副部長は苦笑いを浮かべた。

「元副部長にはマイナス三ポイント加算されます。合計マイナス十七ポイントになりました」

「その偉人カード、ご長寿で亡くなった偉人が入ってるのか怪しくなってきたんだけど」


 元副部長が目を細めて、進行役の手元の山札をみる。

 

「偉人カードは、元部員の皆さんと協力してご用意しました。七割くらいが、ご長寿で亡くなられた偉人のカードが混ざっています」

 進行役は説明するも、三人はすんなり納得できない。


「でもまあ、シャッフルしたんだし、次も七十歳以下だったときは考えよう」

 元書紀の言葉に「そうだね」元部長と元副部長は同意した。


「では気を取り直しまして」

 進行役は山札から一枚、カードを引いた。

「問題。一九六九年のノーベル経済学賞を受賞した二人とは、ラグナル・フリッシュと誰」


 早押しに競り勝ったのは、元書紀だった。


「ヤン・ティンバーゲン」

「正解です」

 ピポピポーンと軽快に音が鳴り響いた。

 元部長と元副部長、元部員たちが小さく手を叩く。


「問題文をもう一度読みます。一九六九年のノーベル経済学賞を受賞した二人とは、ラグナル・フリッシュと誰でしょうか。答えはヤン・ティンバーゲンでした。それでは、どうしますか」


「どうしようかな」

 元書紀は顎を撫でる。

「ベタ問だったから答えられたけれど、長生きかどうかまでは知らないんだよ。残りの問題数を考えると、加点していかないと勝てないんで、自分に入れます」

 覚悟を決めた元書紀は、進行役を見つめた。


「わかりました。ヤン・ティンバーゲンは九十一歳で亡くなられています」

「よしっ」

 笑顔になった元書紀は、パチンと手を合わせた。

「元書紀には二十一ポイント加算されましたので、合計一ポイントです」

「シャッフルした効果がようやく出てきたぞ」

 喜ぶ元書紀をみながら、

「最下位から一気に首位かよ」

 元部長から笑みが消える。

 元副部長も下唇を噛んだ。

 口を閉じる三人が早押しボタンに指を乗せる。


 進行役が手元に置かれたカードの山札から一枚引く。

「問題。原子番号九十九の元素の名の由来と」


 いち早く早押しボタンを押したのは元部長だった。

 だが即答しない。

 少し時間をかけて考え、ゆっくり答える。

「アインシュタイン」

「正解です」

 ピポピポーンと軽快に音が鳴り響いた。

 元副部長と元書紀、元部員たちは拍手した。


「危ねぇ~、すぐに出てこなかった」

「押してから考えたんですね」

「うん、そう」

 うなずく元部長は、

「ど忘れとか、最近多いんだよね」

 照れ笑いを浮かべる。


「問題文をもう一度読みます。原子番号九十九の元素の名の由来となっている、『特殊相対性理論』や『一般相対性理論』を発表した物理学者は誰でしょうか。答えはアルベルト・アインシュタイン でした。それでは、どうしますか?」

「自分に入れます」

「即答ですね」

「この人は有名だから知ってる」

 知ってる、と答えながら元部長は何度もうなずいた。


「アルベルト・アインシュタインは、腹部大動脈瘤破裂で七十六歳で亡くなっています」

「そうですね。トーマス・シュトルツ・ハーベイ医師が臨終に付き添っていたんですが、許可を得ていないのに勝手に解剖をしてアインシュタインの脳を測定したりホルマリン漬けにしたり、あとでアインシュタインンの息子から脳の所有許可を得たので、ニューヨーク・タイムズに訃報が出たときにはそのことは書かれていなかったそうです」

「歳をとっても博識は健在ですね。これで元部長は六ポイント獲得。合計マイナス十二ポイントになりました」

「ご長寿なのにまだマイナスかよ」

 元部長から笑顔がすぐに消える。


 三人は早押しボタンに指を乗せた。

 進行役が手元に置かれたカードの山札から一枚引く。

「問題。ナチスから逃れてきた約六千人のユダヤ人に対し『命のビザ』を」


 三人は早押しボタンを押した。

 一番に押したのは、元副部長だった。


「杉原千畝」

「正解です」

 ピポピポーンと軽快に音が鳴り響いた。

 元部長と元書紀は小さく手を叩いた。

 周りの元部員たちからも拍手した。


「問題文をもう一度読みます。ナチスから逃れてきた約六千人のユダヤ人に対し『命のビザ』を発行した、戦前の外交官は誰でしょうか。答えは杉原千畝です。それでは、どうしますか」


「自分に入れます」

 元副部長は即答した。

 

「杉原千畝は八十六歳で亡くなってます」

 進行役の言葉に元副部長は、大きくうなずいてみせる。

「第二次大戦中、リトアニアで領事代理をしていた際、ナチス・ドイツの迫害を受けて逃れてきたユダヤ人に日本通過のビザを発給し、脱出を手助けした人ですね。ソ連の収容所に連行された後に帰国しましたが、外務省からは理由も告げられないまま退官させられてしまいます。彼の行動は外交官としては訓令違反だったから、というのが推測できます。当時、訓令違反は銃殺刑ものですからね」

「勇気ある行動が、国の命令に従わなかったということで公的に無視されつづけたんだよね。国会で正式に名誉を回復したのが一九九七年三月だったかな」

 元書紀が口を挟む。

 うなずく元部長。

「海外で彼の功績が讃えらていったんだよね。彼が亡くなって四半世紀ほどたった二〇〇〇年十月十日、故杉原氏の名誉回復を象徴する『杉原千畝を讃える顕影プレートの除幕式』が都内外交資料館で行われた。その際、当時の外務大臣が初めて外務省の非礼を認めて謝罪したんだよね」


「三人は、杉原千畝に詳しいですね」

 進行役の言葉に、「クイズプレイヤーでなくとも自国の偉人だから」と三人はつぶやいた。

「結果、元副部長には十六ポイント加算されましたので、合計マイナス一ポイントです」


「まだマイナスなんだ」

 あははは、と元服部長は乾いた笑いをした。


「次は最終問題です。問題の前に点数の確認をします。元部長がマイナス十二ポイント。元副部長がマイナス一ポイント。元書紀が一ポイントです」

「うわー、いまのところ俺が最下位かよ」

 元部長は笑うに笑えない。

 かといって、他の二人も得点にさほど差がなかった。

 三人は早押しボタンに指を乗せる。


「次の問題で勝者が決まります。はたしてどんなご長寿の偉人なのか」

 進行役は手元の山札に手を置き、一番上のカードを引く。

「問題。恋愛小説を書く際はメアリ・ウェストマコットというペンネーム」


 問題文の途中で、三人は早押しボタンを押した。

 最初に押したのは元部長。


「アガサ・クリスティ」

「正解です」

 ピポピポーンと軽快に音が鳴り響いた。

 元副部長と元書紀、元部員たちが大きく手を叩いた。


「問題をもう一度読みます。恋愛小説を書く際はメアリ・ウェストマコットというペンネームだった、エルキュール・ポアロやミス・マープルの生みの親として知られる推理作家は誰でしょうか。答えはアガサ・クリスティです。それでは、どうしますか」


「もちろん、俺に入れる!」

 元部長は唸るように声を上げた。

「自信がありますね」

 進行役の言葉に、「いいえ」と笑って首を振る。

「ひょっとしたら高齢で亡くなられているかもしれないんで、もしそうだったら、誰かに入れた時点で俺の負けじゃん。歳とっても負けるのは嫌だからね」

 隣に座る二人に目配せする元部長。


「遠慮なく僕に入れてくれてもいいですよ」

 元書紀が顎を撫でながら微笑めば、

「こっちに入れてくれると嬉しいかな」

 元副部長も期待する眼差しを元部長に向けていた。


「いいや、俺に入れる!」

 語気を強めて元部長は進行役をみつめた。

「わかりました。アガサ・クリスティは八十五歳で亡くなられています。元部長には十五ポイント加算されましたので、合計三ポイントとなりました。この結果、勝者は元部長です」

「よっしゃー」

 元部長は雄叫びとともに両腕を突き上げた。


 答えがわかっていた元副部長と元書紀は、しょうがないねと笑いながら手をたたいて勝利を讃えた。


「ちなみに賞金の使いみちは?」

 元書紀の質問に元部長は、「孫になにか買ってやろうかな」と答えた。


「へえ。元部長のところって、お孫さんがいたんだ」

 知らなかったなぁ、と元副部長がつぶやく。


「この前、生まれたんだよね。孫は可愛いっていうけどさ、ほんとにそうだなって思うよ。息子夫婦が結婚して、長いこと子供が生まれなかったから、もう諦めてたんだ。あれこれ言えないだろ、孫の顔が見たいとか。だからさ、ようやくだよ」

 ため息が混じりながら、それでも嬉しそうに元部長は答えた。


 おめでとうございます、と、元書紀と元副部長、元部員たちみんなから拍手される。

 席を立った元部長は、ありがとうと答えながら進行役から賞金を受け取って気がついた。


「みんな、ありがとう。長生きしないとね」


 拍手してくれるみんなに対し、元部長は深々と頭を下げた。

 彼が手にしたご祝儀袋には「元クイズ研究会一同」と毛筆で書かれてあった。

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