Sieben Todsünden

ぽめふち

追憶のテクスチュア

ざらついた灰のテトラポットに影が横たわる。水平線に溺れて揺らめく陽光は頼りなく。規則的に歪なオブジェクトのその上、薄っぺらに暗いテクスチュアはぐらぐらに。

時は胡乱に永遠のようで、なるほど緩やかに流れていく。さざなみは、影の主が置物の1つであるように腰を下ろして佇むブロックへ、身を投げては溶けていく。そして、上に重なる漣に混ぜ込んで、泡と弾ける。

跳ねる白波は、動かぬひとがたの脚へと降り掛かった。蒼白い陶器と見紛う肌を濡らしていく。鈍器と槍を兼ねた靴を泳がすのは少女の脚。傷付け、殺める為の踵は、細く折れかねん脹脛ふくらはぎに似つかわしい。


やおら、水面の裏で崩れ行く虚像─棍棒の靴底が面へと引き上げられる。還る雫は甘い声で笑う。波紋は細く、響きやしない。

その様を少女は眺めるように、その背を丸めた。詰めた襟元で結われたリボンが、装飾の富んだ服の上からでも見て取れる人並みよりも豊かな丸みから離れ行く。

がらんどうの頭蓋、疾の昔に斬り落とした首。覆ることのない、決定的に欠けたパーツは過去を追憶するテラリウムとなる。古ぼけたフィルムはからからと回り、擦り切れた記憶を映し出す。


限りなく北方の、木々と氷雪に閉ざされた街。悲しみの谷─タウワータイルと呼ばれた辺境の地へと女は意識を凭れる。

痛む胸を磔に突き放さんと、梢を鋭くする樹林は日中を通して黒く、降り頻る氷針の雨は脆い指先の感覚を奪うのみならず痺れさせていく。乱さず立ち並ぶ住宅の数々は、大人になりつつある少女の心までをも圧し潰す。そして、街の人間は。かの童話に名高き女王の欠片を呑み下したか如く、一様に冷然とした者達であった。人間の持つぬくもりなど、あの地にあっただろうかと。黴びて虫喰いの記録を進めていく。

陽はただただ溺れゆく。


─────────

……あぁ、そうだ。そうだった、と。首という果実をもぎ取られた矮躯は、枯れた腕でその身を抱いた。

確かに私が愛し、私を愛する者がいたと。底から込み上げるものに身を震わせ、闇色のサテンが包む手の力を強める。だが、湧き上がるそれは、あたたかくなど。

須臾、身体を起こす。

そういえば。その人の顔を、私、は。


彼は、どんな瞳をしていただろうか。空の色をしていたか、または海の色を、或いは草花の色をしていたか。澄んでいたか濁っていたか。睫毛はさらりと長かったか、そも瞼すら無かったか。鼻は、どうだっただろうか。頬は、口は、あぁ髪は。


愛する人の様相を、少女は何一つとして想起することはなかった。


─静謐なる夜が再来する。陽は彼方へと堕ち、散れた星屑が藍染めのベルベットに踊る。今宵は月の死んだ夜だ。

そうして、少女を照らすものは失われた。


─────────

潮時だと、戻らなくてはと。少女は重たい腰をゆっくりと上げる。次第に二人が探しにくる頃だろうと観念した。獣人のみであれば構わないのだが、あの迷惑なモノまで来ては厄介だと無い頭を押さえる。それ程に、そのものと遭遇することは避けたいのだ。

しかし、この場で立ち尽くすのみであっても好転する状況は無いと。少女は固い靴音を鳴らして踵を返した。

そう、する筈であった。


自身以外の音など何一つ立たなかった。ついでに気配も無く、佇立する少女の首には冷たい刃物があてがわれている。……背後に何かが居る。あぁよりにもよって、会いたくなかった存在と見えることになろうかとそれは再び諦めた。一体、あの煩いテレパシーで何を言われるのか───、


「あっれぇ!?キミたちこんなところにって……あっれぇ!?」


……はて。テレパシーがやや弱く感じ取れる。私の直ぐ傍に居ればあの耳障りな音は、無い耳を塞ぎたい程にけたたましいはずだ。アレはそういう男なのだから。

……では私の後にいる者は?無貌の少女は視界だけを回すように、ゆっくりと、振り返る。


かさかさと、囁かな物音。衣擦れに似たそれが耳に届き、


『何をしているのですか』

「─なんでシャッツが二人もいるの!?」


素っ頓狂に喧しい声を聞き流して。薄暗い中、押し付けられた切れ端を辛うじて読む。

差し出す紙で少女を咎めるのは、己と同じ首無しの少女。背丈も、格好も、全てが鏡合わせだ。

これは一体どういうことかと、暫く呆けていた少女は虚ろな首を傾げ─、それはやっと理解した。

一足先に迷路じみたテクスチュアの剥がれた自我が、言葉を絞る。弾ける泡音が、次第に声となる。

「……─あぁ、まさか。あなたにだけは会いたくなかったのですけれど、ねぇ……?」

渚で今しがた追憶していた少女。それからずるりと抜け落ちていくのは、やはり薄っぺらい幻惑の面。フルヒトナハト─"恐怖の夜"と呼ばれた少女の影が脱ぎ落とされる。その中から、姿を現したのは。

「……変身していた本人に見つかるなんて、最悪のシナリオでしょう?」

─神出鬼没の邪なる女神。色欲の大罪を被ったその女であった。

正体が顕になるなり、あの男の夜空を切り裂かん悲鳴が聞こえたが、女神も少女も無視することにしているらしい。特にこれといった反応を見せなかった。強いて言うなれば、女神が唇を僅かに尖らせ、少女が靴を小さく踏み鳴らした程度か。

『何をしているのですか』

模倣された少女から、先程の紙が一段と突き付けられる。宵の空を背に、湧く怒りと与える恐怖を体現するは少女然とした首無しの魔物。それを前にしてこの女は。


「……あの、悪かったわ……、ね?だから、その……鎌を下ろして欲しいのだけれど……?」


そう、涙目で訴え、震える声で懇願する他なかった。

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