#7

 死骸、及びそれに変わる寸前の男がいた三階の洋室。あそこにまたそういう死にかけの誰かがいるかもしれない。生きた被害者(何の被害なのかは不明だが)というのは、この上ない手がかりのはずだ。

 踊り場を一つ経由し、最上階である三階へ到着した。その瞬間、昨日よりも多くの人間がいる気配が五感に伝わった。声、物音……明らかに人の気配だ。

 朱と顔を見合わせる。彼女は固く口を閉じて頷く。声も足音も立てず、二人は廊下を影のように進んでいく。

「馬鹿、お前逃げたいとか思ってんのか?」

「当たり前だろ、わけわからん殺され方するのをただ待ってる馬鹿に馬鹿って言われたくねえよ」

「私は逃げない。いや、逃げられないんだよ。私が逃げたら……」

「どの道このロープだ。がちがちに縛られてても俊敏に動けるってなら逃げおおせてみろよ」

 会話の内容から察するに、彼らは被害者側の人間のようだ。しかも死にかけてはおらず、まだ健常な状態に思える。そしてあまり遠慮のない声の大きさからすると、被害を与える側の者、ギャリギャリ男はいない。

「っおい!?」

 大胆にも涼火は足音を解放し、声のする部屋を手当たり次第探した。木製のタンスが傍観者のように涼火を見つめる。扉を一つ二つ三つ開け、父の部屋だったその空間に、"彼ら"はいた。

「ひっ!」

「……!」

 ロープで拘束された六人の老若男女が、恐れと怒りの眼差しをこちらへ向けた。ギャリギャリ男の側だと思われると面倒だ。涼火は両手を低く掲げ、落ち着かせるジェスチャーをした。

「私はあんた達の敵じゃないよ。むしろその敵が私の敵? 敵の敵は味方って言うでしょ?」

「……」

「……」

「……そういうわけで、まあ警戒しないでくれよ」

 朱が部屋に入ってきた。老若男女は当然のように警戒する。めんどくさい。涼火は単刀を直入れすることにした。

「あのさ、単刀直入に聞いていい? あんた達は何者で、どういう経緯でここにいるの? あんた達をこんな目に遭わせてるのは誰?」

 それに答えるかのごとく、階下から重い音がした。部屋にいる面々は息を呑み、透視能力でも持っているかのように床を見つめ出す。

「……くそ……」

「お出ましかよ……」

 処刑人を待つ死刑囚のように、縛られた六人はゆっくりともぞつき出す。この屋敷の玄関ホールの正面は吹き抜けになっており、その空間からは音が届きやすい。何か重い物を引きずる鬱陶しい音がはっきりと聞こえる。ギャリギャリ男だ。

 涼火は詰問を急ぐことにした。

「今ここに来ようとしてんのは誰? あんた達をどうしようとしてんの?」

「そんなの今にもわかるだろ」

 チャコールグレーのベッドにもたれかかっている三十代らしき男が、諦念に満ちた声を投げかけた。

「お前らこそ何者なんだ? 肝試しにでも来たのか? 俺達に関係ないならわざわざ関係を作るな。さっさと逃げた方がいい」

 それは確かだ。今わかるのは、この場には危害を加える者と加えられる者がいて、自分はそれに何の因果も持っていないという事実だ。首を突っ込めば、被らずに済む害をむざむざ被りに行く羽目になるだろう。

 しかし知りたい。この屋敷で起きている事を。そこで、涼火は逃げるのではなく隠れる事にした。そしてそう考えているのは親友も同じだったようだ。

「こっち来い」

 朱が、涼火の肩をがっちり捕まえてクローゼットへ誘った。

「もう喋るな、音も立てるなよ」

「わかってるって、てか私も今まさにどっか隠れようと──」

「しっ」

 クローゼットの戸が閉まり、目の前に闇が現れた。光が消えたとも言える。衣服のないつるつるした木製の空間には、何とも言えない匂いが満ちている。それに朱の体から放たれているらしき香り高い匂いが混ざる。

 クローゼット……かなりベタな隠れ場所だ。とは言え、ギャリギャリ男はそもそも誰かが部屋に隠れているとは思わないだろう。探されているわけでなければ、どれほど定番な場所に隠れていようと問題ない。はずだ。

 かなり大きい空間なので酸素のストックは問題ないと思うが、一応戸をほんの少しだけ開けておく。それでも戸の内側はほとんど暗闇だ。

 折り曲げた脚が朱のそれと触れ合う。スマホを取り出し、メモを呼び出す。仮想キーボードのいいところは、打ってもカチカチ音が鳴らない事だ。

『今来てるのギャリギャリ男だよね?』

 メッセージを見た朱は同じくスマホを起動し、クローゼット内に光を穿つ。そしてメモ画面を涼火の方へかざした。

『だろうな。あいつがこの家で何やってんのかしっかり耳に焼き付けようぜ』

『でも目でも見たいよね』

 あだ名の由来であるギャリギャリ音の正体も気になる。さっきの六人を殺す気なのか、どうやって殺すのかも見たい。しかし朱は光を自分の顔に当て、咎めるような怖い表情を照らしてみせた。

『やめろ。死ぬ羽目になるの目に見えてんだろ』

『だよねえ。死んだらつまんないよねえ』

 死ねば野望も何も色々ご破算になってしまう。涼火にとって死は恐れるものというよりも、鬱陶しいものなのだ。

「よーう。わりい遅れちまったよ」

 いよいよギャリギャリ男が部屋に着いたらしい。気怠げで軽薄な声が鼓膜をすぐる。

「俺とした事が肝心のブツを忘れるなんて……でも誰も逃げてないっぽいな。そりゃそうか」

「おい……確認したいんだけど」

 縛られた側の女が一人、声を上げた。涼火は暗闇の中で息を飲み、ひたすら耳をすます。

朝霧あさぎりとおる。あんたの実験に協力すれば本当に負債は帳消しにしてくれんだよね?」

 朝霧透。それがギャリギャリ男の名前か。今の女はもしかしたら、涼火や朱に男の名前を教えようとしてくれたのかもしれない。わざわざ名前を呼んだ今の台詞は、そうでなければ少し不自然だ。

 何となく彼らの立場がわかってきた。恐らく朝霧は闇金や暴力団といった、その手の所属の者だろう。

 朝霧は答える。

「そうだ。お前らがうちの金を無に変えたツケを今から清算してやるんだよ。そうすりゃーお前らの家族にはもう用はなくなる。まずはこれを飲め」

 もそもそという音が聞こえる。六人の債務者達が一人ずつ何かを受け取ったらしい。

 そこからは、ひたすら何か作業をしているであろう雑多な物音しか聞こえなくなった。あのギャリギャリという音の正体が車椅子なのかはわからないが、もしそうだとしたら車椅子の主は本当に無口だ。この場にいるにもかかわらず、まだ一言もしゃべっていない。

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意識概論 アキ @hasntname519

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