第9話 それから
ユカリさんとツキヤが再会してから、数週間が経った。ミコさんとはまた近いうちに会う約束をしていて、
今日の大学の講義は午前で終わりだったので、そのまま徒歩でアオユリ書店まで行った。マフラーを首に巻いて、てくてくと狭い歩道を進んで行く。街路樹も道を行く人も、すっかり晩秋の
ツキヤの一件も片付いたので、アオユリ書店もすっかり今まで通りの光景に戻った。相変わらず客の出入りの少ない書店の中を、幽霊作家たちが自分の本が売れるのをフワフワと浮かびながら待っていた。
「買えー、買えぇ!」
「その本だー、その本を取るんだぁ……!」
たまに客がやってくると、念をこめるように客の周りを幽霊たちが取り囲む。自分の本を買えと幽霊が口々に叫ぶ様子は、まるで万馬券を握りしめて歓声が飛び交う競馬場のようだった。その声が客に聞こえないのが幸いだ。
そして、すっかりお馴染みになった彼の姿もあった。
「あっ、違う。そっちじゃない。それだ、その赤い表紙の本を取れ! 目立つからすぐわかるだろ!」
その思いが届くことはなく、客は店頭に置かれた『去りゆく恋』を、華麗にスルーしていった。
「あぁあぁあああ」
ボサボサの頭をかきむしって、幽霊作家は悲痛の叫び声をあげた。
この幽霊作家……つまり、尾崎ツキヤはすっかりアオユリ書店の常駐幽霊と化していた。結局その客が何も買わずに出て行くと、彼はがっくりとうなだれた。
振り向いて私の姿を見とめると、早速ツキヤはやかましく抗議をしてきた。
「おい、場所が悪いんじゃないか?」
「目立つところに平積みにしてあるのに、何言っているんだか」
「もっとこう……宣伝ポップを作るとかさぁ……」
「全員の作ったら
ツキヤの後ろには、目をギラギラとさせた幽霊作家たちが待ち構えている。サバンナの飢えたライオンみたいな目つきだ。1人のを書いたら俺も私もと言って襲いかかってくるに決まっている。
残されるのは骨しかない。協力したいのはやまやまだが、私の時間は無限ではないのだ。
マイペースにコーヒーを飲んでいるケイコさんは、そんな光景を楽しそうに見つめていた。
「ツキヤさんも、すっかり馴染みましたねぇ」
「ねぇ……良いのやら悪いのやら」
ケイコさんが飲んでいるコーヒーは、とても良い香りを漂わせていた。
このコーヒーはサダメさんがケイコさん用にと作ってくれた特別製。ツキヤとの出会いはケイコさんに思わぬ恩恵をもたらしていた。
優雅にコーヒーを飲みながら、ケイコさんは感慨深げに言った。
「丸く収まったって良かったですね」
「うん、それはね。本当に」
私もハァと息をついて、椅子に腰を下ろした。以前より目立つ本棚に置いてある『去りゆく恋』に目をやった。
……結論から言えば、結末は変更しなかった。ツキヤが生前書いたものと同じ結末で、『去りゆく恋』はアオユリ書店の書棚に収まることになった。
その理由をツキヤはユカリさんを見送った後、私に語った。
「やはり結末は変えないことにする。『去りゆく恋』はそのままで良い」
ツキヤは吹っ切れたような感じで言葉を続けた。その言葉にもう迷いはないようだった。
「俺は何も間違っちゃいなかった。あいつに言われて、ようやく気づくことが出来た。俺も物語も結末もあれで良かったんだ」
ツキヤはハラハラと舞う黄色い落ち葉の中で、言葉を続けた。
「……悲しい結末だったからと言って、全てが否定されたわけじゃない。俺が歩いてきた
「……そっか」
「ハルカにも世話になったな。礼を言う」
私の方を見たツキヤの顔は晴れやかで、秋の夕暮れに染まっていた。眩しいくらいに綺麗に輝いていて、そのまま消えてしまいそうな安らかな笑顔だった。
「ツキヤ……」
このまま消えちゃうの、なんて。
そう、彼がこのまま成仏していたら、この物語はきっと美しいまま終わったはずだろう。読者も何も言わずにページを閉じて、ホッと満足するような後味の良い結末になったに違いない。
「さぁ、帰るか」
ツキヤは
思わずその背中に付いていこうと一歩進んだところで、どうも話がおかしいことに気づいた。
「あれ、成仏しないの?」
「ん?」
「え?」
ツキヤは「何言ってんだ、お前」といった表情で振り向いた。言葉がすれ違う。うまくコミュニケーションが取れていない。
「だって、結末を書き終わったら成仏するんじゃないの? 『去りゆく恋』はこれで完成なんでしょ。未練が晴れたら、普通は成仏するよね。今、完全にそんな感じの湿っぽい雰囲気じゃなかった?」
「あぁ……」
ツキヤは私の言いたいことに気づくと、カバンに入っている『去りゆく恋』に視線を落とした。
「それが売れてから成仏しようと思ってな。せっかく一部残っているのが分かったし、売れるのを待っても良いだろ。時間はいっぱいあるし」
「…………!」
「よし、帰るぞ」
絶句する私をよそに、ツキヤはふわふわと裏通りへと曲がっていった。
あれ……?
私は一体何のために、頑張っていたんだ?
貴重な時間を割いて、学校の課題があるのに『去りゆく恋』も熟読した。とことんまで向き合って、ツキヤを安らかに成仏させてあげようと思っていた。
無事に未練を解消できて、「あぁ私の役目も終わりだ」と思って、むしろ感慨深くてちょっと泣きそうになっていたのに。こんな終わり方では、どんな反応をすれば良いのか分からない。
売れるまで消えないだと……売れるわけがないじゃないか。だって客がいないんだから。
……なんとかしないと。
懐に忍ばせていた食卓塩を取り出し、のんきに浮遊するツキヤの背中に投げつけた。
「うわっ、何をする!?」
「成仏しろー、悪霊退散!!」
「え!!? やめろー! それは俺に効く!」
神保町の路地裏に幽霊作家の悲鳴が響く。もちろん聞こえているのは私しかいない。「早く成仏するんだ」と願いながら、すっかり元気になった幽霊の背中に塩を
おかげで、ちょっとだけスッキリした。
そんなわけで結局、ツキヤは成仏することなくアオユリ書店に居座ることになった。いつ売れるかも分からない本とにらめっこする幽霊作家の一員に加わった。
また、頭上で口論を始める幽霊作家たちとの日々が始まった。終わってみれば厄介者が1人増えただけだった。
徒労とはまさにこのこと。
浮かない顔でカウンターに座る私を、ケイコさんが同情して
「ハルカさんのしたことは決して無駄ではありませんよ。ツキヤさんのおかげで、ミコさんやユカリさん、サダメさんと出会えましたし」
「そう言われると、そうだけど」
「出会いは貴重なものです。それが良いものなら尚更です。人間は他者と触れ合うことで成長していくものですから。一冊の本との出会いと似ていますね。一生に一度しかない掛け替えのない瞬間です」
そう言うと、ケイコさんは手元のタブレットに視線を落とした。再生されている本は、新しく取り込んだBLものの小説だ。最近の彼女のトレンドらしく、「おぉ」とか「あらまぁ」とか口を押さえて、ニコニコと微笑んでいる。
その姿がすごく楽しそうだったので、私も何か読んでみようかなと書棚をウロウロしていると、奥でテレビを見ていた店長から声をかけられた。
「ハルカちゃん、足元に置いてあるやつ書棚に置いておいて」
「置いてあるやつって……いっぱいありますけど」
私の足元には段ボールがうずたかく積まれていた。中には例のごとく、古ぼけた本が大量に入っていた。
店長は困ったように笑って、髭を撫でた。
「いやぁ、知り合いの愛書家からもらっちゃってさぁ。適当に置いてくれない?」
「書棚のスペースがもうありませんよー」
「なんとか隙間に詰め込んでおいて!」
言うだけ言って奥に引っ込んで、店長は再び番茶をすすりながらテレビに目を向けた。
「……地震が来たら、ここ潰れるな」
ところ狭しと並べられた本を見ながら、隙間という隙間に新しい本を置いていく。平積みにしたり本棚の上に置いてみたりする。これが全部倒れてきたら圧死確実だ。そしたら化けて出てきてやろう。
私が店前でダンボールを畳んでいると、本日2人目のお客さんがやってきた。
にっこりと微笑みかけようとしたが、すぐにその客の足がないことに気がついた。
「なんだ、また幽霊か……」
アオユリ書店にまた幽霊作家がやってきた。
〜了〜
アオユリ書店の幽霊作家たち スタジオ.T @toto_nko
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