矮化 ―ワイカ―

いすみ 静江

矮化星の杖

「アラシャ、アラシャはカウンターかしら?」


 やれやれ、ミーロが起きたのか。

 早朝が好きな蝉も激しく鳴き始めた。

 目的地の火星では夏の涼だと喜ぶ。

 だが、僕の心は心地よくは感じない。

 理由は簡単だ。

 このイーウムラウトЯ=Ё星発火星行き列車マーズツーで、ある事象を知ってしまったからだ。

 こんなときは、トレーに二人分のカフェを持って、車窓のカウンターで待つ。

 必ず、後ろからひだまりの香りが近付くだろうから。

 来た。 

 ほんわりとした甘ったるい小さな風だ。

 それが、ミーロだと分かっても振り向かない。

 意地悪さが僕のセオリーだ。


「よく眠れたかい? ミーロ」


 ミーロにキスをしようとした。

 だって、十二歳で出会って五年目なんだよ。

 あたたかい想い出を作りたいんだ。

 僕は肩下の銀髪をミーロにツンと引かれて振られた。

 想い出キス、大失敗だな。

 けれども、彼女が照れた顔を窓越しへ向けているのを見てしまった。

 そりゃあ、可愛いと思うよ。


「どうしたの? アラシャったら、座席の間をバタバタ歩いて。そうか。まだ、納得できないの? 私達にはこの旅で覚悟を決める以外に何もないのよ」


 窓辺で向かいに腰掛ける彼女。

 いつ見ても隙もなく美しい。

 僕らの覚悟か。


 ――僕とミーロは、これから結婚する。


「ミーロは、ベッドルームでシアターばかりでは退屈しないかい? 僕は、ご覧の通りだよ。心臓が高鳴って寝不足だ。カフェでさっぱりと目を覚ましたいな。ちょっと、付き合って欲しい」


 首肯するミーロが可愛い。

 後三日で僕の花嫁となるのか……。

 彼女は、申し分なく理知的で優しい。

 ただ、少し物足りなさを感じて、この旅に出た。

 きっと彼女との距離を縮められると思って。

 それと矮化わいかつえを渡すべく。


 客室12Aは、『百合ゆり』と呼ばれ、キャビネットタイプの美しい日本を想起させる白を基調とした個室だ。

 コントロールパネル一つで、昼夜問わず見える筈のない、景色が流れる。

 音楽も自然の音響を百合セレクトで届けられる。

 夜は、睡眠前にシアターでありもしない星座の物語を述べてくれる。

 そうだ、僕は、星座の話をしようと思ったのだ。


「オリオンの星座は、ミーロも知っているよね?」


 車窓ばかり見ていては悪いと思い、僕は婚約者の好きなマカロンをパネルで指示して取り寄せた。

 ピンクがとびきり好きだという。

 色以外にどこか味の違いがあるのか、男の僕にはそんな乙女心が分からない。

 

「オリオンの三ツ星は観察できたわ」


 彼女がとことことマカロンを三つ並べる。

 オリオンに見立てたのか。

 ああ、僕は彼女のこういったセンスに弱い。


「僕達の星、イーウムラウト星に今度流星雨が降ってくる。その三ツ星の方角からだ」


「え? いつ?」


 ミーロは、自身が並べたマカロンに視線を落した。

 初めて知ったのだな。

 惑星ニュース・イーウムラウトの配信を本当に聴いていないのか。


「多分、明日にはもう。故郷の星は飲み込まれるだろう。そして、矮化星の一つとなる」


 僕自身を落ち着かせようとカフェを一気に飲み干す。

 コトリと置く音が、蝉で彩った『百合』を作りものだと囁いた。


「全然、時間がないじゃない。……後、イーウムラウト時間で三時間位ね」


 ミーロなど、カフェにマカロンを一つ一つ落としている始末だ。


「政府がこの杖を持ちなさいと放送していた。キミの分もあるよ、ミーロ」


 それは、『矮化の聖なる杖』と呼ばれる。

 説明は要らない筈だ。

 初等教育で、矮化の日に備えて訓練をしている。

 さっきのマカロンみたいに、ミーロの分は、ピンクだ。

 僕のは、何故か真っ赤で恥ずかしい。


「ああ、ありがとう。アラシャ。分からないけど、私と今すぐ結婚してください」


 杖を一つ突いて、僕にキスをした。

 ミーロが壊れたのか。

 いや、気が弱くなるのは、誰しも同じだよな。


「そうだね。待たせてごめん。ミーロに先に求婚されてしまったよ」


 故郷が壊れる音が二人の間を流れた。

 刻の畔には、小さくともアルバムがある。


 最期、蝉時雨が『百合』を夏へと引き戻した。

 初めての唇のぬくもりに、悟る。


「失恋したのか……」


 笑いながら、彼女に振られたことを自分に言い聞かせた。

 おどける僕に、ミーロは苦笑する。

 蝉が、僕らの杖を嘲ると飛び去った。


              【了】

 

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矮化 ―ワイカ― いすみ 静江 @uhi_cna

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