第23話

 四国一周旅行の最終日は、朝五時の電車に乗って東京へ戻るのにその全てを費やされる。奇跡的なことに乗換電車は全て五分以内にやってくるのだが、それでも東京へ帰着するのは二三時を過ぎてからだ。総時間は一八時間を超え、少しでも遅れると一八きっぷの効力が切れてしまう心配すらある。水分と三食分の食糧はこのことを見越してあらかじめ用意してあるが、果たしてトイレ休憩はどこで取ればいいのかという不安は依然として残ったままなのもまた事実だ。

「おお、瀬戸内海すげえな。小島の宝庫じゃねえか」

「うん……」

 青い空と海に挟まれるようにして、黄ばんだ土と植物の緑が太陽の光を反射して輝いていた。瀬戸大橋の白いコンクリートも相まって写真を撮らずにはいられない。

 茜は昨夜から元気をなくしている。会話が弾まない。理由はもちろん、茜がネットカフェで明かしてくれたことについてだろう。

 生徒会として何か劇をやりたいと、そんな話を茜が持ちかけてきたのが俺たちの出会いだった。その後も劇以外で何かと忙しい彼女を俺は手伝って――それらが全て、家にいたくないという理由で、妹への虐待に巻き込まれたくないという理由でなされたものだと、茜は明かした。

 俺は部外者で、当時の日向家の事情がどんなものかなんて分からないし、想像もつかない。そんなだから、ましてや簡単な気持ちで分かったような態度も取れない。昨日は茜に、肯定も否定も、明確な反応すらも見せられなかった。

 かけるべき言葉だって、どれが正解か分からない。「幻滅した?」という茜の自嘲に、果たして俺はどんな返しをするべきだったのだろう。どんな返しを求められていたのだろう。どんな言葉を望まれていたのだろう。そんなことないよと優しく慰めるべきだったのだろうか、それとも、はっきり幻滅したと厳しく応えればよかったのだろうか。

 そんなことを考える間にも、時間は過ぎてゆく。電車は進んでゆく。別れの時間は刻一刻と迫ってきていた。

 このままでいいのだろうか。告白して、そしてフラれた時のようなあんな別れをもう一度してしまっていいのだろうか。

 ……いいわけがなかった。

 ただ一つ言えることがある。一つだけ分かっていることがある。茜からあんな告白をされたところで、俺の気持ちは、何も変わらなかった。それだけだ。



 東京駅は騒がしかった。こんな夜遅くにもこれだけの人が外に出ている。これが世界最大級の都市というものか。

「……茜!」

「うん?」

「お前、前に俺のことを理想主義者だって言ったよな?」

東海道線のホームを抜けて大きな通路に出たところで、俺は先を行く茜を引き留めるように声を上げた。雑踏はそんな俺たちを無視し、あるいは迷惑がって避ける。

「ずっと勘違いしているようだから言っとくぞ。俺は別に理想主義者なんかじゃない」

「嘘言わないでよ」

ここに来て、茜は今日初めて「うん」以外の言葉を口にした。

「如月は明るくて、純真で、いつでも満面の笑顔を咲かせる子が好きなんでしょ? 如月は理想主義者だよ。だって私の笑顔が好きなんでしょ? 文化祭の後そうやって告白してくれたもんね?」

「……違うんだよ」

「え?」

「違うんだよ! いいか、一回しか言わないぞ。笑顔が好きだなんて二次的なもので、本当は一目惚れだよこの野郎!」

「はあ?」

「フィクションと現実をごっちゃにするな! 確かに俺はフィクションじゃそういう子が好きかもしれんが、現実は違うわ!」

「はああ?」

 笑顔が好きだったことは認めよう。フィクションではもっぱら茜が指摘したように明るくて純真で笑顔がすてきな子が好きだと認めよう。

 けれども、俺が茜を好きになったのは、単純に顔なのだ。吸い込まれそうなその瞳に、俺はどうしようもなく恋をしたのだ。明るくて純真そうな性格に好意を持ったのはそれよりももっと後の話である。

「最っ低ー」

「何とでも言え……だからっ!」

 俺は一層声を張り上げた。それでも周囲の人たちは干渉してこない。無関心が逆にありがたかった。

「俺は別に、幻滅なんてしねえよ……」

「っ!」

 茜の目が大きく見開かれた。キレイな瞳が光を反射して、焦点を当てられて、その内実を明らかにするかのごとく輝いた。

 まるでもう一度告白しているかのような気分を俺は味わっていた。そもそも告白のことだって、文化祭のことだって、虐待のことだって、全てはもう何年も前の終わった出来事なのだ。それを俺は蒸し返してどうしようというのか、いや、蒸し返したのは茜も同じなのか。

 だとしたら、これはやり直しだ。虐待や転校で崩れてしまった俺たちの関係を、もう一度構築し直すのだ。まあ以前と同じようにあっさりとフラれ直してしまったのならばもうどうしようもないが、それでもやり直すことにも価値はあると信じたい。

 しばらくの沈黙。雑踏は俺たちをすり抜けてゆく。

「……ねえ」

 その沈黙を破ったのは茜だった。そっぽを向きながら口を開く。

「如月の家って、ここの近くなんだっけ?」

「ん? ああ……?」

「十八きっぷが有効なのって」

「今日までだな……んん!?」

 茜の質問に答えながら腕時計を確認して凍りつく。俺が恥ずかしいセリフを吐いている間に、すでに時刻は二十四時を過ぎていた。

「(十八きっぷが使える)終電、行っちゃったね……」

 茜はおどけるようにして笑顔で言った。

「出来れば……その、泊めてってもらえると、うれしいな」

 顔を赤らめる茜。それはフィクションでよく見る据え膳の常套句だった。

 その表情は、向日葵とはとても呼べないような、そんな笑顔だったけれど。

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咲いたのは向日葵じゃない 桜人 @sakurairakusa

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