大統領のファイナルブレーキ
烏川 ハル
副大統領の独白、そして、その後の顛末
はるか昔、まだ私たちが『地球』と呼ばれる青い星で暮らしていた頃。
世界には多くの国があり、中でも特に強大な二つの国家があったという。二大大国は互いに敵意を向けながら、正面切った武力衝突は
「人それを冷戦時代という」
歴史の教科書で読んだ一節が、つい、独り言になって口から漏れた。
冷戦時代。核兵器。
絶対に行使してはいけない武器として、その発射スイッチには、厳重なロックがかけられていたらしい。二つの鍵を、二人同時に回さないといけない仕組みだったそうだ。
なぜ私が、そんな話を思い出しているかというと……。
ちょうど今、私の目の前にも、アルファ星へと向けられた惑星破壊ミサイルの発射スイッチ。鍵の挿さった状態で、それが「さあ回せ」と言わんばかりに出されているからだ。
しかも、ほんの一メートルも離れていないところに、同じようなスイッチ台。そう、私の住むガンマ星では、人類発祥の地である『地球』の二大大国を見習って、二人で回す式のスイッチを採用していた。
もう片方のスイッチには、当然のように鍵が挿さっているだけでなく、すでに大統領の――この星をまとめるべき総責任者の――右手が置かれている。そして、大統領の左手には……。
昨年一年間で最も使われた凶器として有名な、ダコスタ社の簡易レーザー銃が握られていた。しかも、銃口は私のこめかみに押し当てられている。
「さあ、早く決断したまえ。鍵を回すか、あるいは、副大統領の地位を他の者に明け渡すか。……もちろん後者は『辞任』ではなく『急死』という形になるのだがな」
大統領は、私の独り言など聞こえなかったかのように、そう宣言するのだった。
ここは、惑星ガンマ統一連邦の大統領執務室。
副大統領である私は数分前、大統領に呼ばれて、この部屋にやってきた。別に、特筆すべき事態ではない。いつものことだ、と思って来たのだが……。
「やあ、ミスター・ヴァイス・プレジデント。ちょっと、そこに立ってくれないか?」
「はい、大統領」
彼の真意がわからぬまま、私は、指定された位置で背筋を伸ばした。
なんであれ、大統領の言うことに従っていれば、間違いはない……。そう思えるくらいに、私は彼を信頼していたのだ。
すると、彼は執務机の引き出しを開けて、今まで一度も押したことのないボタンを押す。
「大統領? それは……」
私が彼の意図に気づいた時には、もう私の目の前に、惑星破壊ミサイルのスイッチ台がせり上がってきていた。
惑星破壊ミサイル。
あくまでも抑止力として用意された兵器だ。けして放たれることはないだろう、という意味で『ファイナルウエポン』とも呼ばれている。
その発射スイッチ。今、私の目の前にあるそれは、通称『ファイナルブレーキ』。
万が一、誰かがそれを押す状況に陥っても、最後の最後で「やはり、やめたほうがいいぞ」と自制を促すブレーキとして、そう名付けられたらしい。
そんな『ファイナルブレーキ』を、我が敬愛する大統領が……。
「……なぜですか、大統領」
私は、押し当てられた銃口を強く意識しながら、それでも気丈に尋ねた。
「なぜ……? さあ、私にもわからんな。だが……」
狂気の決断をした強気な男の言葉とは思えぬ、どこか疲れた感じの声。
「……君ならば、わかるのではないかね? この星のために、私と苦労を共にしてきた君には」
ああ、そうだ。
きっと大統領は、疲弊してしまったのだろう。精神が摩耗して、かつての『大統領』ではなくなってしまったのだ。
私は、少し彼を哀れに思いながら、
「……わかりました。でも……。このスイッチ、私には回せません」
そう宣言した。
「ほう。君は、ここで死にたいのかね?」
大統領は、手にしたレーザー銃をグイッと、さらに強く私に押し付ける。
「もちろん、死にたくはありませんが……」
「ならば、その鍵をひねりたまえ」
もしも、これが、かつての『地球』の『核兵器』であるならば。
あれの『一瞬で国を滅ぼすことの出来るような』という謳い文句にはオーバーな部分もあり、実際には『核シェルター』というものに逃げ込めば、国民は生き延びることが出来たという。残った人々で、国を再建することも可能だったという。
だから、漫画や映画といった娯楽作品の中でも、『核兵器』戦争後の未来社会が頻繁にシミュレートされたらしい。
しかし惑星破壊ミサイルは、昔々の『核兵器』とは違う。住むべき星を破壊されたら、もう人々は生きていけないのだから。
光子力で飛ぶミサイルは、光速に匹敵するほどのスピードで相手の星へと届く。惑星破壊ミサイルの恐ろしさは「いったん狙われたら防げない」という点にあった。
しかし「狙われたら防げない」というのは「狙われたら何も出来ない」とは、微妙に違う。ガンマ星のミサイル発射を認識すると同時に、アルファ星のカウンターシステムが発動するのだ。こちらのミサイルが相手に命中して星を破壊するよりも一瞬だけ早く、カウンターシステムにより、アルファ星からもガンマ星を破壊するミサイルが放たれるのだ。
そうしたカウンターシステムは、今や、どこの星でも――惑星破壊ミサイルを保有する文明レベルの星ならばどこでも――常備されている。だから、惑星破壊ミサイルを発射することは自星の滅亡を意味するし、禁断の兵器『ファイナルウエポン』と呼ばれているのだった。
「できません」
私は、否定の言葉を繰り返した。
「どうせ、このミサイルをうてば、私は死ぬことになります。しかも、この星の
「そうか……」
大統領の口から、ため息が漏れる。
彼は、もう一つのスイッチに置かれていた右手を、そっと放した。
まさか、私の説得が通じたのか? いや『説得』というほどの言葉は、私も口にしていないはずだが……。
そう私が思っている間に、彼の右手が、私の右手を掴む。
ゴツゴツとした手の感触は、大統領就任の際に握手したのと同じだった。
彼に握られるがまま、私の右手は、目の前のスイッチ台へ。鍵の上へと誘導される。
「大統領!」
思わず、叫んでしまう。彼の狂気は終わっていない、と悟って。
「さあ、しかるべき位置へ運んでやったぞ。あとはタイミングを合わせて、鍵を回すだけだ」
大統領は、右手を自分の方の鍵へと戻した。
この発射スイッチが『ファイナルブレーキ』と呼ばれるように、私自身もまた、大統領にとっての『ファイナルブレーキ』なのだろう。大統領が過ちを犯す前にそれを止めるのが、副大統領の責務のはずだ。
しかし……。
星の総責任者という重圧に、疲れてしまった大統領。
では、私は?
副大統領という職務だって、決してラクなものではなかった。
ならば……。
「いいな? 『ゼロ』で、同時に鍵を回すのだぞ。スリー、トゥー……」
大統領の声は、いつしか遠くに聞こえていた。
彼の声よりも、こめかみの銃口を強く意識していた。
頭で考えるならば……。
私一人が死ぬことで星を守れるというなら、私は死ぬべきだろう。
だが、どうせ私が死んでも、誰かが代わりの副大統領となり、同じことの繰り返しだ。いずれは誰かが大統領の圧力に負けて、言いなりになるのだろう。結局、この星は滅ぶのだろう。
「ワン……」
それに、頭で考える云々ではない。何よりも、こめかみに押し当てられた銃口は、私に直接的な死の恐怖を思い知らせていた。
うん、誰だって死ぬのは怖い。どうせ今助かっても後で死ぬ、と理解していても。
だから。
「……ゼロ!」
その瞬間。
自分が大統領の『ファイナルブレーキ』であることを自覚しながらも。
「私の大統領のファイナルブレーキが! 私の大統領に屈服してしまった!」
そんな叫び声と共に、私は運命の鍵を回したのだった。
そして、目の前が暗転する……。
――――――――――――
『大統領・副大統領プログラム。ストップしました』
機械的な音声が、無機的な四角い部屋に響く。天井のパネルランプだけが照明という、広いけれど薄暗い部屋だ。
「今回のコンビも、途中で終わりか……」
「でも、結構いい線、行きましたね。惜しいなあ、残り五日だったのに」
白衣を着た研究者風の男二人が、そんな言葉を交わしている。
彼らの前には、二つの長方形の箱。それぞれに一人ずつ、横になった姿勢で人間が収納されている。彼らの星で開発された、バーチャル・シミュレーション・マシンだった。
白衣の男たちの仕事は、このマシンを使って、バーチャル空間で六十日間の『大統領・副大統領プログラム』に適応する人間を探し出すことなのだが……。
ここまで試した候補たちは、どれも期限を全うすることなく、途中でプログラム終了となっていた。現実世界では半日にも満たない『バーチャル空間の六十日間』を、誰も最後まで体験できずに終わってしまうのだ。
「もう、いっそのこと、大統領制度なんて諦めて……」
「そういうわけにはいかないでしょう、主任」
投げやりな上司の言葉に、若い部下は苦笑する。
「嫌でも何でも、もう『革命』は実行されてしまったのです。王族が全て処刑されたのは、一週間も前の話じゃないですか。今さら王制には戻せません」
「それくらい、私にもわかっている。だから何としても大統領を選び出せ、というのが、革命臨時政府からのお達しだ。でもなあ……」
研究主任は、露骨に顔をしかめてから、言葉を続ける。
「だいたい、誰が『革命』なんて昔の制度、引っ張り出してきたのかね? 王族を処刑だなんて、あんな野蛮なシステムとは聞いていなかったぞ」
「さあ? おおかた、どこぞの歴史学者でしょう」
若い研究者は、肩をすくめる。
「ならば、それこそ歴史学者に聞いてみたい。昔は、こんなシミュレーション・マシンなんてなかったはずなのに、どうやって上手く新制度に移行していたのか……」
「歴史学者と語り合う暇はないですよ、主任。では、次の候補者の二名、呼んできて構いませんね?」
「ああ、頼む。あいつら、今頃『次は自分の番だ! ようやく自分の番が来る!』とか思いながら、首を長くして待っているのだろう」
「そうでしょうね。この機械で、どれだけのストレスをかけられるのか、それも知らずに……」
笑いながら、若い研究者は、革命の主要メンバーが集まる部屋へと向かった。
部屋に残されたのは、主任と、まだ機械の中で眠っている二人だけ。その二人――前回の候補者――は、次の候補者が来た時点で、目覚めさせる手筈になっている。
誰も聞いていないのを承知の上で、主任は呟くのだった。
「『どれだけのストレス』というが……。大統領・副大統領の責務としては、適切な負荷を与えてるつもりだがなあ?」
(「大統領のファイナルブレーキ」完)
大統領のファイナルブレーキ 烏川 ハル @haru_karasugawa
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