第33話 永遠の続きへ
「へっ……?」
死を覚悟した少女は、身体に痛みを感じないことに気付き、間の抜けた声を漏らす。
ただ、それもわずか数秒のことだった。
ベルはすぐに、ダイスケが自分を抱き留めてくれたのだと察した。
ベルは、ダイスケの大丈夫だという顔を求めて、顔を上向ける。
しかし、そんな些細な願いを、運命は許してはくれなかった。
表情を確認することもできないまま、ダイスケの身体はベルの身体を避けるように横向きに倒れ、天を仰いだ。
「ダイスケ……ダイスケっ!? いやあぁぁぁぁぁっ!」
それは発狂にも近い、絶叫だった。
「ち、違う……そんなはずは……お、俺、どうして……」
本当に刺してしまうとは思わなかったのだろう、アレクはひどく動揺した様子で後ずさる。
真っ赤に染まった剣が、アレクの手からこぼれ落ち、地面に転がった。
そして、全身を震わせながらただ首を横に振り、アレクは弁明の言葉を連ねていく。
「俺は、ただ……ベルのために、ベルを取り戻そうと……違う、違うんだ」
「どうしよう!? どうすればいいの? 血が、血がいっぱい――」
ベルは涙ながらに訴えるが、手で押さえても血は貫通した腹部の傷口から次々とあふれ出てくる。
「そうだ、布だったら――」
ベルは自分の服を破いて止血に使おうとするが、鎧を装備しているせいで中々破れない。
他に何か使えるモノはないかと全身を手で探っていく。
そして首元に巻いたスカーフに行きついたところで、手の動きを止めた。
「……ごめんね、ダイスケ」
ベルは一言謝った後、意を決した様子で一気にスカーフを解いて、そのままダイスケの脇腹へと押し当てた。
燃える夕日を切り取ったようなスカーフが、瞬時に暗さを増していく。
それが、まるでダイスケと培ってきた短くも濃い旅の終わりを暗示しているように思えて、ベルは愛らしい顔を悲痛に歪ませる。
「とりあえず消毒液と止血用の布を持ってきたぞ。状態は?」
ステラがバッグを手に状況をたずねるが、ベルは涙ながらに首を横に振る。
「わかんない。血が、いっぱいで――」
「どれ、まずは傷の状態を――」
ベルの言葉を受け、ステラ自身もダイスケの傷口へと目を向け――言葉を失った。
力任せに押さえつけた手の隙間から、赤黒い血が命を持ったかのように飛び出てくる。
医師であるならともかく、素人には手に負えない傷だというのは明白だった。
致命傷――その言葉がステラの頭に浮かんだ。
「死なないで、ダイスケ!」
悲痛なベルの声が響く。
その声に、ダイスケの瞳がわずかに開いた。
しかしながら、ダイスケの視界は涙も出ていないのにぼやけて、誰が誰だかわからない状態だった。
ただ、声の主がベルなのだろうということは、ダイスケには理解できた。
命に関わるダメージを受けたというのに、不思議と痛みは感じていなかった。
むず痒いような、どこか懐かしいような、それでいて心地よさを覚える感覚に、ダイスケは自らの死について思いを巡らす。
きっと、自分はこのまま死んでしまうのだろう。
劇的な最期というわけではなかったが、それでも満足だ。
師匠の墓参りもできたし、久々に冒険を味わうこともできた。
もし、これで本当に人生が終わってしまっても、悔いはないと胸を張って言えるだろう。
「ダイスケ、起きて! 起きてよ!」
「私に治癒魔法が使えていたら……すまない」
「ううん、アタシが……飛び出していなかったら――でも、ダイスケが死んじゃうって思って――ごめんなさい、謝るから。何でも言う事きくから、だから、死なないで! ダイスケ!」
そんなに自分を責めなくてもいいのに。
ダイスケはすっかり硬くなった顔の筋肉をなんとか動かして笑みを作ろうとするが、実際できているかは、まるでわかっていなかった。
果たして思いは届いただろうか。
世界から光が消えていく。
もう、目を開けているのか、閉じているのかもわからない。
「すまない、俺のせいだ……許してくれ」
すぐ近くからアレクの声が聞こえてきた。
きっと、我に返って後悔しているのだろう。
なら、何かしら言葉を贈らなくてはならない。
彼には、遺されたベルたちを守ってもらわなくてはならないのだから。
「アレク……」
「な、なんだ! 詫びでも、何でもするぞ!」
必死なアレクの声に、思わず吹き出しそうになる。
しかし、笑っていられるだけの力は、もうダイスケには残されていなかった。
「ベルたちを……たのんだ……」
「わかった。わかったから、だから――死ぬな!」
切実な思いが伝わってくるアレクの願だったが、残念ながら叶えることができなさそうだ。
アレクのこれからの成長を秘かに祈りつつ、ダイスケは意識を手放そうとする。
途端、ベルの声がどこからか降ってきた。
「ダイスケ、寝ちゃダメだからね! これから、一緒に、もっと、旅、するんでしょ!」
何を言っているかはわからないが、これは、答えないわけにはいかないだろう。
ダイスケは本当に余力のすべてを口へと注いで、唇を動かす。
「だ……じょ……ぶ……わら……て……」
せめて、最後は笑ってほしい。
そんな思いから発した、ダイスケの言葉だった。
その思いに、ベルとステラの声が揺らぐ。
「うん……うん、わかったよ」
「それが、英雄様の望みなら、もちろん――」
意識がフェードアウトする寸前。
それが実際見えた光景なのか、それとも脳内のイメージなのか、ダイスケには判断がつかなかった。
それでも、ダイスケの最期の記憶には、泣き笑いの表情を浮かべる二人の姿と、その隣で号泣しているアレクの姿が鮮明に刻まれ――そして世界に光が満ちた。
頬に受ける風の感覚と、まぶたの上からでもわかる温かな日差し。
目を覚ませという外部からの催促に、ダイスケはゆっくりと目を開く。
前方は丈の短い草原が続くゆるやかな下り傾斜になっており、この場所が小高い丘になっているのがわかる。
そして、丘のふもとに見える集落には、白い外壁と朱色の屋根が特徴的な建物とそこで生活する人々の姿が確認できた。
右手には岩場が続いていて、その端には遠目にもわかる青白く巨大な岩が、天然の防護壁として連なっている。
他方、左手から背後にかけては深緑を着飾った血色の悪い木々の集団。
彼らが放つ不気味な雰囲気は、人間によるそれ以上の進出を阻んでいるように見えなくもない。
それは今まで何度も目にしてきた、ラインヘッド村の風景に違いなかった。
「結局、ここに戻ってくるのか……」
どうやら繰り返される無限リスポーンの輪廻からは逃れられなかったらしい。
予想を裏切らない展開に、ダイスケの口からは乾いた笑いが漏れた。
しかし、その表情はすぐに前向きなものへと変わる。
それはダイスケが後悔のない終わりを迎えたからに違いないからだった。
「……考えても仕方ないか。思うがままに好きに生きるのもアリだってわかったことだし、ゆっくりと今後の人生について考えるとしようか」
全身を使って大きく伸びをするダイスケ。
瞬間、腹部から橙色の布が一枚、ハラリと離れて柔らかな草の上に舞い落ちた。
「――んっ?」
拾い上げると、それは以前ベルにプレゼントしたはずのスカーフだった。
何かの手違いで、一緒にこの地にまで舞い戻ってきたのだろうか。
今まで何度もこの地に戻ってきたことはあったが、いずれも装備は初期化されていたし、こんなことはなかった。
「これも、何かの運命なのかもしれないな……」
今回の旅の思い出を噛みしめるように、スカーフを見つめるダイスケ。
そんなダイスケを試すように、ひと際強い風が後方から吹き抜けていく。
反射的にダイスケは指先に力を込めて、スカーフをしっかりと握りしめた。
それは、一緒に旅を共にした仲間との繋がりを、決して離さないようにとの思いを乗せているかのようだった。
そして、風になびくスカーフを胸に、ダイスケは快晴の空を見上げる。
「……ありがとうな」
風に思いを託すと、ダイスケはゆっくりと丘を下り始めた。
今頃、ベルたちはどんな思いでいるだろう。
胸を打つ悲しみに、震えているだろうか。
それとも、途方もない喪失感に襲われているだろうか。
あの地に二人を残してきたことは心残りではあるが、きっと大丈夫だろう。
彼女たちは立派な冒険者に成長した。
いずれ、再会を果たせる日もくるかもしれない。
その時は、心配したんだからと怒られたりするのだろうか。
未来に思いを馳せながら、ダイスケは顔に笑みをこぼす。
手首にしっかりと巻き付けた太陽色のスカーフを、持ち主へと返す日を楽しみに思いながら――。
永遠の英雄と最期の場所 一飛 由 @ippi
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