第32話 旅の終わり

「さて、当面の目的は果たしたことだし、あの小屋まで戻ったら一休みでいいんだよな?」

 歩きながら大きく伸びをするダイスケに、隣を歩きながらステラはたずねる。

 東方への進行を一旦休止したダイスケ一行は、王都の方角へと来た道を戻っていく最中であった。

「私は構わんが、一応追われている身なのだろう? 大丈夫なのか」

「王都近辺の捜索は終わってるだろうし、大丈夫だろう。きっと今頃西方の捜索に力を割いてるはずだ」

「なるほど、言われてみればそうか」

「ちょっと、難しい話はナシにしてよ。結局これからどうするの?」

 話題に入っていけないのが不服らしく、ベルは背後から抗議の声を上げる。

 ただ、それは心からの不満ではなく、構ってほしいという気持ちの裏返しであることをダイスケはわかっていた。

「そうだな。休んだ後はどこかの村で依頼をこなしながらゆっくりするのもいいかもな」

「おぉっ、それ冒険者っぽい!」

 緊張からの解放。

 心地よい疲労感と達成感。

 旅行の帰り道のような空気感が漂う道中、それらの感情とは異質な、殺気と怒気を織り交ぜたような声が響き渡る。

「見つけたぞ! まさか、お前だったとはな!」

 声の主に、ダイスケは見覚えがあった。

 装備こそ革の鎧にロングソードと変化しているが、その顔はウッドアンクルで出会ったベルの兄――アレクに違いなかった。

 既に剣を抜いている辺り、いつ斬りかかってきてもおかしくはない。

 危うい雰囲気を醸し出しているのは傍目にも明らかだった。

「君は確かアレクだったな。どうしてここが?」

「ここに来るまでの間に商人に出会ってな、教えてもらったよ。まさか本当に逢えるとは思えなかったがな」

 口止めはしていなかったが、まさかこうも早く見つかってしまうとは、正直予想外だった。

 ダイスケはポーカーフェイスを貫くが、内心ではどう切り抜けるか、忙しなく思考を巡らしていく。

「そうか、事情はわかった。だが、こんなところまで来て仕事は大丈夫なのか?」

「あぁ、誰かさんのアドバイスのおかげでな。キッパリ辞めてきたよ」

「やめたって、どういうこと? お兄ちゃん、騎士になったんじゃないの?」

 驚いた様子でベルが声を上げる。

 その声にアレクは顔を歪めるが、すぐに視線をダイスケへと向かわせ、自身に言い聞かせるように言葉を放つ。

「すまない、ベル。でも俺は、騎士になることより、お前を守ることの方が大事なんだ!」

「守るって……お兄ちゃん、アタシは自分の意思で――」

 そこまで口にしたところで、ダイスケはベルの言葉をさえぎる。

「なるほど、君の妹さんへの思い。強く受け取った」

 ダイスケは口元で小さく笑うと、一人スッと前へ出る。

 そして、おもむろに鞘から剣を引き抜いた。

「えっ、ちょっと。どうして、お兄ちゃん!?」

 驚いた様子のベルだったが、現状が呑みこめていないらしく、混乱したままその場で立ち尽くしていた。

「ダイスケ、手助けは――」

「――不要だ」

 それだけステラに言い残すと、ダイスケは剣を構え、臨戦態勢へと入る。

 途端に訪れた緊迫感。

 それすらも斬り捨てる勢いで、アレクが先に動いた。

「俺を騙したこと、悔いるがいい!」

「騙した覚えはないのだがな。ただ、君の妹とは知らなかった、それだけだ」

 ロングソードを大きく振りかぶり突進してくるアレク。

 その姿は誰の目にも隙だらけなのは明白だった。

 ダイスケはそんなアレクの初撃を最低限の動きで回避する。

「動きが大きすぎて無駄が多いぞ」

 半ば挑発するようにダイスケはアレクの動きを分析し、口にする。

「うっ、うるさいっ!」

 それからもアレクは力任せに腕を振るい、ダイスケに攻撃を当てようと試みる。

 右肩目掛けて振り下ろされる剣の軌道。

 下段から中段にかけて、若干振り上げるような薙ぎ払いの一撃。

 距離感をまったく無視した、距離を取らせる程度の役割しか果たせない、小手先の剣撃。

 しかしそれらの攻撃すべてを、ダイスケは時にかわし、時にいなして、力量の差を見せつけていく。

 当然、先に足が止まったのはアレクの方だった。

「くそっ、どうして、当たらない……」

 荒くなった呼吸を整えながらも、アレクはダイスケをにらみ続ける。

 対するダイスケは深く息を吐くと、目を細めて剣を鞘に納めた。

「実力の差はわかっただろ。もう、終わりにしよう」

 瞬間、アレクは歯を食いしばり、憎悪に満ちた表情で前傾に飛び出す。

 通常の人間相手であれば、完全に不意を突けた、この上ないタイミングでの一撃だった。

 ところが、ダイスケは表情一つ変えることなく、瞬時に腰を下ろし、たった一振り抜刀する。

 甲高い金属音。

 それはアレクの手から唯一の武器が弾かれた音だった。

「くそっ……どうして……」

 ヒザから崩れ落ち、地面に拳をぶつけながら悔しがるアレク。

 そして敗北を告げるように、宙を舞っていた剣がアレクの前に落下し、転がった。

「お兄ちゃん……」

 目の前で敗北した兄の姿を、若干うるんだ瞳で見つめるベル。

 その肩を優しく抱き寄せるのは、切なげな顔のステラだった。

 こうしてみると、見た目こそ全然違うが、仲の良い姉妹そのものだ。

 そして、自己防衛のためとはいえ、ベルの兄と剣を交えてしまった。

 ――今回の旅は、きっとここまでだろう。

 悔恨にうちひしがれるアレクを一瞥した後、踵を返してダイスケは二人の元へと歩き始める。

「――まだだっ!」

 それはダイスケが未だかつて見たことのない執念だった。

 アレクは転がった剣をかっさらうように拾い上げると、そのまま突き出すような形で猛進を始める。

 突然の殺気にダイスケも振り返ろうとするが、ベルとステラの顔に気を取られていたこともあって、わずかに反応が遅れる。

 とてもではないが、先程のように剣を振るって攻撃を弾くなどという芸当はできる状態ではなかった。

 ――できれば、無傷のまま帰したかったが、やむを得ない。

 ダイスケは険しい顔のまま、剣の柄へと手を掛ける。

「お兄ちゃんっ!」

 ダイスケの放った殺気にいち早く気付いたベルは声を上げ、駆け出す。

「おいっ、ベル。一体何を――」

 ステラは何とかしてベルを呼び止めようとするが、その思いは届くことはなかった。

 ダイスケ目掛けて伸びる剣先。

 足を止め、応戦すべく構えるダイスケ。

 そこへ、間に割り込むように、ベルの小さな影が飛び込んでくる。

「――なっ!?」

 目を見開くアレク。

 だが、もう止まらない。

 剣の先が、アレクの意識から逸脱し、飛び込んできた少女の身体を貫かんとする。

 アレクの怒声は、いつしか悲鳴に変わっていた。

「――くっ!」

 刹那、ダイスケは顔をしかめて、身体をひるがえした。

 そして次の瞬間、世界は少しだけ静止した。

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