横断歩道
千紘
横断歩道
その日も朝から陽射しが強く、ジワジワという蝉の声が、蒸し暑さに拍車をかけていました。
スーパーからの帰り道、横断歩道を渡ろうとしたところで信号が点滅し始めてしまったので、私は細い信号機のわずかな日陰に身を寄せるようにして待つことにしました。
片側2車線ずつの幹線道路を車が通り過ぎる度、排気ガスの混じった熱風が吹き寄せてきます。私はエコバッグの中のカップのアイスクリームが溶けないか、そればかり気にしていました。
──帰ったらすぐ食べるって聞かないんだろうな。
3歳になる息子はバニラアイスが大好きなのですが、このカンカン照りの暑さでは、ドライアイスを乗せていてもアイスが柔らかくなってしまいそうです。
急いでいた私は、信号が青になるが早いか、足を踏み出そうとしました。
その瞬間、肩にかけたエコバッグをぐっと後ろから引っ張られ、勢い余ってガクンと後ろに倒れ込みそうになってしまったのです。
すんでのところで踏みとどまった私の目の前を、白い軽自動車が猛スピードで走り抜けていきました。
左折カーブの車がギリギリ行けると踏んで、無茶な突っ込み方をしてきたのでしょう。完全アウトの危険運転に怒るよりも呆然としてしまったのですが、私もちゃんと確認していなかったので、息子が引っ張ってくれなかったら危ないところでした。
ごめんね、ありがとう。
そう言おうとして、私は息子がいないことに気が付きました。
今日は夫が休みなので、息子には家で一緒にお留守番をしてもらって、私はひとりで買い物に出てきたのです。
私は後ろを振り向きましたが、そこには誰もいませんでした。その時道路のこちら側で信号待ちをしていたのは私だけ、周りに人通りはありません。
反対側から横断歩道を渡ってきた日傘のお婆さんが、一部始終を見ていたのでしょう、おねえちゃん怪我せんでよかったねえと声をかけてくれました。
誰かが引っ張ってくれたとか、そういうのはひと言もなかったので、やっぱり誰もいなかったみたいです。
私は曖昧に笑って頭を下げて、急いで横断歩道を渡りました。
人には見えないものが見える人というのが時々いますが、私は見えたことはありません。
ただ気配を感じるというのか、亡くなった人の話をしていたら、栓が閉まっているはずの水道から水がチョロチョロ流れ出したり、ごみ箱の回転式のフタが揺れ始めたり、そういったことがごくたまに起こるのです。
あの日もご先祖様か通りすがりの誰かが、危ないところを見かけてちょっと助けてくれたのかもしれません。
でも、引っ張ってくれて本当によかった。あれがもし逆に押されていたらと思うと、ちょっと背筋が寒くなりますね。
了
横断歩道 千紘 @lisatanzanite
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