第3話 眉に唾をつけましょう

「前後関係だけと言うからには、証拠はないと言っているも同然だよ。たまたまだ」

「例の覗き騒ぎも、本当はあなたが渡部理津子を見張っていたのがきっかけなんじゃ?」

「くどいね。違うよ。あなた達警察はすでに坂上さん、いや坂口俊美さんを拘束して、事情聴取なんかをしてるんだろう? その過程で、彼女のスマホから何から調べたに違いない。彼女が私に電話やメールなど、連絡を取った形跡はあったかい?」

「……いえ。全く」

「だろう? ま、事実ないんだから当然なんだけど。何ならこちらも全てのスマホやパソコンを提出しましょうか。仕事に使っている分もあるから、顧客からブーブー言われるだろうなあ。そのときは、警察とあなたの名前を出して、言い訳させてもらうとしましょう」

「それは勘弁してください」

 お手上げのポーズをしてみせる稗田。その動作に紛れて、腕時計を一瞥した。

「それにしても社長さん、よっぽど事件に興味がおありのようで」

「うん? それはまあ、あなたが突っ込んで聞いてくるから」

「でも、お約束の十分、過ぎましたよ」

「――いいんだ。別に次に会う人がいたっていうんじゃない。静かに一人で考える時間を設けているんだ。それを警察のために割いてあげますよ」

「そりゃありがたい。あと何分ぐらいですか」

「……十五分と言いたいが、あなたもしつこそうだからな。丸々三十分くれてやる。その代わり、二度と来ないと約束してもらいたい」

「うーん、そうですな……難しいけど努力します」

「頼りないな」

「十五分で終わらせるようにしましょう。捜査本部は、俊美さんを犯人と見込んでいるが、ある理由から逮捕に踏み切れないでいます。まず、事件当夜、現場に彼女が来たと思える痕跡がないこと。これはまあ、後始末できなくはない。もっと大きな関門が、被害者の腕と首が折られていることでして」

「報道にそんな話は出てなかったな。死因は絞殺とだけ」

「ええ。上層部が切り札になると踏んだんでしょうな。ともかく、骨は念入りに折られていて、細身の俊美さんにはとてもできそうにない。道具を使ったとしたら、もっと違う折れ方になるみたいですし」

「じゃあ、早く釈放することだ。彼女は犯人ではないという証拠じゃないか」

「折ったのは、あなたじゃないですか?」

「ばかなことを。妄想もたいがいにしてもらいたい。連絡を一切取り合わずに共犯関係を結んだと主張するのかい? 公判はとても維持できないと思うよ」

「うーん、どうしても認めてもらえませんか」

「当然だ」

「やはりそうですか……。後出しじゃんけんは嫌なんで、できれば率先して認めていただきたかった」

「何を言っている?」

「最終確認です。社長さんはこの四月以降、渡部理津子さん宅を訪ねたことは?」

「ないっ。十ヶ月前の件では、直後に出向いて話し合いを持ったがね」

「じゃあ、確定だなあ。渡部理津子さんは三月末に掃除業者を呼んで、家をきれいにしてるんです。だからその後あの家であなたの痕跡が見付かれば、とりもなおさず、あなたは訪問していることになる」

「はん! 一体全体、私がどんな痕跡を残すと言うんだい? ご覧の通り、髪の毛はない。唾でも飛んだかな? 私ならマスクをするがね」

「うん、多分実際そうだったんでしょう。ただ、被るならマスクはマスクでも、覆面の方を被るべきだった」

「何だって?」

「覆面レスラーやスキーマスクみたいなやつです。ああいうのを被られたら、眉毛もなかなか落ちないかもしれない」

「眉毛……」

 社長の太い指がその眉に触れる。

「髪がないからと油断したのでしょうか。現場からは人の眉毛が数本採取され、あなたの物と判定されました。ああ、DNAは以前の試料を使わせてもらいました、廃棄の希望が出されていなかったので」

「……私が一人でやった」

「え? 一転して認めるんですか」

「ああ。私の単独犯行だ。渡部理津子を殺したのはこの私であり、俊美さんは関係ない」

「お気の毒だがそれは通りません。首を絞めた痕跡から、犯人の手の大きさがだいたい分かります。あなたの手では大きすぎる」

「くそっ。忌々しい手だ」

 自身の手を見つめ、吐き捨てる社長。もしそうすることで効果があるのなら、この場で彫刻刀でも使って手の輪郭を削りそうな激しい勢いがあった。

「本当は、私は彼女を止めたかったんだ。俊美さんが渡部に接近していることに気付いたから。だから渡部の家を見張れるスカイハイツに移った。だけど、事業が忙しくなって、このざまだ。あの晩、見たときにはもう殺してしまっていた。こんなことになるんなら、先に私があの女をやっていれば」

 と、今度は後悔をありありと浮かべ、拳を強く握りしめる社長。スキンヘッドの風体、筋肉質な身体と相俟って、ちょとした凄みが醸し出される。

 稗田はこの肉体派の容疑者――犯人を無事に連行できるか、些か不安を覚えた。だが、表面上は平気な風を装って、静かに告げる。

「行く前に、社長として色々と連絡が必要なのでは? 今井優さん」


 終

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眉に唾をつけましょう ~ 不毛な努力 小石原淳 @koIshiara-Jun

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