第22話 エピローグ

「この学校にユダがいます」


 次の日の朝、ホームルームが始まると、乙藤先生がいきなりそんなことを言った。

 その言葉にクラスの一部の男子、というか半数くらいの男子が一斉に俺を見てきたが、おいコラと怒りたい。

 俺は人畜無害を体現した生き様なのに酷い誤解である。


 ユダ。イスカリオテのユダ。

 イエスの弟子でありながら、イエスを裏切り、銀貨三十枚で師を売り払った人物であると言われている。なぜ裏切ったのかはいろんな説があり、映画や小説などの題材にもなっている。深い理由があったり、人間らしい感情であったり、やはり金に目が眩んだだけ、作品によって様々な人物像で描かれている人物、ユダ。

 現在ではたんに裏切り者の代名詞で使われている。乙藤先生もそういう意味で言ったのだろう。

 しかし、このクラスに裏切り者がねぇ。物騒なことである。

 呑気に他人事だと考えていたら、乙藤先生と目があった。

 目が合ったのは一瞬で、すぐ逸らされたが、視線の鋭さがそこにはあった。

 ………………………………え?


「そう! 告白して振られたのに、密室の部屋に連れ込んでいくとか! そんなことをする生徒がいるのです!」


「えぇぇぇぇぇ!?」


「まじかよぉぉぉ」


「密室ってどこだ? え、ホテル? ホテルなの!?」


「誰だ、殺せ! 殺せ!」


「とりあえず月見里も殺せ! 無罪でも冤罪でも構わん。ついでに殺せ!」


 冷や汗が頬を伝う。

 あれ? これって俺のことじゃないかな。クラスメイトは俺が朝比奈さんに告白したことは知らないから、俺のことを言っているとは気がついてない。だが、的確に俺を殺そうとするのはなぜだろう。


「先生ね。自由恋愛はいいと思うけど、弱みにつけ込んで無理矢理連れて行くのは駄目だと思うの。振られたら諦めるべきだと思うの」


 違います。

 誤解です。怪我の原因があるからって無理に朝比奈さんを部室に連れ込んでません。

 朝比奈さんも目を白黒させて混乱している。

 どっからバレたの!? まさか乙藤先生に見られてた!? あの気配は乙藤先生の!? 


「では、本日のホームルームを終わります!」


 言いたいことを言って乙藤先生は去っていった。

 ホームルームの内容がなかったのだけど、いいんですか……。


「で、だ。月見里義之先生。真偽のほどはいかに」


 ホームルームが終わり、次の授業が始まるまでの休憩のような時間。

 誠一郎がいやらしい笑顔を浮かべ近寄ってきた。手を揉み込みながら聞いてきやがる。

 お前は江戸時代の商人か!


「知らん。無実だ」


 コイツは乙藤先生が俺のことを言っているのをわかった上で聞いてるのだろう。部室に連れて行った相手が誰であるかまでわかっていそうだ。付き合いが深いと厄介なことである。

 しっ、しっ、と虫を払うような仕草で追い払う。

 だが、誠一郎はまるで虫のように追い払っても退散せずに近寄ってきた。うぜぇ。


「で、なんで義之って乙藤先生にあんなに愛されてるの?」


「知らん。俺が聞きたいくらいだ」


 これは本当に不思議に思う。

 なぜ、乙藤先生にあんなに構われているのか。いくら考えてもわからない。突然、あんな態度になった。好かれているとは思うが、それが恋愛的意味なのか自信がない。


「ぶっちゃけ、乙藤先生、義之のことが好きじゃね?」


「……知らん。俺に聞くな」


 乙藤先生がこのクラスの担任になってもうすぐ二ヶ月。接点らしい接点といえば、この学校で授業やホームルームだ。サシで話をする機会も朝比奈さんに振られてからだ。それまでは一生徒ぐらいにしか見られていなかったはず。それがなんで今こうなっているのか本当にわからない。愛されている気がするし、心配されている気もする。乙藤先生が何をそんなに気にしているのかわからない。だから、俺も自信を持てずにいる。


「もし、乙藤先生が付き合ってって言ったら、義之どうすんの?」


「…………先生にも立場があるだろう。生徒と付き合うのはよくない」


 誠一郎が壁になってよく見えないが、朝比奈さんがこの話を聞いている気がする。別に俺が誰と付き合おうと朝比奈さんは関係ないし、これは仮定の話だからどんな答えでもいいはずだ……なのに、なんで俺は背中に汗をかいているのだろうか。というか、誠一郎は朝比奈さんが隣で話を聞いてるのわかってて言ってないか!? 

 確かに……一般的に考えて……朝比奈さんを抱きしめている男が他の女性と付き合っているなんてよくないよね。俺が朝比奈さんに気まずい気持ちを感じるのは何もおかしいことではない……はず。

 俺の中の悪魔と天使がバントのジェスチャーを送ってくるが、意味がわからない!?

 俺にどうしろって言うんだ!?

 

「そんな玉虫色の返事は聞きたくないなぁ。義之様ともあろう方がビビっちゃってるんすか? セクハラ、パワハラで有名だった教師を、あいつこの学園にいらんよなって言って、本当に学園を辞めさせた月見里義之様ともあろうお方が」


 コイツにピッチャー返しをしてやりたい。お前も協力しただろう!

 あと、この話を漏れ聞こえた人! 身構えないで! 

 若気の至りだから。反省しています。俺だってやりたくてやったわけじゃないんだ!


「よし、お前の彼女に会わせろ。お前のことについて有る事無い事語ってやろう。次彼女と会うときは破局のときだと思え」


 親友といって言い仲だ。誠一郎の彼女も普段の誠一郎について聞きたいだろう。なに、嘘はあまり言わないから安心しろ。まずは朝比奈さんに告白して断られた話をしようか?

 

「すいませんっした!!」


 俺が自分の彼女に何を話すか簡単に想像がついたのだろう。

 蝙蝠より身軽に、誠一郎が立場を変えて謝ってきた。

 わかればいい。


「はーい授業やるぞー。席につけー」


 一限目の授業の先生が教室に入って来た。


「ま、もしものことだけど。考えとけよ」

 

 誠一郎は俺の肩をポンと叩き、自分の席へ去っていった。

 誠一郎の言葉。何をということは愚問だろう。

 からかうためにではなく、これが言いたいがために誠一郎は来たのだろう。本当に親友というのは厄介だ。逃げたいと思っても、逃してくれないんだから。俺のためと思っているから本当に厄介だ。

 だが、余計なお世話というわけでもない。

 想定することは何も悪いことではない。現実というのは突然降りかかってくるもの。何が起きても困らないよう、対策をとっておくのが大事なんではなかろうか。

 誠一郎の忠告通り、俺はあらゆる事態を想定して考える。

 灰色の脳細胞が今唸りをあげる!



「はい、文芸部の活動を始めるよ~♪」


 今日も今日とて部活の日。

 場所は文芸部部室。


「…………」


「…………」


「…………」


「はい、パチパチパチ」


 号令と共に俺達は乾いた拍手を送る。

 それを満足そうに頷く号令をかけた人。


「で、月見里先輩。どうなっているんですか」


 コソッとかがみんが耳打ちしてくるが……。

 わからない。

 本当に今の状況がわからない。

 

「で、文芸部って普段何をするの?」


 号令を発した人が聞いてくるが……。

 わからない。

 本当にわからない。

 文芸部を名乗ってはいるけど、俺とかがみんしか普段いないし、自由に好き勝手にやっているだけで真面目に部活動をしているわけではない。何をするって言われても、何もとくに……としか言えない。


「まずは自己紹介しよっか。知っていると思うけど、世界史担当をしている乙藤姫乃です。今日からこの部活の顧問になりました~。よろしく~♪」


 うん、目の前にいるのは我らが担任、乙藤姫乃先生。

 文芸部の顧問は君臨すれども統治せずという名言を掲げた御年64歳の長老だったはずだが、いつの間にクラスチェンジしたのだろうか。昔のゲームはクラスチェンジしたら老人だった人が、青年に若返ってたりしたが、性別まで変わることはなかった。事実は小説より奇なりと言うやつかな。

 ……うん。現実逃避はやめよう。


「じゃあ……次は朝比奈さんね」


「あ、あのっ! 朝比奈夕凪です! 二年ですが、よろしくお願いします!」


 そして、ここにいるはずのない朝比奈さんがいた。

 俺と目が合うと恥ずかしそうに顔を伏せる。

 かがみんが恥ずかしそうにする朝比奈さんを一瞥し、俺をジト目で睨む。


「で、月見里先輩……ほんとーに! どういうことなんですっ!!」


「私も聞きたいな―♪ なんで朝比奈さんが月見里くんの部活にいるのかなー♪ 先生、知らなかったな―朝比奈さんが文芸部だったなんてー」


「あ、あの……私も今日から入部しようかと……」


 俺が原因なんだろうと、かがみんが俺に詰め寄る。

 そして、にこやかな笑顔で迫る乙藤先生。


 そう。乙藤先生が顧問になるのと、朝比奈さんが入部するのは同時ではあるけれど、別の話だった。

 まず、俺とかがみんが部活動という名の雑談をしていたら、朝比奈さんがやってきた。突然の来訪に驚く俺達に朝比奈さんは入部希望と言い放つ。

 二年で美人であるという噂は知っていても、朝比奈さんが誰なのかは見たことがなかったかがみん。借りてきた猫のように人見知りを発揮していたのだが、目の前の女性が朝比奈さんとわかると態度を一変。

 これが月見里先輩が嘘告白をした朝比奈先輩ですかと言うように、眼光鋭く俺を睨んできた。

 誰か助けてと願った瞬間。聞こえるノック音。

 突然の来訪者に助かったと扉を開けてみると、乙藤先生が顧問になったよーと言葉片手にやってきた。

 助かってない。

 全然助かってない。

 こうして今に至り、とりあえず自己紹介しようという流れなのだが……。

 

「やまなしー先輩ー!?」


「やまなーしくぅーん?」


 ねぇ、なんで俺に聞くの?

 入部を決めたのは朝比奈さんだよ? 俺何もしてないよ? 当事者、そこで恥ずかしそうに座っている朝比奈さんだよ!? 自己紹介止まっているけど、俺を助けるために続けようよ! そもそも乙藤先生が顧問になったのもわからないし!

 こんなの想定してないです! 想定の範囲外です!!

 むしろ、俺に教えてほしい。なんでこんなことになっているんですか!?

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頭の上に数字が見えるようになりましたが、何か? 九重 遥 @kokoharu

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