三文居士

――その春、姉が死んだ。

 いつかこんな日が来る、そんな凶兆めいた予感はしていた。それでも私は、何の手も打たず、姉の醸し出す甘い退廃に身を浸し、ただ揺り籠で眠る赤ん坊のようにその身を任せていた。

 今となってはもう遅すぎることだが、十年以上の経った現在でも、いや、時を経れば経るほどより鋭く、あの日ああしておけば、こうしていればと悔恨の言葉ばかりが呪詛となって私の脳裏によぎる……。


 姉と私は、母子家庭に育った。歳の離れた二人の姉弟きょうだいとして、父という存在を知らず成長した私たちは、大の男の発する怒りや、無遠慮、傲慢さと言った諸々の悪徳から逃れ得た代わりに、人の世の嵐に、寄るべき大樹も持たずその身のままにぶつかることを強いられた。

 病弱だった母の身体は、一向に快復の兆しを見せず、むしろその頃唯一の稼ぎ手となっていた姉の負担を増すばかりだった。

 私がようやく小学生の中ごろとなった四月だったろうか。母が病にたおれた。通夜の晩、白く円い月が私たちを照らした。喪服を着た姉は美しく、儚げだった。一条の月光をその横顔に受け、呆然とする私の手を痛いほどに握り、「大丈夫、大丈夫」と繰り返す様は、どこか母を思い出させるようで、私は却って彼女の心を恐れた。

 葬儀が終わってからは、姉は以前に増して働くようになった。早朝から仕事に向かい、夕方には夕餉の準備をすます。そして内職は私の眠りに就いたあとまで続いた。六畳ばかりの借間は、姉の生活を私に見せつけ、幼い私にその過酷さを理解させるに十分な狭さだった。私が諸々の家事を手伝おうとすると、彼女はそれを拒んだ。言い分はいつも「男の子なんだから」、あるいは「子供なんだから」であった。そこに私が弟であることが上ることは一度としてなかった。ある晩私がついに声を上げ懇願すると、彼女もまた目に涙を浮かべてその幼い弟に家事を分担させることを了承してくれた。しかしわずかな奉仕の権利を勝ち得た翌晩から、姉の過酷は一層苛烈を増した。彼女の顔に薄暗い、執念的なかげりを見せるくまの取れなくなったのはその時分からだった。

 私の心が休まる時は、小さな卓を共有し、姉の隣で本を読み勉強する時だけになっていた。彼女が当時あたっていた内職――紙の手芸品を切り貼りしてつくる作業だった――は、もはや日常となっていたし、その鋏で紙を切り裂く音は耳に実に心地よく、何より姉が傍にいることで実感できるその時間こそが、姉の息遣いを通して何物にも代えがたい高貴さを備えさせていた。それは、私がそう遠くない未来に彼女を失うことを予期していたからだったろうか……。


 私が小学生の高学年になった頃だった。私たちの学級は修学旅行で京都に行くことが決まった。私は家を離れることが苦痛で、また負担を少しでも軽減するために、何か理由をつけて辞退をしたかったが、姉の強い勧めと、人並みに振る舞うことを強いる世俗の羞恥心から、数日の旅行に渋々同意し出立することとした。

 旅の数日間は、私にとって思いのほか楽しいものとなったことを覚えている。その意外は、家で二人、静かに時を過ごすことこそが安らぎであると固く信じていた当時の私に、旅の最後の晩に裏切りめいた罪悪感を胸に芽生えさせた。

 最終日、最後の自由時間に、私と数人の仲間は京都の土産店に赴いた。家族への土産を選ぶ友人たちを尻目に、私は何故か気が進まずぶらりと外を覗いた。すると、近くにもう一つの土産店のあることに気付いた。中に入り様子を見ると、そこには万華鏡を扱っている一画の売り場があった。

 万華鏡。私がそれに抱いていた印象は、綺麗だが単調な、時代遅れの遊戯――例えばまりや童謡なぞのような――そんなものであった。しかし、私が手にもって実際に鏡を覗き込むと見えたのは、筒の見た目からは想像もできぬような艶めかしさを持ち、幻想的で霊的なものすら感じさせる世界であった。それは授業で習った、外国の古い教会にある色硝子のように見えた。また同時に、日本の蛇の目傘のようでもあった。

 教会と蛇。この二つの反するような連想が、しかし私には元より当為とういであったかのように自然と融合し、脳内に広がっていった。

 その時私は直感した。これこそ姉にふさわしい土産だと。今にして思えば、私はあの万華鏡に何か一縷の望みを託していたのかも知れなかった。あの美しい鏡の持つ、何か神聖な力が、彼女の見る幻を取り除いてくれるのでは、と……。

 帰宅した私は一番に土産を手渡した。玄関で荷物も肩にかけたままで渡した小包を受け取った時、姉は、心底嬉しそうな表情で、ぽろぽろと涙を流した。嗚咽を堪えながら赤い目で抱擁を交わしてくる姉に、私は旅行中の、自らの心境を回顧し――そしてひどく同情した。


 ひと夏と冬を越え、また、春が来た。それは母の亡くなったのと同じ四月だったし、その日はあの夜と同じく白く円い月が現れていた。

 私が学校から帰途につくと、家に近づくにつれ不気味な警鐘サイレンが私の耳に入ってきた。不穏な人だかりが私の目に映った。

 家の周囲には警察と、赤い消防車が止まり――そして紅い炎が私たちの住む六畳を包んでいた。

 私が辿り着くと、炎はますます勢いを増したかのように見えた。それは最期の叫びだったのかもしれない。窓が割れ、中から火炎が噴き出した。近寄ると、警官がきつく制止した。これ以上近づいてはいけないと言った。私が自分の家だと言うと、警官は唖然として、何か叫んだが、もはや何の言葉も聞こえはしなかった。

 後で告げられた話であるが、出火場所は私たちの部屋だった。夕食の支度をしていた姉の、火の不始末が原因だった。いや、これは正しくない。何故なら姉は出火した時にはすでにその息を引き取っていたのだから。遺体の損傷のため詳しくは不明であったが、事故前の生活を鑑みると恐らくは過労であろう、少なくとも火事が原因でないことは事実である、と。


 私は、独りになった。

 哀れな境遇の私を世間は同情した。縁の遠かった、気の優しい親戚に預けられ、それまでとは全く異なった生活を得ることができた。衣食住で他人より見劣りすることなどなくなった。中学、高校を卒業すると、望みもしなかった大学にまで進学することができた。学部を卒業すると、どこに行っても恥じぬような企業に就職した。すべてがお膳立てされていたかのように好転した。決して楽な道のりではなかったが、世間という嵐のなかで、一人生きていく術を得た。

 しかし私が個人として成長していくにつれ、それに反するように精神は荒んでいった。

――姉の一生を犠牲にした。

 胸を刺すようなそんな言葉が私を縛り上げ、心を歪めていくのがわかった。蔓のように思えたそれは、しかし何度振り切ろうとしても、決して逃れることを許さなかった。

 それは時を経るにつれ鋭く太く成長し、もはや身動きすらとれぬほど固く私に巻き付いていた。だが、今や私は抗うことをやめていた。何故なら、そんな残酷な仕打ちの中にも、確かに姉の息遣いが聞こえるのだから。それは、あの優しい姉が私のなかで生きている偽りのない証なのだから。

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三文居士 @gorio

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