私は幽霊を信じない。

いたち屋

第1話 幽霊は居ない事にしましょう、と提案をさせて頂きます。

 この度はお忙しい中、この作品を開いて頂き誠に、有難うございます。


 早速ですが、皆様は幽霊を信じておりますでしょうか。

 夏に増える怪談話などで同じみの幽霊ですが、残念ながら私はその幽霊というモノの存在を信じては御座いません。

 何で、と聞かれましても、

「いる筈ないから」「有り得ないから」「証明出来ないから」

 などの答えが返って来ることがほとんどで御座いましょう。

 しかし、不肖の私ですがこの理由一応持ち合わせております。

 知恵の少ない愚かな私の考えたことですので、

「下らないことだ」「納得できない」

 または、反論の一つで黙り込んでしまうような些細な事やもしれませんね。

 そんな下らない話にどうか娯楽として皆様に読んで楽しんで頂ければ、この私にとってこれ以上なき幸せで御座います。

 前置きが長くなってしまいましたね。

 それではここに一つ語らせて頂きます。


 それは、私が九つの時の話です。

 その頃、公立の学校に通っていた私ですが、少しばかり学校が他の友人達よりも遠かったのです。

 しかし、そんな近所に親しい友人が少なかった私ですが、仲良くしていた男の子がおりました。

 更に遠回りになってしまうのですが、私はその子の家まで行ってから一緒に学校に行くのが日課でした。

 そんなある日のことです。

 家のインターホンを押したのですが、その子の母親にですね。

「ごめんね。○○(友人の名前)放送委員で先に行っちゃったのよ」

 と、言われてしまいました。

 その時は携帯などというハイテクな物は持っておりませんでしたし、子供だったのでアポイントメントなどは取っていませんでしたから、当然と言えば当然の起こりうる出来事ですね。

 しかし、いつもより遠回りをしてきたというのに、何にも収穫が無いというのは幼いながらにがっかりいたしまして。

 そんな気分を振り払うかの如く、私は学校へと走りだしたのです。

 私は残念ながら都会には住んでおりません。

 途中には松林や畑、住宅街や公園などしかない場所でございます。

 田舎といえばもっと田舎にお住まいの方からクレームが来てしまうやもですので、あくまでも都会ではないというのだけ分かっていただければと存じます。

 私が走っている時、右手に畑があり、左手には住宅が立ち並ぶ大きな坂が御座いました。

 体力の無い私はこの時にはもうへろへろ。

 気力だけで本人は必死なのですが、はたから見ればのろのろと駆け上がります。

 すると、ある一軒家の前を通ったときです。

 何かが私の目に移りこんできました。

 立ち止まり、数メートル下がってその何かが見えたであろう場所に視線を向けます。

 それは大きな壺でした。

 大きなと言っても五十センチ位のメダカを飼うような物で御座います。

 一軒家の玄関から数メートル先。

 柵の手前、道側のインターホンの下あたりにドンと座り込んでいるのです。

 私はこれと見間違えたのでしょう。

 きっと走っていて壺がぶれて見えたのでしょう。

 何が見えたかと言いますと、その壺の横に体育座りをした子供が見えたので御座います。

 私はその頃は幽霊を信じておりましたので、ブルリと小さく震え、見間違いだと先を急ぎました。

 何てことはありません。

 ただの見間違えで、目の錯覚です。


 えぇ、さすがに錯覚だから幽霊を信じないという、ありきたりな理由な訳では御座いません。

 流石の私もただそれだけのしょうもない話を書くほど阿呆ではありませんので。

 もちろん、話には続きが御座います。


 この後、別段何か恐ろしい怪異現象は起こらず学校に到着いたしました。

 朝の会ではいつも通り教師が喋る同級生を注意し、一時間目から四時間目までがいつも通りに流れ過ぎていきました。

 そうすれば、次は給食で御座います。

「頂きます」

 と、一斉に始まるそれでも怖いことなど起こりませんでした。

 当然のことと言えば当然のことですね。

 それだけ時間が過ぎれば朝のことなどあまり意識はしていません。

 食べ終えてしまった私は、いつものように歯磨きをしに廊下の水道へと向かいます。

 皆様は学校の水飲み場を覚えていらっしゃいますか。

 六、七個の蛇口が一列に並んでおりまして、その蛇口の水を全て受け取ることが出来る大きな箱の様な物が壁に付いています。

 なので、足元には窪みの様なスペースが広がっているのです。

 教室から廊下へ出た瞬間のことでした。

 私は水飲み場のその暗いスペースに視線が釘付けになってしまいました。

 まるで、登校中走っていた時の様に。

 それもそのはず、朝見た子供がそこにいるのです。

 また体育座りの姿勢で、横倒れになり、そのスペースに綺麗に収まっていました。

 顔がこちらに向いている様に感じましたが、そこまでは今はもう分かりません。

 それに、その子供はすぐに消えてしまったのです。

 目を離したわけではないですが、呆気にとられている隙にどのようにしてかは分かりませんが消えてしまったのです。

 丁度すぐ傍の人に急いで今のことを言いました。

 その人はサッカー部に所属していた男の子なのですが、このことを言うと

「足元にいたのなら蹴ってみればよかったじゃん」

 と言ったのです。

 他人からは嘘にしか聞こえませんし、嘘だと思わなかったとしても、実感しなければどの位その瞬間恐怖を感じ不安を抱くのか理解されないものでしょう。

 そのままズルズルとその不安や分かってもらえない寂しい気持ちを抱えて五時間目、六時間目の授業を受けました。


 さて、帰りです。

 帰りには朝迎えに行った放送委員会の男の子と一緒に帰りました。

 やはり、信じてもらえなくても話したくなるのが子供の性分ですので我慢できず幼い私は話してしまいました。

 あまり興味を持ったかは分かりませんでしたが、やはり信じてはくれていなかったでしょう。

 帰り道は勿論来た道と同じなので、あの壺のあった家の前で私は言います。

「ここで最初に小さい男の子が見えたんだ」

 すると、友人はその言葉に反応を見せました。

 苦い顔です。

 心底嫌そうな顔で立ち止まりました。

「ここなのか?」

 そう聞かれました。

 目印になるこの壺は他の近くの家にはありませんから家が違うはずはありません。

 何故、家の場所で反応したのか当然私は気になります。

 聞いてみると、ポツリポツリと話してくれました。

「ここのおばあちゃんがさ、本当に最近ね。救急車に運ばれて死んじゃったんだよ」

 言われた時、ゾゾゾっと虫が背中から這ってくる感覚がしました。

 ただの見間違いだとも当然思いますが、ほんの少しの偶然でも因果関係の様な物が糸の様に細く繋がっていれば、自身が感じる信憑性はグッと上がるというものです。


 何故、御婆さんの亡くなった家で男の子が見えたのでしょうか。

 これは数日後に簡単な仮説を立てました。

 幽霊は、在るべき姿で在り続けるのだということを耳にしたので、あの御婆さんの幽霊だったのではないかという物です。

 だったら、女の子が見えるはずではないのかと誰もが疑問に思うでしょうね。

 それでは逆に、何故私が一瞬しか見えなかった子供を男の子に見えたのか。

 この理由は、髪の毛と服装です。

 私が見えた子供は髪の毛が短めだったのです。

 そして、体育座りしていたため足の部分しかよく見えませんでしたが、青っぽい色だったように感じました。

 なので、ジーンズの様な青い物をはいた少年と考えていたんです。

 今考えれば、そういう女の子も十分すぎるほどいるのですがね。

 しかし、私が子供の頃から更に御婆さんが子供の時まで時代が遡ると、今からざっと九十年ほど前なのです。

 その頃は髪の長い女性はあまり居ないと思います。

 ギリギリ洋服が入った頃か、まだな位でしょうか。

 残念ながら私はあまり時代に詳しくないので確証のあることは言えませんが、青めな服もあったでしょう。

 ならば、御婆さんの子供の時の霊なのではないかと考えました。


 それ以来私はたまに、そのお婆さんと関係があるのかないのか分かりませんが、不可解な音や現象を体験いたしました。

 急に折れて降ってきた生枝や、誰も居ないのに後ろから聞こえる若い女性の悲鳴、録音中に入った謎の女の笑い声など。

 本当に多少ではありますがね。

 しかしながら、幽霊を信じるかと聞かれると少し悩みます。

 全て錯覚な可能性だってあるのですから、そう簡単に信じるということはありませんでした。

 中学や高校で心霊や怪談を調べ、知り合いから体験談を聞いたりなどしました。

 それで私が行きついた答えは、心霊は幻覚や自己催眠に類似した物と行きつきました。


 やっぱりありきたりな理由じゃないかと申されましても、そうだと思いいたってしまったのです。

 勘違いされてしまわれた方もいるかもしれませんので、補足させて頂きますとあくまで類似した何かであるということです。

 信じている人間にしか見ることの出来ないモノであり、信じてしまえば見えてしまい害を及ぼしてしまうモノと考えたので御座います。


 昔の陰陽師の歴史の中で式紙というモノがあったらしいのですが、その中には自らの想像から生み出すモノがあったそうです。

 どこかの仏教でも同じ様な精霊を生み出す儀式も存在するらしいのです。

 つまり、人は信じることで何か第六感などの特殊な力を使用することが出来るのかもしれませんね。


 皆様は心霊番組や怪談は読まれますでしょうか。

 少なくとも私の先ほどの話を聞き少しでも怖さを感じましたでしょうか。

 怖いと感じたということは、それは少し信じる力が強まったということだと私は思います。

 この現実の世に、このような不可解なモノがいるかもしれないと恐怖を感じた直後は周りから視線などを感じたことはありませんか。

 そうですね。

 一人でトイレやお風呂に行きたくなくなったりするあれで御座います。

 それは、信じる力が強まったことで本来そこに居る霊という存在を感知できるようになったのかもしれません。


 心霊スポットに行く人間が霊を見るのも同じ原理だと考えています。

 周りの雰囲気や噂によってそこにいた霊を知覚できるようになり、知覚された霊もそれを感じ行動を起こそうとする、なので異変のない場所は本当に少ないのだと。

 明るいお花のある綺麗な部屋に幽霊は出ることはあまり聞きませんね。

 夜という暗く恐ろしい時、誰かが死んだという噂の流れる、今にも崩れそうな廃墟なんて場所で現れるのです。

 なんだかヤバイ雰囲気がする、そう感じる人はこう思うかもしれません。

 幽霊がいるから雰囲気がおかしいのだと。

 しかし、私はその思考こそが、雰囲気が恐ろしいからこそ、何処にでもいる幽霊というモノは見えるようになる根源ではないかと思うのです。


 なので問いを投げ掛けさせて頂きます。

 皆様は幽霊を信じているのですか、と。

 ならば気を付けた方がいいかと僭越ながら忠告させていただきます。

 首を絞められ、耳鳴りが響きだし、生臭い部屋の中、動けなくなる金縛りや。

 何かにずっと追われるような殺人的な怪異など。

 皆様にはその危険が御座います。

 私は、これらの理由から幽霊を信じて御座いません。

 幽霊なんて、この世知辛い世の中には存在しないと考えています。


 でないと、恐ろしくて夜も眠ることの出来ない不幸が待っていると思っているからで御座います。


 それでは、長々と私の幽霊の存在を信じない理由を読んでくださり、本当にありがとうございました。

 足元にお気をつけて、おかえりください。

 幽霊を信じている皆様が感じている、その漠然とした不安感は本物かもしれないのですから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私は幽霊を信じない。 いたち屋 @itatiya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ