私に連載小説は無理でした

脳幹 まこと

我が脳には形状記憶機能が付いておりません


 皆さんは、チョウとガの違いがお分かりだろうか。そう、あの羽虫のことだ。

 ああ、回答は結構である。どうせ話をされても、こちらの脳がそれを参考にすることはない。月が変わる頃には、性懲りもなく同じことを聞くだろうから。

 チョウとガはよく似ている。こども用の図鑑で調べた限りだと、葉っぱにとまった時に羽を広げるか閉じるか、触覚の形、胴体の太さなどで区別するとあるが、専門家によると、チョウの性質を持つガもいれば、その逆も存在するらしい。

 いっそのこと、現存するチョウとガを全種合わせた上で、人気投票でもすればいいのだ。そして半分より上をチョウとし、下をガにすればいい。綺麗で、儚げで、印象深い羽虫はチョウだ。地味で、毒々しく、汚い羽虫はガになるのだ。

 そんなことをすれば、全世界のガ・コレクターが怒りに震えるだろうか。でも、そのガ、もしかしたらチョウかもしれないですよ?

 なぜ、こんな前置きを置いたのか。私が本当に疑問に思っていることは、チョウとガは不明確でありながら二種類に分けているのに、どうしてヒトは二種類に分けないのだろうかということだ。そうしたら私は間違いなく、ガ・グループに属していると高らかに宣言することが出来るというのに。



 私は連載小説が書けない。書いたとしても、ものの数話で事実上の永眠を迎えてしまう。ついでに言えば、第一話を書き上げる前に放置した執筆中小説が山積みの状態だ。

「サーバー容量の無駄遣いだこの野郎」と思うだろう。本当にその通りだ、罪悪感で腹がずしんと重くなるくらいには気に病んでいる。だが、斬新なアイデアやプロットみたいなものは不思議と出てくるのだ。今この時も含めて。

 何度も何度も同じ轍を踏み続け、反省して再起するところまでが轍だったことに気付いていなかった。今回は反省の仕方を変えることにした。つまり、「どうやって」連載させようではなく、「なぜ」連載出来ないのかをひたすら考えた。

 仕事が気になったから?

 お気に入りの場所で、お気に入りの音楽を聞いていなかったから?

 他にやりたいことでも出来たのか?


 違う、違う。そんなことじゃない。

 そのような、「努力次第でいくらでもどうにかなる」類のものじゃない。

 私が連載小説を書けない理由は、私が連載小説を書けない体質だったからである。



 有り体に言ってしまうのなら「極度の飽き性」ということなのだろうか。飽き性というのは多少の語弊があるが、本質としては似ているのでそう表現する。

 どれくらいの飽き性かというと、日を跨ぐと飽きているくらいだ。ともかく定着ということが出来ない。昨日の自分と今日の自分はまるで違うし、明日になれば更に違う存在になるのだろう。

「だったら、この小説は何なのだ。小説に飽いているなら、さっさと断筆すればいいのに」という問いに対しては、「小説執筆には興味があるが、昨日作ったばかりの新作にはもう用はない」と回答しよう。

 新作のアイデアやプロットは、無い頭を必死に捻って作り上げたつもりだ。決して短くはない時間をその作業に費やしている。だが夜が明けると、それが自分の作品とは思えなくなってしまう。なんだこの文章は、どういう心理状態だ、この台詞の意図はなんなのだ......

 見返せば見返すほど、わからない。伝言ゲームでもやっているつもりなのか。出題者も回答者達も観客も全部一人でやる伝言ゲームなんて面白くもなんともないぞ。

 しかし、辛うじて、昨日はこの作業のお陰でえらく時間を取られたことだけは覚えているのだ。それに報いなければ、昨日の私はまったく意味の無い(居なくてもまるで変わらない)存在になってしまう。その思いを胸に、ぼんやりしたものを上手く整理出来れば、二話目も出せる。出せるのだが、三話目はより支離滅裂になる。一昨日の自分も、昨日の自分も、どんなことを考えていたのやら。

 斯くして私はいずれかの段階で連載小説を放棄する。



 分析は続く。

「連載小説が書けない」と書いてはいるが、それでも一部の作品においては、連載形式として出すことは可能なのだろう。短編集、一話完結式であれば、各話間に繋がりがないために整合性を考慮する必要がないだろうし、日記やレポートという「実際にやってみたことを書く」分野も、やったことを延々と書き綴るだけなので、これもまたある程度続けられそうではある。

(それでも尚、長期の中断期間が挟まってしまえば「この作品は何をしてきたんだっけ?」という根本的な問いの後、忘却の彼方へと送ってしまうのだが)


 だが、致命的であることに変わりはない。上記の制約により「話の繋がりがある」作品は作れないも同然だ。毎回、文体もキャラも物語も何にも定まっていないふわふわ実験小説が流行するなら、やってみる価値もあるかもしれないが。


 

 では、私がフィクション作品を書くとして、限界はどこまでなのだろう。

 日を跨いでしまうと、私は別人になってしまう。そうなると一日の間に可能な限り書いていくしかない。

 過去の経験や、この作品の執筆を通じて、私のタイプ速度は一時間に1000文字が限界だと分かっている。

 睡眠や食事、トイレといった生活必需時間で八時間は消し飛ぶ。加えて、ストーリーやキャラなどをその日の内に考えなくてはならない。過去に書き溜めたものを使う方法もあるが、大体興味関心を失っているので、うまく膨らまない。概要をぱっぱっと書いてみて二時間というところだろうか。これに加え、順番を並び替えてみたり、表現方法や伏線をうまいこと考えてみたり、執筆中に右脳から色々と出てくる対抗案と凌ぎを削ったり、誤字脱字を確認したりすれば、あっという間に執筆時間は十時間を切る。

 十時間タイプし続けるなんて鉄人じゃあるまいし、もちろん休憩は挟むことになるから、私が一日中部屋に籠りきりで作業したとしても、10000文字には到達しないだろう。

 なんてことだ。六桁どころか、五桁にすら到達出来ないのなら、長編大作の導入部すらろくに書けないということではないか!!



 いや、語尾を荒らげるまでもなく、分かりきっていた結論だった。

 私は連載小説が書けないのだ。途中で書きたくなくなるのだ。

 一日一日が眩し過ぎて、どこにもしがみつけないのだ。積み重ねが出来ないというのは想像以上に残酷な話で「継続は力なり」の逆を体現している。継続なきものは無力なり。

 この先、どうしていこうか。歳を取れば取るほど、皆さんが蓄積、貯蔵、継続したものを直視する機会が増えていくことだろう。


 雇われ仕事は辛うじて出来るから、生きていくことに今のところ支障はない。今の仕事は他人の作品を朗読するようなもの。整合性に苦しむ必要はない。間違ってたら出版社にクレームでも出せばいいのだから。

 しかし、創作に関しては、かなり苦しいと言わざるを得ない。小粒をぱらぱら撒くくらいは出来るだろうが、絵にしろ文章にしろその他にしろ、作っている途中で完成品がぶれてしまったり、嫌悪感を催すようになったら、まともに作業は出来まい。



 気分が滅入り始めた。

 書きはじめはそれなりに快かったので、この数時間の内に、また変異が起こったということだろうか。

 願わくば、この体質はサナギの中の一時的な現象で、羽化すると共に綺麗さっぱりなくなってくれると、この地味なガ、とても有り難いと思うわけですが......

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