「マニュアルの完成」

パチパチとキーボードを打つ音が鳴り響く。


それは、拍手の音のようにも聞こえるし、

どこか雨音のようにも聞こえる。


…ざっとここから先の経緯だけを説明すると、

その後、私と姫様は多重世界ユグドラシルの

元の時間軸へと戻ることにした。


「…本来、多重世界の中での結婚は、

 ましてや妊婦を連れてくれてくるなど、ご法度じゃ。

 しかし、今回の件で儂はそれも良いかもと思っての。

 何しろ、未来の時間軸からアーサーを救ったのは、

 他でもないお前さんとアーサーの子である姫様じゃからな。」


過去のクソ爺が告げたその言葉に、

姫様は顔を赤くしつつも首を振る。


「そんな、私は何もしておりません。

 ただ父と母が幸せであればそれで。」


そう、あのあとわかったことだが、

記憶を取り戻した眼鏡の女性。


小林友子さんはアーサー王子の子を懐妊していた。


「アーサーはどうやら多重世界を回る途中で

 この街に眠る6つの宝玉の存在を知ったらしい。

 そうして、神社の娘である友子さんから仕事の合間に

 話を聞くうちにお互い仲良くなっていき、

 いつしか子供をもうけたようじゃな。」


そう言うと、

クソ爺はウンウンとうなずき姫様を見る。


「それに、彼女には特別な能力もあった。

 スズランも気づいたじゃろう?

 友子さんには魔法を読み取り正確に使える能力がある。

 この能力がアーサーと相性抜群での。

 アーサーの移動能力の補助ができる上に、

 己の多重世界を移動する力にもできる。

 これを妃にせなんで誰を妃にするか。」


その言葉に、姫様はクスリと笑った。


爺はそれを見ながら、

どこか遠い目をしてこう言った。


「…そう、時代の空白地帯に

 生まれたアーサーですら幸せになる権利がある。

 補助になる人間や、魔法使いを見つけ、

 ちゃんと対処すれば、

 誰もが幸せになれる将来が待っている。

 そうは思わんかい?」


その言葉に、私は気付く。


…そうか。クソ爺が死ぬ間際に私に伝えたかったのは、

これだったのか。


空白地帯に生まれた人間をどうするかではなく、

空白地帯に生まれた人間を助けられる人間を見つける。


彼らを補助し、

その才能を伸ばす人間を見つける。


それが、この世界に必要なこと。

それが、この世界の知識として知るべきこと。


爺は天を仰ぎながらもつぶやく。


「正直、儂の時代にはそんなものはなかった。

 …儂自身の記憶を読み取る能力。

 これも実は空白地帯に生まれたからこそ

 出てきた産物だったが、誰もそれに理解せず、

 儂を嫌悪し、避けるものが大多数だった。」


私は驚く。


そうか、クソ爺もそうだったのか。


でも、だからこそ、

あれほどの情報収集能力を持って、

私たちをサポートできたのだ。

 

「世代は変わる、人も変わる。

 時代が変わるごとに人は昔のことを忘れ、

 アーサーや儂のようなものを嫌悪する時代がまた来るかもしれない。

 でも、それは知らなかったからこそ起こる事。

 サポートするものがいないからこそ起こる事。

 スズラン。お前さんたちの世代は何を思う。

 それを聞いて、どうしたいと思う。」


クソ爺の問いかけに、

私は考える。


知らなかったからこそ事は起きてしまう。

知っていれば起き得ない。


では、伝えるのはどうだろう。

口頭でも、筆記でも良い。


人に伝えていけばいい、

これまでの出来事を、これからの事を。


王室付魔法使いの視点で、

ありのままを書き記し、伝えるのだ。


それをクソ爺に伝えると、

クソ爺は珍しく柔らかく微笑んで見せた。


「…そうか、やってみると良い。

 それがお前の出した答えなら。」


そして、敬愛する祖父の後押しもあり、

私は私のできることを始めてみることにした。


…パチパチという音は軽快で、

キーボードを叩く音は心なしか早くなっていく。


これは私が集中しているからに他なく、

これまでのことを、これからのことを書き綴るには、

まだまだ時間が足りない気がする。


しかし、これは私が決めたこと。

私と姫様が決めたこと。


…過去から、元の世界に帰った私たちは、

王様に一冊の本を出すことを許してもらった。


それは、今まで試みられなかった方法。


過去から現在までの多重世界の移動の記録を

口頭ではなくすべて文章に記録し、

多重世界ユグドラシルのすべての人々の目に

留まるようにするという方法。


その手始めに、私はタイピングの技術を磨き、

多重世界を飛んでこの世界のパソコンにアクセスしている。


書けることはここまで私の身に起こったことだけだけれど、

多重世界の中でこれを読む人は、この話を長い小説のような、

荒唐無稽な出来事と感じるかもしれない。


それでも良い。


これはそのための文章なのだ。

ワクワクして、ドキドキして、読み進めてほしい。


そして読んで、何かを感じてほしい。

これから先に繋げてほしい。

これは、そういう文章なのだ。


多重世界を行く私たちの残す、

未来のためのマニュアル。


それが、この二重に見える世界の危機マニュアルなのだと

私は、伝えたいのだ。


✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎


…と、こんな感じの文章を投稿すると、

私は多重世界の一つの民家にあった

パソコンに魔法でカモフラージュしながらも

こっそりバックアップデータを保存する。


いやあ、いい感じ。


私たちの世界線の視線から見ても、

十分にボリュームもあるし内容も満足のいくものだ。


私はススッとマウスを動かし

素早く魔法で差し込んだ透明なUSBメモリに

データを保存し、次の多重世界へ向かうための準備をする。


私が中に入っている人はまだパソコンを

ガタガタやっているが、

どうやら締め切りが近いらしく、

必死の形相でガチャガチャ言わせる分にはいいが、

どうも音だけしかしていないようで、

文章がまったく進んでいないような気がする。


「どうしよう〜、

 締め切りまであと40分を切っちゃったよー。」


パソコン内の時計機能を見ながら叫ぶ中の人。


御愁傷様。


ざっと見た文章量だと残りあと700文字程度だが、

正直残り時間を換算しても間に合うか間に合わないかは

五分五分のように思われる。


「間に合えー、間に合えー。」


呪詛のような言葉を吐き散らかし、

髪を振り乱す中の人。


すでに作業の終わった私は

のんびりとしながらUSBを引き抜き、

そろそろ多重世界へと戻る準備を始める。


「あー、もーちょっと。

 もーちょっとー。」


大丈夫か?

語彙力が文章に吸われていないか?


そんなことを思いつつ、

相手の中から離れようとした時、

それは起きた。


ブツンッ


突然の落雷。消える画面。


「ああー!」


叫ぶ声に見てみれば、すでにパソコン画面は真っ暗で、

中の人のデータが丸ごと吹き飛んだのは目に見えている。


「バックアップー、バックアップー!」


呪詛のように叫びながらカチカチするも、

パソコンの開く速度は絶望的に遅く、

ようやく出てきた画面をクリックし、

中の人は必死にアクセスする。


「残ったデータ、残ったデータ。」


時間は残り10分を切ったがなんという奇跡か、

かろうじて文章データは残っており、

中の人は必死に残りの文章を書き足していく。


「急げ〜、急げ〜。」


早くなっていく速度。

止まらないタイピングの手。


そうして、締め切りギリギリと思われた瞬間、

タンという最後のキーを叩く音ともに、

中の人が書き終える音がした。


「やったー、やったー。」


そうして、

中の人は椅子に深く腰掛け

ほうっと息を吐く。


「締め切り〜、間に合…」


だが、次の瞬間、

中の人の声が止まった。


そう、時計が止まっていた。


パソコンの時計が落雷によって

一時的に止まっていた。


つまり、実際の時間は…


「締め切り、過ぎてたー!!」


壁時計を見て叫ぶ中の人。


締め切りの10分越えに投稿してしまった

中の人の悲痛な叫び声に反し、

私はさっさと次なる原稿を届けるために

多重世界へと…


次なる世界へとマニュアルを

届ける旅に向かう事にした。

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二重に見える世界の危機マニュアル 化野生姜 @kano-syouga

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