怠惰物語〜アケディア・ヒストリア〜
働気新人
第1話 怒られ、殴られ、異世界へ
「おい柩! この役立たず! なんでこんなミスしてんだ!?」
店長の怒号が厨房に響く。
「……すみません」
「はぁ……。柩さぁ、なんでこんなに初歩的なミスばっかなの?
料理間違って作るか? 確認しろよ。だからお前クズなんだ!」
一度落ち着いたと思っても、だんだん口調が強くなっていく。
いつものが始まったと、柩は俯いてやり過ごす。
だが、今日はうまくいかず、そんな態度に店長がさらに語気を強める。
「いつもいつも! そうやって下向いて謝ってればいいってわけじゃねぇんだぞ!?
いい加減ミスしないでもらっていいかぁ!?」
驚異の一八五cmという身長があり、肩幅が広い店長が鬼のような形相で怒鳴ると、威圧感ある。
胸ぐらを掴まないだけマシだろうが、柩に詰め寄り、恫喝する。はたから見ると不良と大差ない。
ミスは誰にでもあるだろう。柩が特別ミスが多いわけではなく、人よりもミスが目立つのと、ミスしたときに馬鹿正直に報告することが怒られている理由だ。
「お前いっつも疲れたみたいな顔してるけど、こっちのほうが疲れてんだよ!? わかってんのか?
柩みたいに昼間、学校でわちゃわちゃしてるわけじゃねぇんだよ! 昼間も仕事してんだよ! 大変だからって柩のこと呼んでんのに、仕事増やすんじゃねぇ!
……もう帰れ、使えねぇやつ雇ってる余裕ねぇんだよ」
「……いえ、やらせてください」
何も考えず、口から出た言葉だった。
こういえば次来るときにはまた問題なく、バイトできるだろうという考えもあったのだろうか。
そんな考えも吹っ飛ぶほど、店長の次の言葉で柩は感情が沸騰する。
「ゴミはしゃべるな。帰れ!」
雇う側とは思えない言葉。
人としての性格を疑う。他の居酒屋と比べても、群を抜いてブラック企業なことは同情する。
しかし、どれだけストレスが溜まっていてもさすがにひどいと思う。
「帰ります。お疲れさまでした」
「帰りますじゃねぇだろ!」
衝撃。
挨拶と一緒に下げた頭を上げた瞬間視界が横に吹き飛ぶ。
厨房で横倒しになる柩に他のスタッフは見て見ぬふりをする。
どこもこういうことはあるだろう。
「くだらねぇ。クソだな……」
柩は呟き、立ち上がる。
店長が睨んでくるのを無視して荷物を取りに階段を上っていく。
二階の団体用の席を無視して、三階にあるスタッフルームを一直線に目指す。
「いってぇ……。口の中切った。マジでくだらねぇ」
ぼやきながら荷物を取るだけ取って、速足で階下に向かう。いらだちが抑えられず、舌打ちをする。
店長の顔を見たくない一心で、最速で出口に向かう。
「クソガキが! 二度と来るんじゃねぇ!」
「くだんねぇこと言ってんじゃねぇ! こっちから願い下げだ!」
怒鳴り返して、店を出ていく。
虫の居所が収まらず、帰路についてももやもやする。
もともと家にいたくないからバイトを始めたのだ。居酒屋のバイトなら夜遅くても何も言われない。
そういう考えで志望したが、結果は見ての通り。ひどいものである。
しぶしぶ家に就く柩だが、その顔は暗い。
ガチャッ!
何の前触れもなく唐突にオートロック式の扉が開く。
出てきたのは母。まだマシだが、不幸中の幸いなだけだ。
「…………早く入ったら?」
重い口を開いて、珍しく話しかけてくる。
柩も頷くだけで中に入り、視線だけで中を見て、父と姉がいないことを確認する。
そのまま階段に向かい、自室に籠ろうとするが、最悪なことに姉と出くわす。
「邪魔。あんたが居て良い家じゃないのに、住まわせてもらってるんだからもっとひっそりしてたら?」
「……すみません」
頭を下げてから、できる限り壁に張り付き道を開ける。
「汚いから近寄らないでもらっていい?」
言うが早いか、脛に向けた蹴りが飛んでくる。
反射的にそれを避けた。
それが、ダメだったのだろう。
「何避けてんだ! ふざけんな!」
「ぐっ……、すみません」
「それしか言えないサンドバックになっときゃいいんだよ!」
怒鳴り声がまた響く。
(今日は怒鳴られてばっかだな。家にいても、バイトしてても……。くだらねぇ)
姉の怒鳴り声に様子を見に来た父親も来る。
精神的に一番きついのは姉だが、肉体的に一番きついのは父親。
「うるさいぞ。また、柩か?」
何をしても悪いのは柩になる。
それがこの家のルールであり、今まで当然のように行われてきたことだ。
そして何の躊躇いもなく、柩に拳を叩き込む。
何度も、何度も。
顔に、腹に、足に、何度も拳や蹴りが叩き込まれる。
頬と足から嫌な音が響く。おそらく折れただろう。
満身創痍の柩にそれでも父親は暴力を止めようとせず、姉は薄ら笑いを浮かべ、母は見てみ見ぬふりをする。
「何も! できない! お前は! 目立たずに息を潜めて生きていればいいものを!!」
「……がぁ! ハァハァ……」
だんだんと意識が薄れていく。
(ラノベなんかの異世界転生もので、転生するときに死ぬことは多いが、死因が親による殴打なんてないだろうな?)
ぼんやりとする中でくだらない考えが浮かび、それを最後に意識を闇に手放す。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
硬い床の感触。近いのはコンクリートだろうか。
体全体でそれを感じ、目が覚める。
蘇るのは気を失う直前の記憶。あれだけ殴られたんだ、下手すると死ぬと思ったが、生きながらえたらしい。
「こ、こは……?」
朦朧とする意識の中で、目を開くと、知らない場所だった。
それは病院や、誰かの部屋、ましてや外というわけではない。
そこは本当に知らないところだった。
石畳が敷き詰められただだっ広い空間。太い石で出来た柱が等間隔で並び、象でも通るのかというほど大きい、両開きの扉から絨毯が伸び、扉の逆サイドには少し高くなったところに玉座と言って差し支えないようなものが鎮座している。
「……傷が、ない?」
周りを見渡してから、立ち上がろうとした瞬間に傷がないことに気付く。
何も傷がないことに驚きつつ、立ち上がってから、改めて周りを見渡す。
だだっ広い部屋の中心に柩を含めた七人の青年、少年、女性、少女が思い思いに部屋を見渡していた。
(誰だ、こいつら?)
最初の印象はそれだった。
何も知らない六人。見た目には一切共通点がない。いや、ある。年齢が近いことと、全員恐ろしく顔が整っていた。
周りを冷めた目で睥睨する偉そうな黒髪で長身の青年。
前髪が長い根暗そうだがどこかふてぶてしい顔の少年。
プリン頭になってしまっている不機嫌そうな金髪の青年。
清楚でおとなしそうだが人から強い目線を外さない茶髪の少女。
モデルのように細身の長身で最も顔が整った美しい金髪の少年。
周りに対し驚くほど横柄な態度をとる絶世の銀髪美女。
そして、この中にいると決して目立たない青年、柩。
ほとんどが他人にあまり興味を抱かない中、イケメンが美女の前に片膝を付いて口説き始める。
「あなたのお名前は? このようなよくわからない状況ですが、協力という意味を込めて、お茶でもいかがですか?」
「…………」
柩の目の前で行われたせいで、うんざりする。
(くだらねぇ……、他所でやれよ……)
間近にいる柩に見向きもせず、あまりにも気障ったらしい言葉を何の躊躇いもなく発するイケメン。
それに対し美女の反応はよろしくない。
とてつもなく艶めかしい女性だが、露出が少ないパーカーにジーパンを身に着けている。
服のサイズが合っていないのか、そのサイズが好きなのか、体のラインが暴力的なまでに見えていて、男にとっては爆弾のようなボディラインを堂々と晒している。
美女は不機嫌そうにイケメンを睨みつけ、大きな胸の前で腕を組んでいる。
「あなたはとても美しい……。できればお名前だけでも!」
そんな態度をとられていても何も気にしないイケメン。
二人を興味深げに見つめる根暗そうな少年と、不快なものを見るようにしているおとなしそうな少女。
その二人に混ざって、柩を観察する偉そうな青年に目線を向けようとした瞬間——。
バチンッ!!
盛大な破裂音が響き渡る。
「わたくしが美しいのは当然ですわ。豚のようなあなたに近寄っても欲しくないの。わからないかしら? 何も言わなくても跪き、自分が下と見せつける。
醜く、何の変哲もない汚らしい豚と、高貴で美しいわたくしが一緒にお茶?
苦笑いすら漏れませんわ。ゴミの笑いにわたくしを巻き込まないでいただいてもよろしいかしら?」
「……は? え? あ、れ?」
とんでもない罵倒をすらすらと言う美女に、柩は驚きが止まらない。
言われた本人であるイケメン君も同じようで、思考が停止し、意味のない音が口から洩れている。
「顔が多少いいからと、無条件に周りにちやほやされたのでしょうけど、中身は腐りきった豚と同じようですね?
わたくしが存在する世界で生きられることに感謝しながら死ぬことを許してあげますわ。わたくしの足元にも及ばないような、下半身で物事を考えるクズが、わたくしを見れたことに感謝して死になさい? さあ、早く」
この美女は頭のネジがガバガバで、ほとんどなくなってしまっているのだろうと柩は思い、イケメンを庇う様に少し前に出る。
「まあまあ、落ち着かないか? 知り合いってわけでもなさそうだし」
「黙りなさい。わたくしのすることに口を出さず、従いなさい。
ぱっとしない顔のお兄さん? でないと、二度と見れない顔にするわよ?」
「……いやさ、くだらないことばっか言ってないで、その減らず口閉じたほうがいいんじゃない? 口は災いの元ってことわざ知らないのか?」
「…………わたくしに物を申すのは褒めてもよろしくってよ? まあ、それ以上は武力で黙らせますけど? いかがなさいます?」
「お前が火蓋切ってたろ? 波風立てないようにしようや。何もわかってない状態でくだらねぇことやってる場合じゃねぇんだ。こいつもナンパ始めるのは流石にどうかと思うけど、手を出すことはねぇだろ!」
売り言葉に買い言葉。ヒートアップする。
柩の中で、美女が姉の姿がダブって見えた。言ってることも近しいため、なおさら頭に血が上る。
「他人を助けようとするなんて優しいのですね。そのゴミのような豚よりはマシとして、名前を名乗ることを許してあげますわ。
跪いて忠誠を誓うか、わたくしのペットになるか選びなさい」
頭のおかしいことを言い続ける美女。
性格が破綻しているのは間違いないだろうが、それ以上に耳が正常に働いているかを疑いたくなる。
柩は頭痛を感じ、眉間を揉む。
「会話をしないか?」
「わたくしの声が聞こえてないのですか? 話して差し上げてるんですから、感謝して欲しいくらいです」
「どこが? 会話になってないだろ? 脳みそ腐ってるんじゃないか?」
どうしても会話が噛み合わない。
罵倒された美女が一瞬だけ口角を上げた気がしたが、そこをツッコむよりも先に、両開きの大きな扉が開く。
「王の御前である! 頭を下げよ!」
その叫び声が聞こえた瞬間、部屋に不穏な空気が流れる。
ぞろぞろと現れた騎士を引き連れるようにした王と思しき初老の男性を、柩以外の六人が睨みつけるように見つめる。
「不敬であるぞ! このお方は――」
「良い、異世界からの客人であろう。呼びつけたのはこちらだ。こちらの礼儀を押し付けるものではない」
厳めしい声を穏やかな声が諫める。
軽装の鎧を着こんだ男が苦い顔をしながら、小さく頭を下げる。
「失礼いたしました」
表面上だけの謝罪を穏やかな声の初老の男性が受け取る。
優しく微笑み、柩たちを見まわし、玉座へ一直線に歩いていく。
身長が高く、引き締まった体。体のラインが出る白を基調とした衣装に、赤と金の刺繍が入ったマントを羽織っている。とても初老とは思えないほど覇気に満ちている。
「すまない。異世界からの英雄たちよ。いかんせん、異世界からの客人は一〇〇年ぶり程でな。客人であるという認識が薄いのだよ。許してあげてほしい。
こちらも悪気はない。儂の権限で可能な範囲でできる限りもてなそう」
穏やかな声で王がそういうと、金髪のプリン頭が一歩前に出て不敵な笑みを浮かべる。
「王様がそんなこと言うってことは期待していいんだよな?」
「き、貴様! なんて無礼な!」
金髪の言葉に騎士たちがざわめき立つ。
それを王が手で諫め、柔和な笑みを浮かべる。
「ああ、儂の独断でできる最高のもてなしをしよう」
王が言うと同時にこちら側に立つ何人かがにやりと笑う。
一部無反応な人間がいたが、それは少数派だろう。
国のトップの言葉にいろいろと考えないほうがおかしい。
「儂の名はアレス・リ・シレディアス。この国、シレディア王国の王である。
まず、
騎士たちの不穏な空気は抑えきれないが、できる限り優しい声で語りかけてくる。
一番に名乗りを上げるのは金髪ではなく、意外にもモデルのようなイケメンだった。
「僕の名は
「……考えておこう」
しぶしぶといった感じの王様の返事を、満足そうに聞いて一歩引く。
タイミングを見計らって金髪プリンが前に出る。
「俺は
清楚でおとなしそうな少女が前に出る。
「私は、
根暗そうな少年が。
「…………
偉そうな銀髪美女が。
「わたくしは九伊奈・ヴェイン・レイ・セイナー。一八歳ですわ。希望は特にありませんが、本を三冊。最低限の金銭さえあればほかはどうとでもいいですわ。自力でどうにかできるので」
冷たい目をした青年が。
「
名前のような言葉を発し黙り込む真に、場の空気が凍る。
騎士たちはものすごい形相で睨み始め、他の五人は反応を示さない。
空気がだんだんと色を孕み、爆発する瞬間、柩が口を開く。
「あの、俺の番で、いいんですかね……?」
恐る恐るといった感じに手を上げ、挙動不審に周りを見渡す。
「ああ、主も名乗ってほしい。気を使わせてしまってすまんの」
「ああ、いえいえ。お構いなく。空気を読めないもんで。
俺の名前は
希望は、仕事かな? あんまりお世話になると申し訳ないっていうか、借りを作らない方向で行きたいというか、まあ、お金もらうに越したことはないんですけどね。いや、無理にとは言いませんし、追い出されても仕方ないっていうか、そんな感じです。よろしくどうぞ!」
できる限り感情豊かに、かつへりくだった自己紹介を心掛ける柩。
その内心は面倒ごとを増やしたくないという一心だった。
(俺自身短気なんだから、俺自身のせいじゃない面倒ごとは絶対ごめんだ)
多少自分勝手な方向だが、それはうまくいく。
周りの空気が軟化し、柩は胸を撫で下す。
「ありがとう。わざわざ自己紹介をさせてしまって。
主らにとっては異世界に当たるこの世界に来て、不安だろうにそれを見せない精神力。素晴らしい」
王様はちらりと柩を盗み見て、笑みを深める。
何か言葉にしようとした王様だが、それを遮るように雷門が怒号を上げる。
「そんなんどうだっていいんだよ! 帰れんのか! 妹はどうなった!?」
「やはり不安はあるか。……結論から言ってしまうと、今はまだ帰れない。そして儂らには元の世界がどうなったかわかる術はない。
だが、帰る術は必ずある。魔王を倒すことができたのならな」
魔王という言葉が出た瞬間、王様から今まで感じたことがないプレッシャーが発せられる。
息を詰まらせるものや、目を見張るものなどいるが、臆せず美女が質問を投げる。
「魔王とは? わたくしがそれを倒すの? そんな必要があるの? 帰る帰らないなどどうでもいいわ。わたくしがどこにいようとわたくしがやることは変わらない。わたくしはわたくし、下種や豚の物差しで物事を進めないでいただきたいわ」
偉そうに豊満な胸を張る九伊奈に、こちら側に立つ数人が息をのむ。
騎士たちも色めき立ち、殺伐とした空気が場を支配する。
九伊奈に食い下がる雷門。
「俺には妹がいんだよ! 親もいねぇんだ! 倒れて目が覚めたらここにいたんだぞ! なぁ!? てめぇの事情を押し付けてくんじゃねぇよ!」
「あなたが押し付けているのよ? 気付いてなくて? わたくしに豚の妹など関係などないのではなくて? 知らないわ。関係はない、それ以上掃きだめのような口を閉じてくださらない」
「んだと、このアマ……? 顔が少しいいだけで調子乗ってんじゃねぇぞ?」
体格のいい雷門が九伊奈に突撃する。
雷門の鋭い踏み込みと容赦のない右拳が九伊奈に迫る。
「ふっ」
九伊奈が鼻で笑い、右の拳を受け流しながら足を払い倒れていく雷門の頭を鷲掴み、地面にたたきつけ、さらに頭に踵をぶち込む。
「話を続けてよくってよ?」
「あ、ああ……。いや、ケガ人が出ると思っていなかった。急ぐ必要はない。明日、ゴウ殿の処置をし、意識が回復してからしっかり話そう。
明日、またこの場で説明させていただく。一人一人に従者をつける」
一瞬呆けた顔をした王様が気を取り直して場を解散させる。
雷門の従者らしき女性が介抱を始める。
柩たちにも一人一人従者がつく。
「よろしくお願いしますね? こんなおばさんでごめんなさいねぇ」
30代半ばと思しきメイドが柩の前でお辞儀をする。
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