第3話 これが、夢じゃなかったらいいな――
「お食事はどうでしたか? お気に召していただいたら幸いです」
真っ白になっているアルギエールを放置したメリッサが笑顔で話しかけてくる。
メリッサに恐怖を覚える柩。確実にわかっているのに話しかけることを止めない。
「明日は王様からお話がありますので、お早めのお休みを。何かございましたら、しばらくはお部屋にいますのでお声がけくださいね?」
「ありがとうございます」
前髪の下から怯えるような目を向けながら会釈をする。
そんな柩に温かい目向け、部屋の入口のほうに控えるメリッサ。
居心地の悪さを感じながら、部屋の真ん中のテーブルに座り、観察する。
(文明的には中世。でも、火を使った明かりじゃなく、電気に近い明り。こういう場合魔法だろうな。そうじゃなくても、それに近しい技術が確立されてて、中世に近い文明でも、ある程度近代によってる、と)
部屋の中にある照明を見て、分析していく。
シャンデリアに蝋燭ではなく、手のひらサイズのクリスタルのような光源が並んでいる。
白く塗装された壁に等間隔で、一面三個置かれた壁掛けの光源にも同じものが付いている。
日本基準で三五畳ほどもありそうな部屋をしっかりと照らしきれていおり、LED電球一つ分ほどの光量で、眩しい環境に慣れた日本人も不自由しない。
玄関と一体になっているようなリビングになっている部屋を中心に、他に部屋が三つある。窓はなく、部屋の中にある光を発するクリスタルのみが光源になっている。
(暗殺を防ぐため、か? ほかにも何かありそうだけど、わからないな)
答えにたどり着かない考えを振り払い、おそらく寝室だろうと思われる入り口の正面にある扉を見つめ、左右の扉に視線を向ける柩。
残り二つはどうしてもわからず、柩は考え込む。
「一番奥が寝室。右側が書斎。左側がバスルーム兼バルコニーでございます」
メリッサが視線と表情だけで察し、説明してくれる。
柩は急に声をかけられたことで肩をはねさせるが、メリッサが柔らかなほほえみで言葉を重ねる。
「部屋をじっくり見られていたようでしたので、それに説明もしていなかったので、不自由かと思いまして。驚かせてごめんなさいね、ふふふ」
「びっくりはしましたけど、ありがとうございます」
「いえ、お湯をお浴びになるのでしたら、お着替えを準備してまいりますね」
それだけ言い残し出ていくメリッサの背中を見送り、扉が閉じたのを確認し、バルコニーと言われた扉を開ける。
まず最初に脱衣所があり、入り口から右側に高級ホテルのようなバスルームがあり、正面にはもう一つ扉がある。
バスルームよりも先にもう一つの扉を開ける。
「んっ……」
高い位置にあるのか、強い風が柩を迎える。
柩の長めの黒髪が暴れ、後頭部だけ右手で抑える。
夜空が視界一杯に広がり、かなり距離があるが目下にはレンガ造りの街並みが見える。
山を丸々一つ城にしているのかというぐらい、柩がいる位置は高く、冷える。
見渡す限り街が続いている。城下街という言葉がしっくりくるような街並みで、
「夜、だったのか。あんまり体感の時差はないんだな……」
そう呟き、城のバルコニーから空を見上げる。
「星は……日本とは違うな。知らない天体だ……。
はてさて、これはリアルすぎる夢なのか、それとも現実か。確かめることは出来なさそうだけど、もし夢なら俺は死にかけてるな。これが現実なら……どうだろうな。今更人間関係を良好にすることなんて想像できないし」
だんだんと下がった視線の先。酒場と思われる建物の前で大人数が集まっているのを睨みつけながら独りごちる。
ネガティブすぎる言葉のせいか、はたまた嫌なことを思い出したのか、柩の中に苛立ちが募る。
「……くだらねぇ。考えてもしょうがねぇなら、目の前のこと考えるしかねぇだろ、バカがっ……」
自分に悪態を吐き、戻ろうと振り返った瞬間、柩は心臓が止まる思いをする。
「ッ!!!!」
「——驚かせてごめんなさいね。難しいお顔をされていたようでしたので。
シレディア王国、王都シレディアス。ここは、世界の中心と言っても過言ではない場所なんですよ。娯楽も、仕事も、喜びも、楽しさも何もかもが手に入る。
そう、何もかもが。異世界からいらっしゃったばかりのヒツギ様にいうことでもないかもしれませんが」
「その分。その分、苦しみも、悲しみも、悪行も、辛さも、憎しみも何もかもを得ることになる。ですよね?」
幾分か落ち着いた柩が食らいつくように話す。
メイド服を軽くたたいたメリッサが寂しそうな表情で笑う。
「……聡明ですね。王都にいらっしゃった方々は光だけに目を奪われて、その事実を見逃してしまうんです」
メリッサの珍しい表情を見た柩は暗く笑う。
その前髪に隠れ気味の目を暗く光らせ、クツクツと声を殺した笑いを浮かべる。
ひどく陰湿で、地の底へと人を引きずり込むような、絶望まで混ざった笑いだった。
「そりゃそうでしょうよ。人はいいことばかりしか見ない! 目の前の楽で、見たいものだけを見つめる!
それが人生の勝ち組ですからね。知りたくないものを切り捨て、知りたくないものが視界に入れば武力や権力で貶める。それが人間ですよ」
メリッサの瞳に初めて警戒が混じる。
懐疑的で、悲観的で、何を見てきたのかわからない濁った柩の瞳を観察するように見つめ返す。
そんな目をさらに見つめ返し、笑みを消さずに柩は続ける。
「なぜ、俺が警戒を解かないでいるかわかります? わからないでしょうけど。
答えは、人を信用していないからです。簡単に裏切り、自分より上の者には手の平を返す。言葉なんて薄っぺらいもので縛り、都合が悪く成れば言っていないと嘯く。
最低最悪な生き物が人間だからですよ。……くだらねぇ」
「…………人は信用できない。それはそうでしょう。私も様々な人間を見てきました。ですが、信用足りえる人間もいます。これはおばさんからの助言です。
それと、私はヒツギ様を信用していますよ。英雄に成りえる可能性を持つ方を信用せず、何を信用しろというのでしょう?」
真剣な光に射抜かれるが、柩の濁った瞳が晴れるわけではなかった。
話は終わりだという様に柩が視線を外し、街を見下ろす。
「私は席を外させていただきますね。お着替えはおいておきます。お部屋にあるものはすべてご自由にお使いください」
丁寧に腰を折り、いなくなるメリッサ。
柩は部屋に戻り退室したことを確認してから湯を浴びる。
何やら幾何学模様が入った蛇口をひねると、お湯が出てくる。
さながらシャワーのようなものだった。それを浴び、ガウンというのだろうか、バスローブのような黒い服に袖を通す。
そのまま寝室に移動する。広い寝室で、キングサイズのベッドが一つ置かれ、大きな窓が着いている。
窓から外は見えず、外から柩の姿も確認できないような絶妙な配置になっていた。
クローゼットもあり、その中には某魔法使いが来ていそうなローブがいくつかと、長袖の麻のTシャツのようなものと、長ズボンが数着。典型的な貴族が着るような服が数着入っていた。
「寝るときの服じゃないな。まあ、違和感はあるけどこのまま寝るか……」
そうぼやきつつTシャツと長ズボンを履き、ふかふかのベッドに身を投げ出す。
思えば、朝から学校へ行き、そのまま休憩なくアルバイトに行っており、起きている時間が二〇時間近くになっていた。それに加え、いろいろなことがあり精神的にも疲労がたまっていたため、柩の意識はすぐさま朦朧としていく。
「これが、夢じゃなかったらいいな――」
それだけ呟き意識を手放す。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「おはようございます。そろそろ王様からのお話がありますので起きてください、ヒツギ様」
「……あぁ?」
そっと声をかけられた柩が静かな、不機嫌そうな声を出す。
低血圧で、寝起きが悪いため、不機嫌ではないがそういうテンションになってしまう。それを周りは嫌がるが、メリッサは的確に把握していた。
「あら? 寝起きが悪いのですね、ヒツギ様は。ふふ」
昨日何事もなかったかのように微笑み、窓を開ける。
盛大に開けられた窓からは強く、冷たい風が入り込み、強制的に目覚めさせる。
太陽の光も入り込んでおり、体感の季節は秋、春といったところだろう。若干乾燥しているのか、柩の喉の調子もよくない。そのことを踏まえてもおそらく秋だろうと、寝起きの頭でぼんやりと考えていた柩へ、メリッサが準備していた水を差しだしてくれる。
「お食事も持ってきましたが、お召し上がりになりますか? それとも、朝食は召し上がらない方ですか?」
「……いえ、食べます」
「良かった! 卵とベーコンです。パンはおっしゃっていただければいくらでも用意いたしますので、お声がけください」
元気なメリッサの声に引っ張られるかのように、もそもそとベッドから脱出を図る柩。何とか魔の誘惑から抜け出した柩は、リビングへと向かう。
後頭部をガシガシと搔きながら、広い部屋の中心にあるテーブルを見る。
若干ぼやけた視界に入ったのは、上質なパンと、ベーコン、目玉焼き、ジャム、紅茶、マカロン。
朝食とは思えないレパートリー。いや、前半はよかったが、後半は朝から食べるには重いだろうと思わずにはいられない内容のものが、テーブルに並んでいた。
「これ、全部食べんの……?」
量さえ見なかったらの話なのだが。
バイキングでもするのかというほど大きな皿に、大量に盛られたパン、ベーコン、目玉焼き、大量のマカロン。
数十人で食べるような山が築き上げられていた。柩はドン引きして、後ずさりする。
「いかがなさいましたか?」
「……多くないですか?」
「あ、多い分は下げますので、大丈夫ですよ?」
何でもないようなことのように平然と言ってのけるメリッサに、貧乏性が出てしまう柩が顔を曇らせる。
それを見たメリッサがあらっと呟き、にこりと微笑む。
「大丈夫ですよ、ヒツギ様。ヒツギ様がお召し上がりになられた後、私たちのごはんになるだけですね。食べれる分だけで構いませんよ」
メリッサに言われて、居酒屋の賄を思い出す柩。
脂っこく、味が濃い目で、飽きるジャンク風の飯。
太らないほうがおかしいような食事を毎日のように食べていたが、それが少し懐かしく感じてしまう。
そんな日が来るんだなと目の前の山のような食べ物から目をそらし、一瞬遠い目をする。
「ヒツギ様、お食事を召し上がりましたらすぐに王様からお話がありますので、ご準備のほどお願いいたしますね?」
「はい。雷門、でしたっけ? 彼は大丈夫なんですか?」
「ゴウ様でしたら、問題なく動けるそうですよ。体調も問題ないですが、念のために従者が付くそうです」
粛々と質問に答えてくれるメリッサに頭を下げ、小さく「いただきます」とつぶやいてから朝食に手を付ける。
会話で頭に血が回ってくれたおかげで、体が重かったりせず快適な目覚めを送れたことに、柩は気分を良くし、パン2つとベーコンを3切れ、目玉焼きを2つ平らげた。
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