第3話 阿佐ヶ谷住宅編 その2
「阿佐ヶ谷住宅」が既に解体されたことを知った2015年までの長きに渡って、その建物を私は「阿佐ヶ谷団地」という名称で認識していた。私の両親も、昔そう呼んでいたような気がする。団地には通常、入口付近に掲示板のようなものが立っていて、正式名称と配置図が記されているが、背も届かず字も読めないチビっ子だった私には地面に立った鉄柱にしか映らない。そういうわけで、気持ち悪いかもしれないが、ここでは「団地」という表現を使用して、正式名称の場合は「阿佐ヶ谷住宅」と表現させていただくことにしよう。まあ、どうでもいいことではあるが。
当時、推定2歳の私は物心がついた時には、既にこの団地の敷地内で暮らしていた。阿佐ヶ谷住宅の敷地内には、現代で言うテラスハウス型の低層住宅と、四階建ての中層住宅があった。私の一家は低層住宅の4号棟の杉並高校のプールの脇にある道路側から二番目の部屋に両親と2歳上の兄と4人家族で住んでいた。
当時の私は2歳児とはいえ、自分自身を甘やかされ放題でヌクヌクと生活するだけのペットのような存在であると無意識に感じていたようだ。イヤなことがほとんどなく、我慢することもなく、働きも勉強もせず、何も課せられず、それでいて滅多にしかられることもないときたもんだ。ぬるま湯でふやけた生活だ。そんな私の当時の一日の流れを紹介しよう。二階の部屋で兄と布団を並べて寝ていて、兄がスイッチを入れた枕元の白黒テレビに映るなんらかのアニメの再放送で私は目覚め、気づくと寝小便をしているが、気持ち悪い状態を我慢しながらテレビを見ている。母が私の布団を干してパジャマの下とパンツを着替えされられる。おねしょをした瞬間の記憶も自覚もなく、母に叱られるわけでもないが、ほんのわずかだけ罪悪感を覚える。これは後々、私にとって大きな精神的苦痛とコンプレックスの原因となるのだが、この時はまだそんなことは知る由もないボクちゃんであった。その後は一階のリビングで家族たちがバタバタしており、親父がスーツを着て出勤すると、家の中がひと段落ついて静かになって、兄と私は朝飯をちんたら食べると、母親は洗い物や洗濯を始める。私は2歳上の兄とずっと一緒にいたのだが、ある日から兄が午前中に家から居なくなる日が多くなる。兄は紺色の重厚な服を着せられて丸い帽子を被せられて、外の道路にやって来る鉄の箱、すなわち幼稚園の送迎バスに乗り込んでいくようになる。事情を知らない私は、とにかく遊びたくてうずうずしてくるわけだが、家の中にいるか、小さい庭にいるか、団地の敷地内のすぐ近くの公園にいるかを決めて母親に言わないといけない。家の中には楽しいおもちゃなどほぼないし、テレビを見る気など毛頭ない、外に出る場合も面白いオモチャなど持ってないので、いっしょに遊んでくれる子供がいるかどうかだけが生きがいの時間帯となっていた。
ボク物語~それは阿佐ヶ谷住宅から始まった~ あきら・ド・クリエ @akku001ak
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