第2話 阿佐ヶ谷住宅編 その1
私という人間の一個体の記憶が「阿佐ヶ谷住宅」で始まったことは既に触れた。
では私の生誕の地は東京の杉並区なのかと言えば、それ以前に住んでいた場所があるらしく、そこで生まれたということだ。埼玉県の蕨という都市で、中学生くらいの時に母に一度だけ連れて行ってもらったことがある。その地へ赴いた理由は、蕨駅前の銀行口座に千円が預けられたままで、長期間放置していたので通知が来たとのことだ。確か十年で銀行から通知が来るはずだから、この時の私は12歳で小六か中一ということで記憶と一致しているかと思う。ちなみに預金額は、ほんのちょっぴりだけ増えていたそうだ。
阿佐ヶ谷駅から蕨駅へ向かう際に乗った電車内でムカつく出来事に遭遇したのを今でもはっきり覚えている。当時はまだ埼京線は開通していないので、新宿で乗り換えて赤羽線から東北線に乗ったことになる。母が扉のすぐ横のシートに座って、私はそのすぐ前に立って吊革を持っていた。同じ市車両内で私の後方に高校生か大学生らしき私服の男子が4人ほど立っていたが、そいつらが私に無言のちょっかいを出してきた。まず1人の男が私のすぐ後ろに立って、私の頭上にある高い位置の吊革を握る時に、私のボサっていた頭髪の1~2本をいっしょに握り込んでプチッと抜くことを2度ほどやられた。私は最初は何も気づかずにいて、毛根に感触があったので、あれっ、何?みたいな感じで周囲を見渡したりしたが、2回目にはイタズラされてるということがわかった。ちょっとすると、イタズラが徐々にエスカレートして、別の男が私のすぐ左に立って吊革をつかんだ手が滑ったふりをして、私の肩めがけて上から肘打ちをした。次に別の男が私のすぐ後ろに立って、ひざかっくんをやりやがった。純粋な私は、世の中にそんなことをする人たちがいるなんて思ってもいないので、すぐには現実を受け止められないでいたが、この時にもし自分が刃物を持っていたら、こいつらの誰かの心臓か急所を思い切り一突きしたろうかいという殺意まで抱いたのはまぎれもない事実である。ナメるな、クソどもが。イジメ、あかん。周囲の乗客は少なかったが、どう見ていたのだろうか、そして母は気づいていたのではないだろうか。後にも先にも何も言われなかったし、こっちも言わなかった。すぐに目的地に到着したので母と私は電車を降りた。この出来事に関して私が語るのは、私の人生で今が最初で最後であろうな。
話がとんでもないほど脇の脇へそれましたね。蕨駅で電車を降りた後に少し歩いた先に、鋭角に合流する道路があったので、あとで地図で確認してみたら、東口を出て北東に進んだ先であろうということはわかった。私が生まれた当時に住んでいたという住居は、当時のままで残っていた。アパートではなかったと思うが、木造で平屋の粗末な小屋みたいな住居だった。当時1歳ほどの私は、道路に面した窓から通勤や通学で通る人達に毎日のように手を振っていたそうだ。もちろん、そんなことは私の記憶にはまったく残っておりません。
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