ツンデレ探偵は死者の伝言を好まない

小石原淳

第1話 ツンデレ探偵は死者の伝言を好まない

 刑事さんが帰るのを見送ってから、僕は部室のドアをぴたりと閉めた。

 振り返ると、制服姿の女学生が肩を震わせていた。

「また楽しめそうでよかったですね。事件そのものは陰惨だし、被害者の方はご愁傷様でしたとしか言えませんけど」

「とんでもない!」

 彼女は僕の台詞を打ち消さんばかりの鋭さで言った。

「このトリックでは喜びませんよ。ええ」

 出世学園探偵部部長の横川史歩よこかわしほは、何かを我慢するかのように、口元に拳を宛がっていた。あの~、やっぱり喜んでいるように見るのですが……。

「そもそも私、数あるトリックの中でダイイングメッセージが一番好きじゃありません」

「へえ、そうだったんですか」

「あら。宝生犀星ほうしょうさいせい、あなたが入部して以降、ダイイングメッセージの絡んだ事件はなかったかしら?」

「ありましたよ。だからこそ、ダイイングメッセージが嫌いだなんて、微塵も」

 嬉々として解いていた姿が、脳裏に鮮やかに焼き付いている。

 と、部長が俯いて、首を横に振っている。何か僕に文句があるみたいだ。

「どうかしましたか」

「嫌いとは言っていません、好きではないと言ったのです。ワトソンを気取るのなら、言葉に敏感になってもらいたいものです」

「はあ」

 ワトソンを気取った覚えはないし、僕自らが希望して部のワトソン役――記録係に就いたのでもない。でも、今はそれなりに楽しんでやっているから、文句は言うまい。


「今後のため、参考までに伺いますけど、横川部長がダイイングメッセージを好きではない理由は何なんですか」

 ご存じない方のために説明すると、横川史歩はツンデレである。特定の誰にとか男性にとかじゃなく、ミステリのトリックに対して、ツンデレな態度を取ることしばしばなのだ。

 本心では好きなくせして、他人がいる前でトリックの話が出ると、「子供っぽい」だの、「そんなことしている暇があればさっさと現場から立ち去れ」だの、「その糸と針は日曜日に市場へ行って買って来たのかしら」だのと、トリックに関係あることないことの別なしに、けなし、こき下ろす。

 そして、周囲にこの人の性癖を知るメンツだけになった途端、ころっと態度を変える。「稚児の自由な想像力の発露」だの、「逃げて身の安全を確保するよりも大事なことがあるわ」だの、「購入経路が分からないように大型店舗で大量生産品を買うのは当然よね」だのとフォローに回る。

 そんな癖の持ち主・横川史歩が嫌いな、もとい、好きじゃないトリックがあるなんて。


「ダイイングメッセージは、原則的に答合わせができないのよ」

「……言われてみればそうですね。書いた人は死んでるのだから。正解を紙に記して、金庫に仕舞ってくれてる人なんていないでしょう」

「もちろん、被害者が書いた物を犯人が改変したり、あるいは全く何も書かれていなかったのに犯人や第三者がまるごと偽のメッセージを書いたりするケースはあり得るわ。

 そう、ダイイングメッセージが本物か偽物かを判断するのも厄介ね。被害者がその言葉を知っているはずがないとか、右利きなのに左手で書いているなんていう非常に分かり易い手掛かりが常にあればいいんだけれど、そんなに都合よくはいきません。

 そしてダイイングメッセージ最大の問題にして、私のようなトリックを愛する者にとって、厳しい指摘が――」

「あの、すみません。ダイイングメッセージっていちいち書くのが大変なので、DMって略していいでしょうか」

 挙手して願い出た僕を、部長はきっ、とにらみつけてきた。今のご時世にこんな言い方も何ですが、美人だから許される仕種だと思わずにいられない。

「いいところで邪魔をして、しかも内容がそれですか。だめです! DMではダイレクトメールと混同しかねませんから!」

「了解しました」

 実のところ、わざと水を差したんです、はい。ヒートアップして、陶酔の域に入り浸りそうなのが丸分かりだったので。

「続きをお願いします」

「……この点は、あなたの前でも幾度か言った覚えがあります。ダイイングメッセージらしき物を見付けたのなら、犯人は完全に破壊して読めなくするのが最善手である」

 確かに聞いていた。そして頷ける意見だ。

「仮にそのメッセージが犯人にとって都合のよい内容に思えたとしても、もしくはちょっと手を加えれば他の人に罪を擦り付けられそうに見えたとしても、絶対にそんなことをしてはならない。とにかく破壊あるのみ」

 末尾のフレーズ、世紀末覇王の台詞だよって解説したら、何人かは信じてくれそう。

「ことほどかように、ダイイングメッセージには難があります。そこがまた可愛いという見方もできますが、それではこのダイイングメッセージという分野が育ちません。獅子は我が子を千尋の谷底に突き落とす云々の話もあるように、心を鬼にして厳しく臨まねばならなのです」

 ライオンだの鬼だのと忙しない。

 要は、だめな子ほど可愛いってやつじゃないのかな~なんて思ったり。


 ここで僕は、さっき刑事さんが持ってきた捜査協力依頼を思い起こした。

「じゃあ、今回のはやはりよかったじゃないですか。被害者がダイイングメッセージを残すところが、録画されていたって話ですから」

「まあ、それはそうなんですけど。何と言っても、目新しいのがよいわ」

 自力で抑圧していた喜びが甦ったらしく、部長はうふうふと笑い声を立てた。

 僕も刑事さんの話を聞いたとき、珍しいなとは感じた。

 被害者は野杁晴人のいりはるとという三十手前の男で、ホストから転じて、今は芸能プロダクション社長を名乗っていた。一応、成功者と目されており、本人もその自覚があったようだ。“見習いホスト時代に胸に付けさせられていた名札のバッジ、幼稚園児のそれみたいにでかくてダサくて嫌だったけど、今でも成功のお守りとして肌身離さず持っている”なんてエピソードを、雑誌のインタビューか何かで得意げに語ったこともあるそうだから、自己演出の巧みな、あるいはナルシストな人物だったのかもしれない。


 あ、ちなみにだけど、警察から持ち込まれる協力依頼では通常、関係者の名前は匿名や仮名であることが多い。対して今回はダイイングメッセージが絡んでおり、名前が重要だろうからと、被害者も含めて特別に明かしてもらえた。


 話を戻して、さっき、社長を名乗っていたと含みを持たせたのには理由がある。刑事さんは、僕らが未成年だからと曖昧な表現に終始したけれども、どうやらセクシー&アダルト専門のタレント事務所をやっていたらしい。しかも、所属タレントのほとんどは、騙されて契約させられていたとのこと。その手口は、有名タレントと知り合いになれるとか人気ドラマに出られるとかの甘言を弄するだけでない。つながりのあるホストクラブ――野杁自身が木川きかわコージという源氏名で昔働いていた――に誘って、酒の注文を促し、酔いが回ったところで高額請求。借金を負わせて、その返済にと強引に所属させるパターンもあるという。


 で、本題の事件だけど。

 野杁は外国人女性も何人か所属させ、一所に住まわせていた。それが今回現場になった八ツ葉荘。中古で全然豪華ではないが防音対策と防犯(監視)カメラがしっかりしたマンションだ。外国人女性達は全員パスポートを取り上げられ、約束にない仕事にも応じざるを得ず、逃げ出せない状況に追い込まれていた。

 だから、野杁殺しの容疑者は簡単に絞り込めた。事件の起きた時間帯、八ツ葉荘の部屋にいたと確認できたアニー、リタ、セリーナ、ピノ、シャロンの五名だ。

 気になるのが、彼女達の名前が本名なのかどうかだが、これについては警察の調べで、野杁は彼女達の本名を知らなかったので、芸名だけを対象にすればよいとされた。何でも外国人女性はそれぞれの国に送り出す組織があって、野杁の事務所はその受け入れ先の一つに過ぎず、名前の把握なんてしていない。パスポートを預かって管理していたのも野杁の部下であり、野杁本人はパスポートを見てもいない。


 刑事さんの解説では、野杁は室内にいるときに、左耳から頬にかけてと、左下腹部の辺りを包丁で刺され、廊下に逃げるも、程なくしてそこで息絶えた。包丁は女性五人が暮らす部屋に元からあった物。カメラは廊下全体を撮していた(画像のみで音声なし)が、刺した人物の姿はなし。よほど嫌われていたのか、野杁が死んでも部屋からは誰も出て来ず、近隣住民の通応で駆け付けたパトカーの警官が最初の発見者になったそうである。

「逆襲が怖かったというのは、本心かもしれないわ」

 横川部長が容疑者の立場になって考えを述べる。

 これまた刑事さんの話になるが、五人の女性は様子を見に部屋を出ようとしなかったことを問われ、「逆襲されるのが怖かった。死んだとは思わなかった」と答えたらしい。

「せめて救急車を呼んでいれば、警察も全面的に信じて、傷害致死止まりになったかもしれないのに」

「逆襲を恐れてるのに、そんな助けるなんて、あり得ないわ」

「……ですね」

 何かすごく怒られそうな気がして僕は肩を小さくすぼめた。探偵部部員にはもう一人、有瀬あるせというのがいるんだけど、足の骨折が完治していなくて、まだ出て来られない。早く復帰してほしい。部長からの圧を一人で受け続ける自信がないよ。


「この事件、唯一にして最大の謎が、被害者が書いた血文字のメッセージ。五人の誰でもない、『ホリー』と読める字を残していた」

「ホリーという芸名で所属登録されている女性は確かにいたけど、仕事中で絶対に犯行は不可能。部屋にいたアニー、リタ、セリーナ、ピノ、シャロンの誰も、ホリーと似ていないから、見間違えたのでもない」

「考えられるのは、五人の誰かがホリーに変装して、なりきった場合。ですけど、いくらアリバイが確保できているからと言って、仲間のホリーに濡れ衣を着せるようなことはしない、そう信じます。化けるのなら、全くの赤の他人、存在しない人間に化ければいい話なのだから」

 この日はここで議論を切り上げた。材料不足であると刑事さんに訴えており、当初からその材料待ちにするつもりだったのだ。

 材料とは、防犯カメラの画像。

 そうなのだ、肝心要のダイイングメッセージを書くところを、僕らは直に見せてもらってなかった。重要証拠であるし、今まさに死んでいく人間が映っているため、警察外部の者に見せるのはちょっと……と、ストップが掛けられたらしい。

 やって来た刑事さんが代わりに言葉で説明してくれたのだけど、部長は画像に拘った。それならばと、絵を描いてくれた刑事さんだったが、これがまたお上手ではなくて。人の似顔絵なら得意なんだけどなあと言い訳しつつ、掛け合ってみると約束してくれたのだった。


 翌々日の午後、画像が届けられた。

 刑事さんが上と掛け合ってうまく行ったのか、それとも我が出世学園からの圧力が物凄かったのかは知らない。

「置いていきますが、コピーは絶対にしないでください。外部流出も以ての外」

 刑事さんの条件はもちろん飲んだ。勝手にコピーを取って、何らかの駆け引きに使えなくはないかもだけど、探偵の信用に関わるのでしない。今回の刑事さん、嫌みなところがなく、感じのいい人だし。感じよすぎて名前が思い出せないくらい。

 それさておき、部室に部長と二人で籠もり、問題の映像を早速再生した。

 必要最小限の映像だけってことなのか、刺されたと思しき白シャツに黒ズボンの人物が、画像の右下辺りからいきなりフレームインするシーンで始まった。そのまま人物は俯せに倒れ込み、三十秒ぐらいもそもそとうごめいていたが、じきに止まった。出血箇所の関係か、衣服が赤く染まっていく様子はほとんど見られない。

「書くところそのものは、身体の影になって見えないわ」

 部長が呟いたように、この時点の映像では血文字を書く様子はおろか、ダイイングメッセージ自体も全く映っていない。

 そこから画面が飛んだ。前もって刑事さんから注釈されていたんだけど、警察官が駆け付けるまでは同じ絵が続くだけなため、カットしたという。

 二人の制服警官がやって来て、倒れている人物を発見。声掛けするも、反応なし。蘇生を試みるためか、人物の身体を動かしたとき、やっと「ホリー」の字が見えた。縦向きに何とか読める。

「うーん、『ホリー』と言うより『ホリ』に近い? のばす記号はそんなに長くないわ」

「そうですね。かといって、日本人の堀って容疑者がいたという話は聞いてません。いたら、教えてくれるでしょう」

「そうね……」

 部長は勝手にパソコンを操作し、画像を少し戻した。指を画面の一部に当て、何かを計る仕種をする。

「どうしました? 何か気付いたんですか」

「野杁は右利き。右手に血が付いていたことからも、メッセージは右手で書いたとされてたわよね。でもでも、ほらここを見て」

 興奮しているのか、少し舌足らずな物言いになっている横川部長。

「ああー、文字の位置がちょっとおかしい?」

 僕が気付いたことを口にすると、部長は我が意を得たりとばかり、大きく首肯した。

「右手を使って、この位置に書くには、心臓の辺りに手を持って行く必要があるわ。わざわざそんなことする理由は?」

「えっと、犯人から見えない位置に書きたかった?」

「そうかもしれない。でも、実際には犯人は部屋から出て来ていない。苦労して自分の身体の下に書かなくてもよかったのに。それにね、身体が微妙に動いてはいるけれども、右腕を身体の下にやっている動作には、どうしても見えないの」

「確かに。もしこの姿勢で、右手の指先で何か書いたのなら、顔のすぐ横ぐらいに来そうです」

 僕の見方に、部長も同意を示した。


「ねえ、宝生君。被害者はどこを切られたんだったかしら」

 分かっていて確認のためにしてくる質問だなと思った。僕は即答する。

「左耳から頬にかけてと、左下腹でしたね。警察の見立てでは、まず頬の付近を切られ、直後に腹を刺されたんだろうと」

「……分かったわ。多分だけれども、この『ホリー』というメッセージを書いたのは、野杁ではない」

「ええ? そんなばかな。だってほら」

 僕は画面を指差した。勢い余って、画面そのものに指先がぶつかり、ぐらぐら揺れた。

「野杁が倒れる前には何もなかった廊下に、警察官が野杁を起こしたあとでは、字があるんですよ?」

「偶然よ。血がたまたま、そういう形になったの」

 事も無げに語る横川部長。いや、それっていくら何でも。

「一から十まで全て偶然というのではなくってよ。野杁はホスト時代の源氏名を記した名札を、お守りとして常に身に付けていた。形状や材質までは聞いていないけれども、プラスティックか何かの板に字を掘ったタイプだと思う」

 部長の言わんとすることが、まだ分からない、僕は黙ってただ首を縦に振った。

「そこには何と刻まれていたか。はい、宝生犀星クン」

「え? えっと、『野杁』。あっ、じゃなくて、『木川』ですね?」

「そのはずよね。それも縦書きだったと推測するわ」

「何故、そんなことまで言えるんですか」

「そうじゃないと、現場にできた『ホリー』の形のスタンプにならないからよ」

 スタンプ?

 おうむ返しが嫌いな僕は、心の中で叫んでいた。スタンプって何のこっちゃ?

「左耳から頬にかけて付けられた傷からは、当然血が出た。その血液が滴り落ちて、野杁の着ていたワイシャツの左胸ポケットの中に落ちる。そのポケットには、お守り代わりの名札が入っていた。名札の表面は血を赤インクとして染まり、田之入が倒れた表紙に廊下と強く接触。『木川』の字が中途半端にスタンプされた。それがたまたま『ホリー』と読めた――こうじゃないかしらね」

「……僕には、何とも、言えません……」

 そんな偶然、起きるはずないとは誰にも言えない。むしろ、今度の事件に限っては、起きたのかもしれない。画像を見ると、部長の解釈が最もありそうに思えた。

「でも困ったわね。たとえこれが正解だったとしても、犯人の特定には全くつながらないのだから」

 そう嘆いてみせた横川部長だったけれども、その表情はどことなく安堵したような明るさがあった。


 終わり

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ツンデレ探偵は死者の伝言を好まない 小石原淳 @koIshiara-Jun

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