最終話 華が咲くには…

「・・・新田!・・・おいっ、新田奏!聞こえてないのか!?おーい!」


 あれ、誰かが私を呼んでいる。あっ、柏木さんだ。


「すみません、ボーっとしていて。はい、何ですか?」


 私は目の前の衝撃的な光景に見とれていて、自分の名前が呼ばれていたのを無視してしまっていたみたいだ。そういえば頭の片隅にニッタとかカナデとかっていう文字が入ってきていた気もする。


 今日はコンサートなどのイベント以外では年に何回もない、私たちのグループのメンバーが全員揃う仕事で、アンダーの私と選抜メンバーの先輩たちが一緒になる数少ない機会だった。


 私が目を奪われてしまっていたのは、そんな先輩たちの一人の風貌が私の知るそれと大きく違っていたからだ。


「しかし美咲、思いきったね。ロングのイメージが強すぎて違う人みたいじゃん」


 楽屋の話題の中心も当然、その人だ。


「そうなのよ!私自身も見慣れなくて、朝起きた直後とか鏡を二度見しちゃったよ。誰!?って」


 美咲さんは、私がアイドルとして目標としている憧れの人だ。今でも同じグループで活動していることが信じられないくらい、その存在は相変わらず雲の上のように感じている。


「ちょっと、それは言い過ぎでしょ!顔は変わってないんだから」


 同期のメンバーからのツッコミにニコニコしながら応えているその人は、この日、自慢の長くサラサラ、艶々の髪の毛をバッサリと切って皆の前に現れていた。


 女性ファッション誌の専属モデルを務めテレビでもレギュラー番組を持つ美咲さんは、今やアイドルに興味のない一般の方々にも名前や顔を知られてきているウチの看板メンバーだ。


 イメージチェンジか気分転換か私にはわからないが、これだけの美人であれば髪の長さがどうであれ、どうアレンジしていようとも様になる。


 その日の仕事の後、私の家に同期で一番仲の良い長岡ながおか和泉いずみが遊びに来た。仕事が少ないアンダーの私たちは、暇な時間ができると気付けばどちらかの家に集まっている。もっとも、その場で仕事の話をすることはほとんどなく、多くはダラダラと他愛のない話をしたり、録画していたテレビ番組を一緒に観たりするだけなのだけど。


「それにしても美咲さんには驚いたよね。あのキレイな髪をあんなに切っちゃうなんて。私ならもったいなくて出来ないな。まぁ、美人はどんな風にしても似合うから、ああいう感じも試してみようって思ったんだよね。きっと」


 この日の衝撃的だった出来事について私から和泉に振ってみた。


「私も驚いた。初期からずっとロングだったから、とにかく意外だったし。もちろん似合ってたけどね」


 和泉はグループに加入する前は私以上にウチのファンだったから、美咲さんをはじめとした先輩メンバーたちへの思い入れも強かっただろうし尚更、衝撃を受けたことだろう。


「でも、試しにとか気分とか、そういう理由で切ったわけじゃないらしいよ」


 えっ、どういうこと?何か切る理由があったの?


「たまたま一期生の人たちが話しているのを聞いたんだけどね。本当は美咲さんはロングにこだわりがあるし、気に入ってるし、小学生の頃から最近まで一度も短くしたことがなかったんだって」


 その話、何かのインタビューで読んだことがある気がする。でも、そしたらそんなに大事にしていた髪を切るなんて、どうしちゃったんだろう。


「理由は大晦日の件なんだって。今年こそはって思ってた一期生の人たちは、出られなかったことが相当ショックだったらしくて。直前にスポーツ新聞が当確とか出してたしね。私たちはこの間入ったばかりだし、グループが出られても自分達が出られるわけではないから残念だなってくらいだったけど・・・。先輩たちは本気で目標にしていたし、そのなかでも美咲さんとかは特に強い想いを持っていたみたい」


 そっか。私たちの前では気にしている感じを出さないけど、やっぱり思ってることがあるんだ。そりゃそうだよね。


「それで願を掛けるみたいに、大事なものを捨てて、いつか必ず出るって自分のなかで誓ったって聞いた。ただ決心するだけじゃ時間とともに今の気持ちが薄れてしまうから、忘れられないくらい自分に刻み込みたかったんだって。その方法が美咲さんにとっての髪を切ることだったんだよね、きっと」


「そんな重い話があったんだ・・・。それなのに、めちゃくちゃ明るくしてたよね。今日も」


 美咲さんの様子からは、そんなことは微塵も感じられなかった。


「うん。この話も皆が知ってるわけではないみたい。本人も隠す気はないけど言い回ることでもないって思ってるんじゃないかな」


 まぁ、似合ってしまうから、そこにそんな深い意味があるなんて周りも思わないのだろうな。お洒落でそうしたと言われても納得感しかないし。


「しかも更に続きがあって、今の髪型がどんなに似合ってるって言われても次に髪を切るのは目標を達成した時か、諦めた時って決めているらしいよ。凄い覚悟だよね。さすが美咲さん、そういうところホントかっこいい!」


 本当にかっこいいなぁ。そういう台詞をサラッと言えてしまうのもかっこいいし、美咲さんが言うと映画のワンシーンみたいだ。実際に聞いたわけでもない私にだって簡単に脳内再生ができちゃうよ。


 そして映画なら、それに相応しいエンディングを望みたくなるのは私だけではないだろう。


「なんか、私みたいなのが言うのはおこがましいのはわかってるんだけど・・・。先輩たちのその目標、絶対に実現して欲しいよね」


 あれだけ才能に恵まれたキレイな方々がそれだけの覚悟で頑張ってるんだから、叶わない方がおかしい。有り得ないことが起きるのが芸能界とか、大人の事情とか、そんな話は聞きたくないのだ。


「そうだね。そのために、かなちゃんも私も実力を付けて少しでも貢献できるようにならないといけないね」


「そうだよ、頑張ろ!」


 今は人気も実力も無いけど、いつかは先輩たちと同じステージに立って、そのもっと先のいつかは先輩たちの代わりを務められるようにならないと。せっかくアイドルに成ったんだし、夢くらいは持たないとね。


「それにはまず、かなちゃんは握手会をなんとかしないと・・・」


 それだよね、やっぱり・・・。大事なのはわかってるんだけど、どうにも上手くできないんだよなぁ。


「うん、本当になんとかしないといけないよね。このままじゃ全然ファンが増えていかないし、せっかく来てくれた数少ないファンの方々にも申し訳ないし・・・」


 根が明るくはない私にとってアイドルとしてのファン対応は非常に困難な課題で、なんとかしようと思ってはいるものの何ともなっていないのが現状だ。


「あー、誰かが私の代わりに握手会でファンの人たちを楽しませたりしてくれないかなぁ」


 和泉が笑いながら私の都合の良い願望を一蹴した。


「そんなことあるわけないじゃない!自分でなんとかするしかないって。私だって初めは少し苦手だったけど、頑張ってるうちになんとかなってきたから。かなちゃんも出来るよ」


 和泉はなんだかんだ言っても愛嬌があるし、可愛らしいところがあるからなぁ。羨ましい限りだ。


「はい、頑張ります・・・」


 私は力なく言葉を返した。


「何かきっかけがあればいいのにね。それこそ髪を切ってみるとかはどう?」


 私の場合、髪型にそこまでこだわりはないし。それに今、それをするのは美咲さんにケンカを売ってるみたいじゃん。


「そんな、美咲さんの真似をするなんて恐れ多すぎるって。私にとっては永遠の憧れなんだから」


 本当にそう。美咲さんは私のなかでは絶対的な存在だし。


「あれ、ところでさ。かなちゃんって、ウチに入る前は麹町の熱烈なファンだったわけではないんでしょ?冠番組は欠かさずに毎週見ていたけど、イベントにもそんなに行ったこと無かったって言ってたし。いつからそんなに美咲さんのこと好きになったの?」


 いつからって言われると・・・。


 美咲さんは覚えていないと思うけど、実は私はウチに入る前に一度だけ美咲さんと会っているのだ。もちろん会うと言っても偶然、オーディションの日に廊下で遭遇して会議室の場所を教えてもらっただけなんだけど・・・。


 それでも、その時に初めて間近で見た美咲さんの容姿、声、喋り方、オーラなど、その総てに魅了された私は、なんとなく受けにきていたオーディションに本気で受かりたいと思うようになっていったというわけで。つまり今、アイドルとしての私が存在するのは美咲さんのおかげと言っても過言ではないのだ。


 それ以来、私のなかで美咲さんは圧倒的な憧れの存在なのだが、この話は和泉にも黙っておこう。私にとって大切な、大事な思い出だ。これは自分だけのものにしておきたい。


「えーっと、それは内緒!でも私は美咲さん一筋だから!」


「そんな、教えてよ!何かあったんだっけ?」


 質問に答えない私に和泉は食い下がってきたが、そんな和泉を笑顔で誤魔化して私は話を続けた。


「とにかく!何かきっかけを見つけて握手会もしっかりこなせるようになって、麹町の戦力となれるように頑張らないとね!」


 まずは目の前のことを頑張るしかないよね。うん。


 私は心のなかでそう呟き、真っ白なクロスに覆われた天井を見上げた。


 それから一年後、私の憧れの人は再び髪を切ることになる。今度は私も和泉も、他の誰も驚くことはないし、その理由に思いを馳せる人は一人も居なかっただろう。


 みんな知っているからだ。


 華が咲くには、タネがあるということを。

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