第25話 これぞ芸能界

「昨日のオフ、美咲はどう過ごしていたの?」


 レッスンの休憩時間、藍子が私の隣に腰を下ろして話し掛けてきた。


「実家に帰ってたよ。藍子は?」


「私も同じ。葵も帰省してたって言ってた。ここから先は年末まで忙しくなりそうだしね。今年はひょっとしたら年末年始も忙しいかもしれないし・・・。久々のご実家はどうだった?」


 どうだった、か。うん、昨日は本当に我が家らしい感じだったな。これ以上ないくらいに・・・。


「ただいま」


「あら、お帰り。頼んでた卵は買ってきてくれた?」


 ん、そんなこと頼まれてたっけ。


「何それ、聞いてないよ」


 いや、本当に覚えがないんだけど。


「あれ、少し前に連絡したでしょ。明日の朝ゴハンの分だったのに。どうしましょ」


 あっ、コレか。考え事しててすっかり見落としてた。


 それはそうと、久々に帰ってきた娘に他にないのかな、このウチは・・・。


「あっ、そうそう。美咲が帰ってきたら訊こうと思ってたんだ」


 ほらほら、あるじゃん。なに、専属モデルのこと?この前出させてもらったバラエティ番組?あっ、ひょっとしたら大晦日の件か。でもアレはまだ確定じゃないんだよなぁ。


「向かいの家のタカちゃん、覚えてる?あの、あんたがよく泣かしてた二つくらい年下の」


 向かいのタカちゃん!?いや、覚えてるけどさ。小学生の低学年くらいまで一緒に遊んでた近所の幼馴染みの一人だ。


「えっ、覚えてるよ。生意気小僧のタカシでしょ。そのタカちゃんがどうしたの?」


 まさか芸能人になってて、どこかで私と共演してたとか?


「あの子、アメリカの大学に入ったんだって。小さい頃から賢い子だったっけ。お母さん、全然そんなイメージがなかったから聞いた時に驚いちゃって。あんたなら、どんな子だったか覚えてるかもって思ってね。帰ってきたら訊こうと思ってたのよ」


 ・・・何の話だ。


「あぁ、うん、賢かった気がするよ。私が何か言い間違えるとすぐに言い直してきたりしてたし。まぁ、その度にひっぱたいてたけど」


「あら、そう。やっぱり、そうだったんだ。それにしても、あんたは乱暴者だったのね。年下の子を叩いたりして」


 まぁ、昔のことだから。子供同士ならよくあることじゃん。


「それより、お母さん!他に何かないの?私に言うこととか、訊くこととか」


 いや、あるでしょ。一応、ここ数ヵ月でかなりテレビや雑誌に出るようになったし。ファッション誌の専属モデルにもなったんだよ、しかも超有名な雑誌の。


「そうねぇ。卵とタカちゃんと、あとは・・・。あっ、そうそう。あんたが前に買ったって言ってた掃除機あるじゃない・・・」


 ・・・だめだ。ウチの母に何かを期待する私がいけなかった。これでは延々と四方山話が続いてしまうし、話題を変えよう。


「そういえば晩御飯は何?お父さんとお姉ちゃんも今日は早いんでしょ」


 家族で囲む食卓なんて久々だ。


「何言ってるのよ。お姉ちゃんは最近、忙しいのよ。昨日も遅かったし。お父さんはいつも通り。待っててもいいけど、ゴハン遅くなっちゃうわよ」


 ・・・私、この家に歓迎されてるのかな。みんな恐ろしいくらいにいつも通り生活してるじゃん。まぁ、そりゃ急に帰ってくる私に合わせて生きるのは難しいのもわかるんだけどさ。もう少し何て言うか、こう・・・。


 私が頭のなかでアレコレ考えていると、母親は急に大事なことを思い出したみたいだ。


「そうだ、あんた今年は大晦日ギリギリまで仕事になりそうなんでしょ?お父さんが言ってたわよ」


 やっと、その話題か。ここに辿り着くまで長かったな。


「まだわからないけどね。そうなるかもしれない」


「そしたら、ここで年越しってのはないと思ってていいのね。実はお父さんと、今年はお祖母ちゃんのところで年越ししようかって話しててね。あんたが帰る気でいたら悪いと思って、一応、訊いてから決めようって話してたのよ」


 大晦日の話ですら、この家では年末年始のスケジュール調整程度の話題にしかならないか・・・。まぁ、そんな我が家だから私も気楽に帰って来て、いつだって普段通りに過ごせるってのもあるんだけどさ。


「あぁ、そういうことね。うん、平気だよ。お祖母ちゃんも毎年一人じゃ寂しいだろうしね。行ってあげなよ」


 しかし、ここまで普通の反応というのは予想もしていなかった。逆に新鮮なくらいだけど・・・。本音を言えば少し、寂しいかな。


 別に家族にチヤホヤして欲しかったわけではない。まして自慢しようなんて思ってもいない。ただ・・・。


 私はただ、家族にも一緒に喜んでもらいたかっただけだ。


 それには、まだまだ今の私では、ここまでに私が成し遂げたことでは足りないってことなんだろうな。きっと。もっと頑張ろう。


 母との食事を終え自分の部屋に向かった私は、その途中で無造作に戸が開けられた姉の部屋の中に目が留まった。


 小さなテーブルの上には数冊、女性向けのファッション誌などが置かれている。


 お姉ちゃんって、今でもファッション誌とか買うんだ。学生の頃はお洒落で自慢の姉だったけど、働くようになってからはそんな余裕もなくなってたと思ってた。


 どんなの読んでるんだろ。ちょっと失礼します。


 主の居ないその部屋にそっと入った私は、ベッドに腰を掛けてその一つを手に取ってみた。


 あれ、これって・・・。


 その時、どこからか現れた母親がドアの方から声を掛けてきた。

 

「驚いたでしょ。お姉ちゃん、あんたが専属モデルになったって聞いてから、その雑誌は毎月買ってるのよ。他のも全部、美咲が少しでも載ってるものばかり。もうすっかりファッション誌は買わなくなってたのにね」


 そうなんだ。そんなこと一言も言ってなかったじゃん。


「初めはお父さんに見せるためって言ってたけど、今では自分でも楽しみにしてるみたいよ」


 全然知らなかった。それに、お父さんも私の活動とか気にしてたんだ。


「お父さんなんか、会社であんたのこと自慢しまくってるのよ。テレビに出れば必ず録画してるし。今じゃ会社の若い人たちにもあんたのグループのファンが増えてるんだって。自分のおかげだって笑ってたわよ」


 そこまでいくと恥ずかしくもなってくるな。でもお父さんにまでそんなに喜んでもらえているのは、素直に嬉しい。


「年越しだって、お父さんが今年は美咲たちがいつも観ているステージに立つかもしれないから、お祖母ちゃんと一緒に観ようって言い出してね。みんなで一緒に見たいじゃないかって」


 そうだったんだ。


 勝手にがっかりしてたけど、みんな私の活動を見てくれてるし、応援してくれてるじゃん。


「今夜はお父さんもお姉ちゃんも帰るの遅くなるかもしれないけど、明日の朝が早くないなら話に付き合ってあげなさいよ。二人とも話したいことが沢山あるみたいだったから」


 もちろん、何時までだって付き合うよ。


「うん、そうする。お母さん、ありがとね。なんかヤル気が出てきた!」


 そんな私の言葉を聞いて、母は笑いながら家事に戻っていく。


 この日、私は深夜まで両親と姉の四人で色々なことを話し続けた。


 あっという間に過ぎたそのひと時は、私にとってはこれ以上ないくらいの充電時間となった。そのおかげもあって私は、身も心も万全の状態で再びアイドルという鎧を纏い、芸能界という戦場に戻ることができるのだ。


 この家族で良かった。ここに生まれたことに感謝しないとね。


「うーん、私の方は怖いくらいにいつも通りだったかな。まぁ、そんなところが我が家の良いところなんだけどね」


「なんか美咲のお家って明るくて楽しそう。美咲を見ていれば、どんな様子かなんとなく想像できるな」


 藍子にはそんな風に見えるらしいが、それを言ったら藍子のところも、葵のところも私にはなんとなく想像ができる。


 そんな話をしている間に休憩時間が終わり、私たちは再びレッスンに戻った。


 そういえば、今日って珍しく二期生まで含めて全員が揃ってるんだ。柏木さんたちマネージャーさんも皆さん居る気がするし、さっき廊下で長瀬さんも見掛けた。


 あれ、これって、ひょっとしたら最後に大事な話があるんじゃないのかな。きっとそうだ。そうじゃなければこの時期に、こんなに関係者が揃うことなんてないよ。


 私はレッスンの途中から、そんなことばかりを考えていた。


 そんな私の想像を後押しするかのように、レッスンが終わった後、私たちは会議室に集合するように告げられる。


 それも何をそんなに慌てているのか、荷物もまとめないでそのまま集まれだって。このドタバタとした感じも、何か大きな発表があるような気がしてならない。


 そしてそれは、私のなかでは選択肢は一つしかない。藍子も葵も、他の子たちも同じなのではないかな。


 大晦日のことだ。絶対にそうだよ。


 ドキドキしながら会議室に並べられた椅子に座る私たち。


 メンバーが全員揃い、壁際にはマネージャーさんたちが並んでいるところに長瀬さんが入ってきた。


 ふいに私の頭のなかには藍子や葵と初めて会った日のことや、みんなで選抜発表への不安を語り合った夜。初めての握手会や初めて大きな歌番組に出た時のことなんかが、これ以上ないくらい鮮明に蘇ってきた。


 全てはこの目標のために、夢のために頑張ってきたんだ。


 私は勝手に、この素晴らしい物語の感傷に浸り始めていた。よく言う走馬灯のようにってこんな感じなのかな。そこには眩いばかりの後光が差していて、爽やかでそれでいて荘厳なBGMがひたすら鳴り続けている。


 心臓の鼓動がどんどん早くなっていくのを感じる。


 そんな私をよそに、長瀬さんがいつものハスキーボイスでその重大な発表を始めた。その語り口調は、こんな時でも相変わらず落ち着いている。


 それほど長く喋っていたわけではない長瀬さんの言葉だったが、私は途中から何を言われているのか理解が追い付かなくなっていた。

 

 しっかりと聞き取れたのは最後の一言だけで、それは背中の方でどこからか聞こえてくる誰かの嗚咽と混ざって耳に入ってきた。


「そういうことだから、明日からまた頑張っていこう。事前の報道なんかもあったからショックなことに思うメンバーも居るかもしれないが、グループ結成から丸二年が経っただけで、まだ三年目だ。焦る必要はないし、残念に思う必要もないぞ。前を向いて行こうな」


 その言葉をゆっくり頭のなかで復唱して、やっと少しずつ何が起きているのかが分かってきた。


 前に誰かが言ってたな。芸能界ってところには魔物が棲んでいて、普通に考えれば起こり得ないような出来事が頻繁に、それも当たり前のように起きるとか。


 さっきまで私の頭に流れていたキラキラとした映像はピタッと止まり、宇宙の果てに来たのかと思うくらい辺りは真っ暗になってしまっていた。


 一生懸命に前を向こうとしているのに、私には何も見えない。


 これぞ芸能界、か・・・。

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