第24話 心配かけてやる

 あっ、あの車だ。さすがはウチの母親、時間には厳格だな。


「長旅ご苦労様。疲れたでしょ」


「うーん、うん。まぁ。仕事でも移動が多いから、いい加減に慣れたけどね」


 それに新幹線なんて快適な方だ。飛行機は揺れるし、バスは時間ばかり掛かるし。おまけに一人での移動なら、それほど周りの目を気にする必要もない。


 久々に帰った我が家。今年は夏も帰らなかったから、お正月以来だな。


「ただいま」


 この時間だと誰も家に居ないだろうとは思いつつ、なんとなく家のなかに向かって呟いてみた。


「なんだ、姉ちゃん帰ってきたのか。久しぶりだな」


 あれ、弟がこの時間に居るのか。部活はどうした、少年。


「なんだとは何よ。あんたの方こそ、部活帰りにしては早いんじゃないの」


 そういえば、いつもの汗クサさがない気がする。嫌になって辞めちゃったか。


「今、何月だと思ってるんだよ。もうとっくに引退して、今は受験生だって」


 そうか。もうコイツもそんな年頃だったのか。大学に入って上京して、すぐに麹町の仕事を始めちゃったから滅多に帰って来なかったもんな。いつも私の後ろを付いて来ていた弟も、来年には大学生とは。早いものだ。


「二人とも、話は後でいくらでも出来るから。葵は荷物置いて休んでなさい。あんたは勉強。浪人なんて許さないからね」


 母親がそれぞれの行き場を指定し、私と弟は粛々と各自の持ち場に向かった。


 その夜は三人で食卓を囲み、父親は私たちの食事の片付けが終わる頃に帰宅した。この家では昔からよく見る光景だ。


 寡黙なこの人らしく、私が居るという珍しいシチュエーションにも必要以上のリアクションは取らない。勤め先の銀行では支店長さんに成ったと聞いたが、この感じでは部下の方々も大変だろうな。


 それでも私は、銀行員の皆さんが融資の稟議に決裁を取り付けるように、今日は上申しなくてはならないことがある。


 父親が食べ終わった頃を見計らって、私はその未決箱に稟議書を投げ込んだ。


「あの、さ。疲れてるところ悪いんだけど、一つ話したいことがある」


 私がそう言うと、黙ってソファに腰を下ろす父親。相変わらず表情は険しい。


「なんだ、話っていうのは」


 なんか、偉くなられたからか昔より圧が強い気もする。一応、私は久々に顔を合わせる愛娘のはずなんだけどな。


「進路についてなんだけど、大学まで通わせてもらった手前、その後のことも言っておく必要があるかと思って」


 母親も家事を済ませて隣に座った。


「私、就職活動はしない。もちろん大学は四年間で卒業するよ。でも、その後は一般企業に勤めたりしないで、今やっている芸能活動一本で勝負しようと思ってる」


 不本意であろう私の発言にも、父親は眉一つ動かさない。


「大学まで進学させてもらえたことには感謝しているし、まして東京の大学に通うために下宿までさせてもらって、それなのに芸能界みたいな勉強したことと関係のない仕事に就くのは申し訳ないと思っています。その分ではないけど、大学の学費や諸々については少しずつ返していくつもりでいるから」


 そこまで話したところで、やっと父親が口を開いた。


「目の届かないところに置いておくと、こういう結果になってしまうということか。せっかく難関大学に入ったにも関わらずロクに勉強もしないで、あげくに何の保証もない芸能界で生きていこうなんて正気の沙汰とは思えないな。学費を返すとか生意気なことを言っているが、それ以前に先々の自分の生活だってどうなるかわからないだろう。上手くいかなければ一体どうするつもりでいるんだ」


 予想はしていたけど、やっぱり全否定か。まぁ、最低限の仁義を切ろうと思っていただけで、この人と分かり合えて円満に芸能活動を続けていけるとは思っていもいなかったし。この結末も仕方あるまい。


「その時は、自分で何とかします。親に迷惑を掛けたりはしないので」


「今でも十分、迷惑を掛けていることがわかっていないから、そんな甘いことを言い出すんだろうな。まったく母親が甘やかすから、こんな風に生意気な口のきき方をする人間になってしまうんだ」


 ちょっと、お母さんは関係ないじゃん。さすがに腹の立つ言い方。


「私が芸能活動をするのが迷惑だったなら謝りますよ。申し訳ございませんでした。もう、これ以上は迷惑を掛けないようにするから、今後は私のことは気にしないでください」


 カチンときた私は、更に怒らせるのを承知で父親の発言の悪態をついてみた。


「それなら勝手にすればいい。話はそれだけか。普通の社会人は明日も平日で朝が早いんだ。言うことがなければ終わりにしてくれ」


 最後の最後までムカつく人。なんなのさ、まったく。


 そのまま何も言わずに席を立ち、私は自室に戻った。


 別に、温かく背中を押して欲しいとか、いつでも帰って来なさいって言って欲しいとか、そんなのを期待していたわけではないけどさ。何て言うか、もう少し対等に、一人の大人として話を聴いてくれてもいいじゃん。私だって何も考えずにこういう選択をしたわけではないのだから。


 あーっ、何か律義に話をしに帰って来て損した気分。これなら事後報告にでもしておけば良かった。


 少し経って、ベッドで不貞寝ふてねしていた私のところに母親が訪ねてきた。


「葵、ちょっといい?」


「うん」


 返事をして起き上がると、部屋に入ってきた母親もベッドに腰を下ろした。


「お母さん、さっきはごめんね。私のせいでお父さんから嫌な事を言われて。私にだけ言えばいいのに、何でああいうこと言うんだろうね。ホント嫌になっちゃう」


 私の言葉に母親が笑った。


「お母さんのことはいいのよ。それより葵の方こそ、勇気を出して話に来たのに取り付く島もなくて嫌な思いをしたでしょ。あれでも葵のことを心配しているんだから、お父さんのこと許してあげてね」


「心配なのは世間体とか、将来、私が無一文になって帰ってきた時に面倒をみなければならないこととか、そういうことでしょ。でも安心して。家族に迷惑を掛けるような仕事は絶対にしないし、行き詰っても自分で仕事を見つけてなんとかするから」


 そうだよ。親を頼る気なんて微塵も無いのに。それに、どう思っているか知らないけど私がこれまでにやってきた仕事とか、いつも接しているウチのグループのスタッフさんたちなんかを知れば、私が世の中を甘く見ているわけではないことは理解できるはずなんだから。それこそ、今年は遂に大晦日にだって声が掛かるかもしれないのに・・・。


「明日は何時くらいに東京に戻るの?」


「お昼過ぎの新幹線で帰ろうと思ってる。何か腹立たしいから、朝はお父さんが家を出た後に起きることにするよ」


 私の返事を聞くと、母親は立ち上がりながら頷く。


「そしたら、午前中は少しお母さんに付き合いなさいよ。それくらいの時間はあるでしょ。じゃあね、おやすみ」


 そう言って母親は部屋から出ていった。


 次の日、我が家では遅めに私が起きると、既に家に居るのは自分と母親だけになっていた。遅めと言っても世間では普通くらいなのだが、銀行員の朝は早いし、時間に厳しい我が家で育った弟も学校に向かう時間は始業よりかなり早い。


 食事を済ませて一服ついた私は、母親に昨夜の話の続きを促した。


「お父さんからは葵には言うなって言われてるんだけど、特別よ」


 そう言いながら母親が持ってきたのは一冊の預金通帳だった。


「あんたたちが子供の頃に開いた口座で、身内からお祝いとかを頂いたりした時に入金していってたものなんだけどね」


 私はその通帳をパラパラと捲っていってみる。


 たしかに、前の方は一万円や三万円程度がお正月や桜の季節に併せて入金されている。よく私や弟の名義で貯めているとは言われていたが、こんなところにあったんだ。


 それが大学に入るところで終わっていると思ったら、その後には年に二回、規則的に纏まった金額が入金されていた。


「あんたがアイドル活動を始めるって聞いた時も、お父さんは興味が無いような顔して何も言わなかったでしょ。でも本当は色々と心配だったみたいよ」


 そんな様子は全く見せなかったけどね。


「それで葵が万が一にでも将来、卒業後も芸能活動を続けるって言い出したらどうするんだって。下手したら満足な生活も出来ないレベルの収入しか得られないだろうって言って、その時に渡すために年に二回、賞与の度にそこに入金し始めたの」


 もう、何なのよ。昨日は、私がいきなりバカなことを言い出したみたいに言ってきたくせに・・・。自分もそういうケースを想定してたんじゃん。こんなのズルくない?邪険にしたこっちが悪かったみたいでさ。


「それなら何で、昨日は私がバカなんじゃないかみたいな言い方してきたんだろうね。私の芸能活動が迷惑かけてるみたいにも言ってきたし」


 照れと申し訳なさから少し怒ってみる私に、母親が笑いながら答える。


「あれは別に、芸能活動に対して言ったことじゃないと思うわよ。あんたが学費は返しますなんて言うから、ついカッとなったんだと思う。ほら、こうして心配してお金を用意していたところに、学費を返しますなんてお父さんが怒りそうなことじゃない」


 だって知らなかったし。仕方ないじゃん。


「まぁ、迷惑って言い方はお父さんの言葉選びが間違えてたと思うけど、そこは『心配』に置き換えてあげなさいよ。あんたも子供じゃないんだからさ」


 まぁ、私が「迷惑」かけませんって先に言ったってのもあるしね。


「要は迷惑かけないとか学費を返すじゃなくて、心配を掛けますが宜しくお願いしますって言って欲しかったのよ。娘の心配をするなんて、親の特権、楽しみでもあるんだから」


 もう、面倒くさい人だなぁ。それならそうと素直に言えばいいのに。


「あんたもあんたで、初めからお父さんが否定するって決めつけて話を持っていくからいけないのよ。ホントに似た者親子で嫌になっちゃうわ。もう少し素直になって欲しいものね、二人とも」


 たしかに私の話し方も良くなかったか。母親の言う通りかもしれない。


 少なくとも私は、お父さんが私の芸能活動やその後を心配して、お金の工面まで始めていてくれたなんて想像もしていなかった。


 そんな想いを持ってくれていた人に対して、昨日の態度は少し失礼だったかな。


「さてと、そろそろ準備なさい。お昼過ぎの新幹線に乗るんでしょ」


 そう言って立ち上がった母親に、私は一つお願いをしてみた。


「あのさ。駅に向かう途中で、一ヶ所寄って欲しいところがあるんだけど」


 場所を告げると、母親は驚きながらもまんざらでもない顔を見せた。


「だいぶ遠回りになっちゃうけど、電車が遅くなっても平気なの?」


 母親の問い掛けに頷いた私は、さっそく自室に戻り荷物をまとめ始める。


 家を出てしばらくして、ある駅のロータリーで車を停めた母親が反対側に見える建物を指差した。


「あそこよ。今の時間、お店に居るかまではわからないけどね」


 なんとなく父親の職場が見たかっただけの私だったが、とりあえず車を降りてみた。


 忙しいだろうしね。チラっとでも働いているところを見て行こうかなと思ったけど、難しいか。


 そんな風に思っていた矢先、入り口から背広を来た人が何人か出てきて、それに続いて出てきた二人組の男性がその人たちを見送るシーンに遭遇した。


 見送ってる方の一人、父親だ。お客さんが帰るところか。


 なんとなくその姿を目で追っていると、客人を見送って辺りを見渡した父親とおぼしき男性の目線が私の方向で一瞬、留まった。


 見えていないだろうとは思いつつ私が軽く会釈をすると、男性は小さく頷いたように見えた。


 気のせいだよね。きっと。


 その後、お店の前から人が居なくなったのを見届けて私は車に戻った。


「満足した?お父さん、偶然にも出てきていたじゃない」


「うん。会社員も大変そうだね。やっぱり」


 そんな当たり障りのない感想を言った私に、母親が楽しそうな顔で言葉を掛ける。


「あら、お父さんからメールが来たわ。気を付けて帰れよ、だって。こんなにすぐに反応するなんて、よっぽど嬉しかったのね」


 私も小さく笑ってしまった。


「それだけかよ、って感じだけどね。まぁ、私も他人ひとのこと言えないか」


 そんな私らしくない台詞を聞いた母親が、少し嬉しそうな顔をして目的地となる駅に向かって再び車を走らせる。


 せっかくだから、心配しがいのあるくらい頑張ってみるか。


 束の間の里帰りに思いのほか満足した私は、心機一転、アイドル活動を頑張ろうと心に誓っていた。

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