第23話 退路を断つ

「ただいま」


「お帰りなさい。あら、言っていたほど遅くならなかったじゃない」


 久々に帰った実家では、母と愛犬が玄関まで出てきて迎えてくれた。


「うん、思っていたより早く終わって。みんなは?」


「まだ帰ってないけど、二人とも今日は早く帰るようにするとは言ってたわよ。お父さんは無理してでも帰るのだろうけど、お姉ちゃんはまだまだ若手だから難しいかもしれないわね」


 そうなんだ。お姉ちゃんも大変ね。私たちみたいな特殊な世界とは違うのだろうけど、会社員には会社員の、私たちが知る由もないような苦労もあるんだろうな。


「晩御飯の準備まだ終わってないでしょ?私も手伝います」


 そう言って私は荷物を置き台所に向かった。


「疲れているでしょう。気にしなくていいから休んでいればいいのに」


「ううん、こうしてお母さんとキッチンに並びながら色々とお話しするの好きだから。小さい頃を思い出してなんだか懐かしいし」


 母は手を動かしながら優しく微笑んでいる。


「学校の方はどうなの。ちゃんと通えている?お父さんも心配していたわよ」


 大学三年生の後期という時期も時期だし、アイドルのことより学校のことよね、訊きたいのは。当然、今日はその話が中心となるのだろうということは覚悟してきた。


「うん。今年の分まで単位を取り終えれば、来年はほとんど通わなくても卒業できると思う。最近は少し忙しくなってきたけど、なんとかなりそう」


 とりあえず安心させないと。


「そう。それで試験の勉強はしているの?」


 ここで言う「試験」が公認会計士試験であることは、具体的に言われるまでもなくわかっている。大学に入る、いやその前に大学を選ぶ時から私はそれを目指していたのだから。


「うん、そのことなんだけど・・・。お父さんが帰ってきたら、話したいことがあるの」


 母が再び微笑んだ。


「二度も同じようなお説教をされたくはないってこと?まぁ、いいわ。そしたら代わりに、料理の盛り付けをお願いしようかな」


 そう言って母は話題を変え、父が帰るまで進路の話を棚上げしてくれた。


 それから少し経って父が帰宅し、続けて姉も帰ってきた。家族四人で囲む食卓は久しぶりだ。


 晩御飯を食べている間は核心を突いた話題は避けようと思ったのか、父や母から私の今後についての話はなく、私からも当たり障りのない近況報告をするだけだった。


 しかし、それで終わってしまっては意味がないのは私も両親も同じだろう。


 食事が終わりソファに父が腰掛けたところで、私は意を決して本題を始めることにした。


「お父さん。ちょっと聞いて欲しい話があるんだけど、いい?」


「ああ、お父さんからも訊きたいことがあるんだ。ひょっとしたら同じ話かもしれないな」


 そう言って父は持っていた新聞を置き座り直した。


 どういう反応かは言ってみないとわからないけど、とにかく言わないことには何も始まらない。


「まず学校のことなんだけど、この後期の単位を一通り取り終えれば来年はほとんど残らない予定です。今のところ順調なので、来年で卒業はできると思います」


 父は優しい顔のまま頷いている。ここまでは特に言うことはないだろうしね。問題はこの後なんだけど・・・。


「それで来年、正確に言えば来年以降のことなんだけど、大学に入る前に考えていた進路とは違う道を進もうと思っています。私、会計士試験は受けないし、そのための勉強もしません。かといって就職活動をするつもりもないです」


 ここまで聴いたところで父が口を開いた。


「今の、芸能界の仕事一本でいくってことかい?」


 私のこの報告を予想していたのか、父の顔から驚いている様子はうかがえない。


「はい。麹町A9の活動をメインにやっていこうと思ってます。いつまで続けられるのか、それで食べていけるほど稼げるのかはわからないけど、少なくとも今は辞める時ではないと思っているので」


 自分の経営する、祖父の代から続く会計事務所を娘が継いでくれるのを期待していた父からすれば不本意な話だろうな。すぐに否定はしてこないが、その心中は穏やかではないと思う。


「本当に後悔しないか?今しか選べない選択肢もあるんだぞ。もちろん、資格を取るのは何歳になっても出来ることだけど、勉強から離れて何年も経ってから戻るっていうのは簡単なことではないよ」


 それでも言葉遣いは穏やかなままだし、表情も変わらない。私は父のこういうところを本当に尊敬している。


「わかってます。それらも踏まえたうえで、よく考えて出した結論です」


 そう言う私の後ろには気付いたら姉が立っていた。母も少し離れたところから様子を伺っているのが見える。


「いいじゃない。私なんか大学に入る前に会計士を目指すの辞めちゃったんだし、藍子は大学も商学部を選んで、しかもお父さんの母校の後輩にまでなって。ここまで頑張ってきただけで満足してあげなよ。事務所は優秀な部下に引き継いでもらえばいいじゃない。世襲なんて今の時代、流行らないよ」


 姉はわざと軽い話のように言ったのだろうが、父の気持ちを慮ってか母がそれをたしなめる。


「あなたたちが何不自由なく生活できて大学まで出してもらえたのは、お祖父さまが立ち上げたお父さんの事務所があって、お父さんがそこで頑張ってきたからでしょう。それに対してそんな軽口を叩くのはやめなさい。お祖父さまが聴いたら悲しむわよ」


 母の言葉に父が思わず笑った。


「まぁ、いいさ。藍子のために必要以上に軽く言ってあげただけだろうし。それに、言っていることはごもっともだ。私が父の代からの会計事務所を営んでいるからって娘たちが会計士の道を志さなければならないなんて法はないし、血縁者が引き継がなくてはならないなんてルールもない。まぁ、二人が会計士の道を選ばなかったのは、本音を言えば残念に思う気持ちも無くはないけどね」


 父のこの理性的でリベラルな考え方に、私は今まで何度救われてきただろうか。そして今、また救われようとしている。


「ただ会計士にはならなくても構わないが、二人には幸せになってもらわなくてはならない。そこについては譲る気は一切ないのだけど、藍子の選んだ道はその点では大丈夫なのか。お父さんには詳しいことはわからないが、芸能界の不安定さくらいは想像がつくし、大変な仕事、業界であることも想像できる。それだけが心配なんだ」


 そう思われるのは当然よね。今の私たちのグループのレベルでは安心させることはできていないだろうし、これ一本で大丈夫なんて、とても思えないだろうな。


「正直に言えば、絶対に大丈夫なんて言えないけど・・・。でも、ウチのグループには優秀なスタッフさんが沢山いるし、最近は仕事も急激に増えていってる。来年からは時間が出来るから、もっと増やしてもらえるように頑張ります。それに何より、とにかく素敵なメンバーたちに恵まれているの。このメンバーと一緒なら大きな夢を叶えることもできるって、本気でそう思ってます」


 事実ではなく願望を述べるばかりとなってしまったけど、今、私に言えるのはこれくらいよね。


 そんな私の言葉を姉が補強してくれた。


「まだ決まったわけじゃないんだろうけど、今年は大晦日の国民的歌番組にだって出られるかもしれないんだから。ほら、お父さんにも見せたでしょ、いつかの新聞。そんなレベルにまで来てるんだから、きっと大丈夫だって。それに、いざとなったらお父さんのところで雇ってあげればいいじゃない。事務員でも何でもさ」


 昔からいつも優しく、大好きなお姉ちゃんが今でもこうして私を助けてくれるのは本当に嬉しい。でも、今回ばかりは少し否定しなくてはならない。


「そんな、好き勝手な道を選んでおいて、ダメだったらお父さんを頼ろうなんて都合の良いことは考えてないから。その時は、自分で仕事を見つけて自力で生きていきます。それと、大晦日はホントに勝手に書かれてただけで、正式にはまだ何も言われてないからそんなに期待しないでいてもらえると・・・」


 父がそんな私と姉のやり取りを見て笑った。


「まぁ、いいさ。その時のことはその時になってから考えよう。今、藍子が考えに考えて選んだ道なら、我々はそれを応援するだけだ。なぁ、母さん。それでいいだろう」


 母も笑ってくれている。父も姉も、こんな私の勝手な夢を本気で信じ、応援してくれているんだ。私はこの家族には感謝しかない。


「ありがとう。お父さん、お母さん。お姉ちゃんも。今年の大晦日かはわからないけど、いつかみんなの期待に応えられるような、そんなグループになれるように頑張るから。見ていてね!」


 今後の進路について両親に理解をしてもらえたことで、私は何の心残りもなく麹町の活動に全身全霊で打ち込めるようになった。


 支えてくれている人たちのためにも、絶対に夢を掴んでみせる。美咲や葵と一緒なら、麹町A9なら、きっと出来る。


 私は立ち止まらない。引き返さない。前に進むだけだ。


 この道の先に、輝かしい未来があるのだから。

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