第22話 勝って兜の
「まさか、こんなに早く大晦日まで仕事で埋めるとはね。さすがは長瀬くん、結成から三年目でってのもキミの計画通りか?」
「いえ、そんなに都合良く物事が進むなんて思ってもなかったですよ。それに、まだ決まったわけではありませんから。スタッフやメンバーにも、くれぐれも浮かれるなと言ってあります」
ここ数日、どこへ行ってもこの話題ばかりだが、まさかウチのことなんか気にも留めていなかった専務までもが口にするとは。
「まぁ、確定ではないのは事実だろうが、火の無いところに煙は立たないとも言うだろう。少なくとも情報筋の一つにはそういった話が入ってきているというわけだ。その位置まで達していること自体も想像以上だよ」
そう言ってもらえるのは有り難いが、それを真に受けて喜んでいるわけにはいかない。少なくとも、私くらいは慎重に事の推移を見守らないと。
しかし上司に対しネガティブなことばかりを言っても仕方がないし、とりあえずは愛想笑いをして受け止めておこう。
「それに実際に出場するとなったら、こっちに戻ってくるための手土産としては十分過ぎるくらいだしな。さすがにその手腕を放っておくわけにはいかないだろう」
戻る、か。私がそれを望んでいると思われているのかもしれないが、その部分についてはハッキリと否定しておこう。
「私はべつに、彼女たちの頑張りとその成果を自分の手柄にして、それと引き換えに親会社に戻してもらおうなんて微塵も思っていないですよ。今回の出向は終の棲家を与えてもらったと思っていますし、そのつもりで取り組んでいますから」
私の回答が想像と大きく違ったのだろう。驚くどころか、冗談か皮肉でも言っていると思われたらしい。
「まぁ、そう言うな。新設会社、それも畑の全然違うアイドルの運営会社なんかに行かされたのを屈辱に思ってるのかもしれないが、気を悪くしないでくれ。会社としてもキミの力を試したかったというか、その状況でどんな成果を出すかを見させてもらいたかったというのがあるんだ」
物は言いようとはよく言ったものだ。
「現に、そこでキミが挙げた成果に対する評価は間違いなく高い。それこそ、今回みたいな目に見える形での成果が挙がれば、戻る時にはそれなりのポストを用意するつもりでいるんだ」
ポストか。そういうのが好きな人なら嬉しいのだろうが、私には関係のない話だ。
「いえ、出向となったことを何か根に持っているところは本当に無いです。むしろ結果論かもしれませんが、今はやりがいを持って楽しませてもらっているので、本気で感謝しているくらいです」
これが私の本心なのだが、理解してもらうのは難しいか。
「それに、まずは今回の大晦日の話にしても実現しないと何の意味もないですから。スポーツ新聞に記事にしてもらうことを目指しているわけではないので」
「勝って兜の緒を締めるってやつか。まぁ、正式に決まった暁には盛大なお祝いの場を用意させてもらうからな。もちろん、スタッフやメンバーも交えてだ」
専務は終始ご機嫌の様子だった。
この人は我々のグループの生殺与奪に大きな影響力を持つ人物だ。気分良く居てもらうに越したことはないし、これはこれでいいのだろう。
しかし冗談抜きで、浮かれてばかりいられないのも事実だ。
いくら世間を騒がせることが仕事のスポーツ新聞とはいえ、さすがに何のソースも無く記事を書くことはしないだろうが、どのくらいの確度かは定かではない。
それに仮に確かな筋からの情報があったとしても、その後に大人の事情だかで状況が変わることも有り得ないわけではない。そういうことが頻繁に起こるのが、生き馬の目を抜くこの芸能界の常だ。
もちろん何も起こらずに、我々にとって望ましい結果が訪れることを願ってやまないのは言うまでもない。
せっかくの機会だ。運命の神様にも悪戯をしないで見守ってもらえるよう、お願いしたいところだ。
役員室を出て、そんなことを考えながら本社ビルの廊下を歩いていた私に誰かが後ろから声を掛けてきた。
「長瀬さん、お疲れさまです」
「おう、真中じゃないか。どうだ調子は」
声の主は後輩の真中だった。
「ボチボチですね。それより長瀬さんの方は凄いじゃないですか!大晦日の件、一年前は歌番組に出してもらうのにも苦労していたグループだったのに・・・。長瀬さんの手腕には本当に恐れ入りました。あの時はすみません、何か失礼な言い方をしてしまって」
もう、あれから一年も経つのか。早いものだな。
「いやいや。こっちの方こそ、あそこでああして身の丈以上の仕事を頂けたことが今の状況にも繋がっていると思ってる。それに真中だって、いざ岡林さんを前にしたら一緒になってウチを推してくれたじゃないか。あれは本当に嬉しかったし、感謝してもしきれないよ」
本当にそうだ。売れ出したのは今年の春、四枚目のシングルを出した後だが、その前までの様々な活動があってのヒットであるのは間違いがないのだから。
「岡林も、あの時、あの場で長瀬さんを信じて良かったって言ってましたよ。早い段階で麹町を起用したことで、アイツもより一層、局内で一目置かれているみたいですし。そう言えば、今度は番組のなかで麹町の特集を組ませてもらいたいって言ってました。大晦日の件が正式に発表されたタイミングにでも連絡があるんじゃないかと思います」
たしかに今、そういった特集を組むのであればウチのグループというのは自然なことなのだろうが・・・。
「おいおい、そういった話が出るのは有り難い限りだが、皆ちょっと気が早くないか。万が一ってことだってあるんだからな」
あって欲しくはないが、有り得ないとまでは思えないでいるのだ。
「でも客観的に見ても、今年の音楽シーンを振り返る場に麹町A9が居るっていうのは、当然の話のように思いますよ。それだけのインパクトを残してるんだから。来年は更にブレイクして、一気にトップアイドルに上り詰めてくださいよ!」
真中の目からもそんな風に見えているのか。本当に今のウチのグループってのは凄いんだな。
遂にそんなところまで来たということか。
出だしは決して良かったわけではない。
我々のファーストシングルを知っている人なんて今でもほとんどいないだろうし、デビューから一年くらいは歌番組はもちろん、その他の番組に出ることも少なく、ましてメンバー個人の出演なんて皆無だった。
しかし、転機となった今年の春曲からは様相が一変した。それも、こんなにドラスティックに変わることになるとは、メンバーもスタッフも予想だにしていなかっただろう。
グループとして歌番組に喚ばれることが増えてきたのは当然として、何人かでのバラエティ番組へのゲスト出演やラジオ、雑誌の仕事も多くなってきた。
そんななかでも、すっかりグループの顔となった美咲へのオファーの多さは圧倒的で、一人でのバラエティ番組への出演が増えてきたと思ったら、本人も興味を持っていた映像媒体の演技の仕事まで少しずつだが入ってくるようになってきた。夏前からは女性向けファッション誌の専属モデルに抜擢されているし、ここ数ヵ月での状況の変化が一番劇的だったのは彼女で間違いない。
他にも、桐生はその言葉遣いの上品さと清楚な佇まいが好印象だからか、フリーアナウンサーが生業としているような仕事での引き合いが多いし、里見はゲスト出演したラジオでの鋭い語り口が好評で遂にはレギュラーまで獲得することになった。
二人には、それらに加えて美咲と同様にファッション誌からのオファーが後を絶たず、専属先が決まるのも時間の問題だろう。
そして同じく同性からの支持が根強い成瀬も、ファッション誌が放っておくとは思えない。こちらも遠からずだろうな。
籠守沢の演技の仕事も更に充実してきたし、その方面での知名度はまだまだとはいえ大館も小さいながらも実績を積み上げていっている。
今、我々のグループに追い風が吹いているのは自惚れでも勘違いでもなく事実だ。その結果が先日の記事の内容に繋がっているのだとしたら、あながち有り得ない話でもないことは否定できない。
それだけ今、我々は世間の話題の中心に居るのだから。
本当に凄いことだ。
あの素人の集まりだった引っ込み思案の子たちが、今やアイドル業界を、いや芸能界を、いやいや広く世の中を賑わせているっていうんだ。この成長譚を間近で見て心が踊らない人なんか居るのだろうか。
今、私は仕事の傍ら素晴らしい物語を見させてもらっている。しかも、まだまだ山場はこれからだ。親会社に戻る?それなりのポスト?そんなものと引き換えに出来るわけがない。
彼女たちが何かをやりきった。そう疑いなく思える日までは、しがみついてでも私はここに居させてもらう。
それは自分のなかでは既に決定事項だった。
「特に今年は年末にかけてお忙しいとは思いますが、そのうちに一杯行きましょう。また近いうちにご連絡させていただきますから!」
そう言い残して何度も頭を下げながら去っていく真中と別れ、私は自社のオフィスに戻って行った。
年末か・・・。
さて、と。何とも言えない高揚感を覚えるこの季節を、こうして忙しく過ごせる幸せを満喫させてもらうこととするか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます