第21話 吉報…?

 その日は世間では休日にあたる日だったが、陽が上がるような時間からイベントの準備で会場となる巨大な多目的ホールに入っていた俺は、作業の途中でポケットの中の電話が鳴っていることに気付きホールを出てそれをとった。


「もしもし、カシケン!?起きてた?」


 声の主は池山だ。


「起きてるも何も、世間の休日は俺らのかきいれ時だよ。どうした?」


 池山には先日、俺の方から相談事をさせてもらったし、その件で何かあったか。


「そっか、仕事中だね。ごめん、用件だけ手短に。今朝のスポーツ新聞の記事見たよ、凄いじゃん!これって前もって何か内々では言われてるの?それもあったから例の話も迷ってるってこと?それならそうと言ってくれれば、こっちの答え方も違ったのにさ」


 スポーツ新聞?記事?何のことだ。


「あーっと、ごめん。バタバタしていて情報がアップデートされてないわ。何が書いてあった?ウチのグループ全体のことか?それともメンバーの誰かのこと?」


 凄いって言われるくらいなんだから、悪いことではないのだろう。


「なんだ、見てないの?大晦日の国民的歌番組、初出場当確組のアーティストってとこに名前があがってるよ!まだ結成から二年と少しでしょ。快挙だって!」


 なっ、なに。そんな記事が出ているのか。それはテンションが上がるな。


「マジか!って本当か?自分の目で見ないと俄には信じられないけど・・・」


 池山を疑うわけではないが、すぐに信じられる話ではないのも事実だ。


「私が休みの日の朝っぱらから、わざわざ電話までしてアンタに嘘ついてどうすんのよ。そのうちインターネット上でも話題になるだろうから、目玉ひんむいてよく確認しておきな!それじゃあね、仕事頑張れ」


「おう、わざわざ朝からありがとな!また、そのうちに!」


 池山との電話を切り足早にホールに戻った俺だが、頭の中はさっきの話でいっぱいだった。


 大晦日か・・・。本当の話だとすれば、一つの、それも大きな目標を達成することになるのは間違いがないな。そこを目指して頑張ってたメンバーやスタッフも少なくないだろうし、世間の見る目も大きく変わるだろう。


 そうは言っても、とりあえず今はそれどころではない。これから何千人というお客さんを相手にするイベントが控えてるんだ。考えるのは終わってからにしよう。


 俺は一旦、その吉報らしきものを頭の隅の方にしまっておき再びホールに戻った。


 そして相変わらずの大盛況でイベントを終え、後片付けまで済ませて帰路についた俺は、ようやく落ち着いて今朝の池山の話を確認することが出来た。


 もちろんイベントの途中でもファンや一部のスタッフ、メンバーの間で、おそらくその件で騒いでいるのであろう、ざわつきが起こっていたことには気付いていた。それでも俺は、それらには見て見ぬふりをして一日を過ごしていった。


 立場的に俺が浮かれている様子を見せるわけにはいかない以上、知らないていでいるのが一番だ。内心では気になって気になって仕方がなかったのが正直なところではあったが・・・。


 あらためてザッと目を通した限り、それらの情報は池山が教えてくれた内容と相違がなかった。


 本当にウチのことが書かれているじゃないか。それも何組かに触れているなかでウチについては写真付きで紹介している。写ってるのはブレイクのきっかけになった春曲のフロントか。美咲に桐生、里見と。


 ひょっとしたら、今の勢いなら、その可能性があるかもしれないとは密かに思っていたが・・・。


 いや、冷静になれ。こんなの、この新聞が勝手に書いているだけで公式に何か発表があったわけではない。ここに出てきている「関係者」なんていうのも、実在するかも含めて怪しいものだ。


 事実でなかったとしても何の責任を取るわけでもないのに、こうして煽るだけ煽っていくんだから本当に無責任なものだ。実際に盛大な誤報を流すことも、少なくはない確率であるしな。まぁ、それが彼らの仕事だと言えばそれまでだが。


 何であれ、少なくとも俺をはじめとした身近なスタッフが浮かれていてはいけないのは間違いない。このまま暫くの間は知らないフリをしておこう。


 そうは言っても、すぐに騒ぎになってしまうのだろうな。きっと。


 それにしても・・・。いつの間にか、こんな記事が書かれるところまで来ていたか。


 長かったと言う気はない。スタートこそ試行錯誤の連続だったが、何なら早い方だろう。ただ仮に早かったとしても、それなり以上に苦労をしてきたのも事実だ。


 それが、こういった形で結実するのであれば素直にそれは祝福してあげたい。そして一緒に喜びたい。


 本当に出られるなら、それは大きな勲章になるし、一つ、ウチのグループが何かをやり遂げたという証しにもなるだろう。


 今、俺は何を感じてる。達成感や充実感か。それとも虚無感か。


 自分の胸に手を当てて問い掛けてみたが、すぐにそんな必要もないことに気付かされた。


 どちらでもない感情を俺は抱いている。


 大きな目標を達成すれば、どこかに辿り着ければ何かが得られると思っていたが、そんなことは全然なかった。


 もちろん虚しく感じることは全くない。それどころか熱量は更に上がっていく一方だ。


 俺の心は、この件を聴いた瞬間から既に次の目標に向かって動き出しているんだ。


 客観的に見れば一区切りついた、目に見える成果を挙げたのかもしれないが、そんな風に視ることのできる眼は今の俺には備わっていない。


 いつからかはわからないが、俺は麹町の一番のファンどころか支える人間でもなく、一人の当事者になっている。


 今まで見てきた他の多くのアーティストと違って、グループアイドルの世界は売れるか売れないかだけではない。ファンとの関係性やグループ内での立ち位置。他にも同業者との激しい競争や外部からの厳しい視線など、様々な出来事、境遇から、いくつもの複雑な感情が呼び起こされる。そして、それらをメンバーたちと共有してきた結果、俺はいつの間にかグループの一部になっていたんだ。


 どうりで自分でもよくわからなかったわけだ。これは考えることではないのだから。家族を家族と感じる理由、大事に思う理由を答えてみろと言われているようなものだ。


 今ならわかる。俺は麹町でもっと上を、更なる高みを、最高の景色を見たい。そう思っている。その他の選択肢なんてなかったんだ。初めから、とは言わない。だが、アイツらの本気と覚悟、たゆまぬ努力と献身的な姿勢。そして眩いばかりの光を放つ汗と涙。そんな強く、美しく、儚いものに何度も触れているうちに、気付いたら俺の人生はここにしかなくなっていたんだ。


 俺は電話を取った。


 この気持ちが揺らぐことがない以上、早く伝えるのが誠意だ。


「もしもし、古田さんですか」


「電話があると思ってたよ。この間の話の返事を聴かせてくれるんだろう」


 古田さんのことだ。この後、俺が言うことも含めてお見通しなんだろうな。


「はい。先日いただいたお話なんですが、俺、やっぱりお受けできないです。すみません」


 電話の向こうで古田さんが少し笑った。


「そう言うと思ったよ。何やら一つ、大きな目標に手が届きそうになっているみたいだが、それでキミが満足するわけなんてないしな」


「すみません・・・」


 今にして思えば、先日の時点でも結論は出せたはずだ。それなのに回答に時間を掛けてしまったのは、俺が自分で自分を理解できていなかった。それだけだ。


「なに、謝ることはないさ。むしろ、俺の方こそ先日の時点でもキミの気持ちはなんとなくわかってたのに、考えてみろなんて言って悪かったな。一応、これでもキミの将来にとって良かれと思って持っていった話だったものでね。つい、押し付けがましく持ち帰らせてしまったよ。申し訳ない」


 そんな、古田さんじゃなければ今回のような話を持ち掛けてくれることもなかっただろうし、俺はこの人には感謝しかない。


「本音を言えば残念だけどな。まぁ、フラれた俺にも優秀なスタッフたちが沢山ついているし、彼らと頑張ることにするよ。池山さんとかな。そういえば彼女には相談してみたのか」


 優秀という意味では、俺なんかいなくても古田さんが仕切るプロジェクトなら全く問題ないだろうし、まして池山までいるなら間違いないだろう。


「はい。電話で少し話しました」


「そうか。彼女にもキミの決断を伝えておけよ。同期は大事にするものだぞ。俺の電話が終わったらすぐにでも架けたらいい。じゃあ、また飲みに行こうな!」


 そう言って古田さんは電話を切った。本当に、本当にこの人は人格者だ。せっかくの魅力的な話を袖にした俺にも全く引け目を感じさせずに、最後までスッキリと今回の話を終わらせてくれた。


 やっぱり、この人はいつまで経っても俺の恩師だ。それだけはこれからも変わることはないだろう。


 俺は言われた通り、そのまま池山に電話をしてみることにした。


「お疲れ。今朝は悪かったね、忙しいところ」


「いや、俺の方こそ教えてくれて助かったよ」


 本当にそうだ。そのおかげで俺は自分の進むべき道を悟ることができたのだから。


「それで、どうした?」


「うん、実はな。この間、相談した件なんだけど、さっき古田さんに返事をしたんだ。俺、やっぱり今の仕事を続けることにしたよ」


 そう言うと一瞬、電話の向こうの池山のテンションが少し下がったような気がした。気のせいかもしれないが。


「それと、前に池山に訊かれた質問の答え、わかったよ。俺は・・・」


「今の仕事が心から楽しいし、やりがいがあるし、他のどんな仕事でも選べるって言われても今の仕事を選ぶ、でしょ」


 俺の大事な台詞を奪った池山が、そのまま話を続けた。


「なんとなく、そう言うと思ってた。そんなに一生懸命に取り組んでるアンタが、一つ何かを達成したからバイバイなんて、それこそカシケンらしくないし。アイドルの子たちも幸せね。こんなに惚れ込まれちゃって!」


 こらこら。その表現は捉え方によっては少しマズいだろう。


「おいおい、誤解を招くような言い方するなよ。俺はただ、アイツらにとっての夢や目標が自分のものにもなっていることに気付いて、それらを全て叶えるまでは自分の意志で今の仕事を離れることはできないって思っただけだよ。別にアイツらが好きだとか、そういうのが理由で動きたくないってわけじゃないんだからな」


「はいはい、わかりましたよ!何でもいいけど、古田さんや私をフってまでして選んだ道なんだから中途半端なことはしないでよね。やるんだったら、本当に一番のアイドルグループに成ってみせてよ。そうしないと納得できない人がいるってこと、忘れないように!」


 池山なりの激励の言葉は素直に嬉しかった。本当にそうだ。こうして陰ながら支援してくれている人たちに報いるためにも、俺は、俺たちは頑張らなくてはならない。


 しかし、古田さんについては本当に有り難い話を断ってしまったのだから理解できるが、俺っていつ池山のことをフったっけ。たまたま一緒に働くかもしれないという状況になって、それを辞退しただけで池山に対して何かってつもりは無かったんだけどな。


「わかってるよ。今回のことに限らず、世話になった人たちに日々感謝しながら頑張るっていうのは俺のモットーでもあるからな。でもさ、今回の件って池山に誘ってもらったってわけではないんだから、俺が古田さんだけではなく池山までフったってのはちょっと違うだろう。そんなつもりは毛頭無いし。池山には感謝してるよ。こんな唐突な相談に真剣にのってくれて。ありがとな」


 電話の向こうで池山が大きく一つ息を吐いた。何か呆れられるようなこと言ったか、俺。


「まぁ、そんなところもカシケンらしいか!とにかく、期待してるから。頑張ってね!また飲み会とかで会った時にでも色々と話を聴かせてよ」


「おう、任せておけ!楽しみにしておいてくれ」


 池山に威勢の良い返事をした俺は、電話を置いてあらためて今後のことに想いを巡らせた。


 これでいいんだよな。うん。これでいいんだ。


 俺の行く道をここにしかない。どこまでも突き進んでやるから、覚悟しておけよ。

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