第20話 天秤

「柏木くんか。久しぶりじゃないか、元気でやってるか?」


「古田さん、ご無沙汰してます!いつ帰っていらしたんですか?」


 ある日、珍しくデスクワークに没頭していた俺は懐かしい人からの電話に思わず声をあげてしまった。


「この九月からこっちの仕事になってね。しばらくはバタバタしていたんだが少し落ち着いたから、愛弟子の働きぶりを確認しようと思ってな」


 古田さんは俺がこの業界で働き始めてすぐにお世話になったかつての上司で、ここ数年は海外の関連会社に出向いていた人だ。


「古田さんが帰ってきていると知っていたらすぐに連絡しましたよ!近いうちに一杯どうですか?」


 新人だった頃はよく飲みに連れていってもらい、会社員としてのイロハから人生訓、はたまた趣味の話まで色々と聴かせてもらったものだ。上司と部下で飲みにいくのなんて面倒なだけと思う人もいるだろうが、古田さんに対してそう思ったことは一度もない。


 俺にとっての古田さんは師であり恩人であり、少し歳の離れた兄貴のような存在だ。


 さっそく日取りを調整して店を予約した俺は、何とも言えない高揚感を胸にタイムマシンに乗り込む。


「お疲れさまです!」


 この乾杯のグラスの位置一つをとっても、体育会系でも無かった俺は社会人に成り立ての頃に古田さんから教わったものだ。自分では全然そういうことを気にしないくせに、面倒な上司や先輩にあたった時に備えて色々な角度から俺を鍛えてくれた。今に至るまで、そのおかげで何度救われてきたことか。


「相変わらず下からくるな。今では後輩や部下もいるんだろ?そこまで低いとそいつらが困るだろうから、その分のスペースは空けてやれよ!」


 そんな俺に笑いながらも、自分の教えを頑なに守る姿を見て少し嬉しそうだ。


「ところで、今はナントカっていうアイドルグループの仕事をやってるんだって?あのロック大好き、どんな形でもいいからロックバンドに関わりたいって言ってた柏木くんがなぁ」


「古田さん。音楽のジャンルは変わっても、俺の夢は変わっていないですよ。一緒に日本一のアーティストに成って、世界に出て行く。一ミリもブレてないです」


 当然、今の仕事になってから古田さんに会うのは始めてだし、ロック一辺倒だった頃の俺はアイドルなんて微塵も興味がなかった。驚かれるのも無理はない。


「柏木くんらしいな、その熱量の高さは。そこはどんな仕事にも活きてくるし、それがキミらしさだと思うよ。ただ現実問題として、行きたくて行った部署でもないのだろう?」


 初めはたしかにそうだったが、それは今ではどうでもよくなっている。


「それは・・・」


 そう言おうとした俺の言葉を遮り、古田さんが話を続けた。


「何が言いたいかって言うと、だ。今度、俺が任されるプロジェクトがあるんだが、そのスタッフにまだ空きがある。よかったら手を挙げてみないか?ロックバンドなんかとも絡みがあるし、キミのやりたかったことに近いんじゃないかと思ってな」


 古田さんの提案は寝耳に水だった。しかし、その内容は俺にとって魅力的な話であるのは間違いがない。


 俺がこの業界に入ったのはロックに関わる仕事をしたかったからだし、恩師と慕う古田さんが仕切るプロジェクトに参加できるというのも願ってもない話だ。だが、しかし・・・。


「今の職場や上司に筋を通さなければと思うだろうが、人生は一度きりだぞ。キミのそういうところは長所だと思うけど、後悔しないようによく考えた方がいい。何だったら俺の方から今のキミの上司と掛け合っても構わないぞ」


 そこまで言ってもらえるのは有り難いし、俺のなかで本気で迷うものがあるのは正直なところだ。でも・・・。


「仮にお世話になるとしても、そこは自分の口から、自分の意思で選んだと言うので大丈夫です。ただ上司や職場もそうなんですが、それ以上に・・・」


 言葉に詰まると、古田さんの方が続きを言った。


「アイドルたちの方が気になるか?」


 気になると言われると語弊があるように思うが、まだ何も彼女たちと成し遂げていないのは事実だ。この状況で俺がグループを去るのは、無責任と言うか中途半端と言うか・・・。上手く言えないが、何か引っ掛かるものがある。


「まだ何も無いんですよ、今のウチのグループには。ミリオンセールスも達成したことがないし、何かの賞を取ったこともないんです。大晦日の国民的歌番組にだって出場したことがないですし・・・」


 古田さんが驚いたような顔をした。


「おいおい、そんなレベルの目標を掲げてたのか。そんなのトップアーティストでも一握りしか達していない領域だし、それをアイドルグループで達成しようだなんて。目指すのは自由だが、そこに辿り着くまでは動かないなんて冷静な判断をしているとは思えないぞ」


 古田さんの言いたいことはよくわかる。俺も以前なら同じことを言っただろう。


「今だって、アイドルのなかでは売れてる方だって聞いたぞ。メインの子もテレビで見掛けたし。それなりにやり遂げたんじゃないのか」


 それなりに、か。それでいいなら、そうかもしれない。


 でも、今の俺はそれでいいとは思っていない。彼女たちと一緒に活動して、その才能に触れ、努力を見て。もっと上を目指せることに確信を持ってしまったんだ。


「古田さん。あまりウチのグループやアイドルのことをご存じでない古田さんにご理解いただくのが難しいのは重々承知していますが、麹町A9は『それなり』で終わるグループではないですよ」


 わかってもらえなくてもいい。俺が本気であることが伝わればいいんだ。


「さっき仰ったメンバー、由良美咲のことだと思いますが、彼女はそう遠くない時期に、業界の勢力図を一変させる存在にだって成り得ると思ってるんです。それに他にも桐生藍子や里見葵、成瀬結菜というようなスター候補が何人も居ますし。近い将来、ウチのグループのメンバーたちが同時に様々な分野のトップクラスで活躍するのも、決して夢ではないと思ってます」


 俺の熱弁に古田さんは黙って耳を傾けてくれている。


「アイツらと一緒に活動しているなかで、いつの間にか俺もそんな大きな夢を追いかけているというか・・・。そうですね。今となっては、俺はアイツらの一番のファンなのかもしれません」


 少し間を空けて、古田さんが小さく呟いた。


「なるほどな。すっかりココの奥の方をやられちまってるんだ、そのアイドルたちに」


 親指で自分の胸を指しながら古田さんが言った言葉に、俺はナンとも言えない恥ずかしさを覚えた。


「やっ、やめてくださいよ!漫画や小説に出てくる熱血キャラクターじゃないんですから。めちゃくちゃ恥ずかしいじゃないですか!」


 照れる俺を見て古田さんは楽しそうだ。いつまで経っても俺は、この人の掌の上なんだろうな。


「まぁ、もちろん無理強いはしないし、返事も今じゃなくていい。冷静に先のことまで考えてみたうえで、後悔しないような結論を出して連絡をくれよ」


「はい、すみません。ありがとうございます」


 俺の気持ちが一過性のものなのか、本気で人生を懸けたいと思ってるのか。後から考えた時に、どっちが後悔をしない選択か。しっかり何日か考えて返事をしよう。


 そうすることが、どういう結論になったとしても俺を気にかけてくれた古田さんに筋を通すことに繋がるはずだ。


「あっ、そうそう。この話を俺から直接したのは柏木くんが初めてだけど、社命で今回のプロジェクトに配属されるメンバーのなかにはキミの同期が居るよ」


 同期って、誰だ。


「池山さんって知ってるだろ。彼女は今の部署が長かったから、上司もどこか良いところがあればって考えてあげていたみたいでな。評価は高かったらしいが本人のために是非ってことで決まったんだ。まだ公になっていない話だから取り扱いには注意してもらいたいけど、これも判断材料の一つになるかもしれないしな。まぁ、話せる仲なら一度相談してみたらどうだ」


 池山か。たしかにアイツなら戦力になるだろうし、新しいプロジェクトを進めていくような仕事には適任だ。社命となれば断る理由はないし、そういう意味では羨ましいな。


「よし、この話はここまでだ。飲もう!今日は久々にベロンベロンになるぞ!」


 その後、昔のように古田さんと夜更けまで飲んでフラフラになりながらも帰宅した俺は、相当量のアルコールを接種したにも関わらず家に着いてからもなかなか眠くはならなかった。


 理由はわかってる。


 今、両手に持たされているものが酔っているせいもあるのか、どちらがより重いのかわからなくなってしまっているからだ。


 どう考えればいいか。その取っ掛かりにも悩んだ俺は、もう二十四時を三十分近くも回っていることには気づいていたが酔いに任せて池山に電話をしてみた。


「はい」


 意外にすぐに出たな。まだ起きていたか。


「池山か?遅くに悪いな。ちょっといいか」


「いいけど、今、何時だと思ってるのよ。たまたま起きてたからよかったけど、普段なら寝てる時間なんだからね」


 相変わらず俺への当たりはややキツめだな。まぁ、怒っているという感じではないし、そんなところも池山らしいと言えばらしいのだが。


 これ以上は機嫌を損ねまいと思った俺は、さっそく古田さんからその場限りの話として池山の異動を聞いたことを伝え、続けて自分にも声を掛けてもらえたことを打ち明けた。


 池山は少し驚いたみたいだったが古田さんと俺の関係を知っているからか、その割にはすぐに状況を把握して相談話に付き合ってくれた。


「池山は、今の部署から移ることに迷いはなかったのか」


「ないわけないじゃない。これでも、けっこう色々と任されてたんだから。だけど自分がもっと前に進める、もっと上を目指せるチャンスってそうそうないから。上司もカシケンからよく話を聞いていた古田さんだっていうしね」


 もっと前に、上に、か。そうだよな。それに、また古田さんと働けるなんて、池山が感じる以上に俺にとっては魅力的なことだ。


「あんたさ、いつか飲んだ時に言ってたこと覚えてる?あの話に結論を出す時期が来てるってことなんじゃないの」


 俺がどうしたいかってヤツか。あの時と比べれば、色々な状況が劇的に変わってきているし、たしかに今なら何か答えが出る。いや出さなければならないか。そういうことなのかもしれないな。


「そうだな。それも含めて、よく考えてみるよ。また決まったら連絡させてもらうわ。今日は悪かったな、遅くに」


 ホントに、酔っ払いの戯言に付き合わせて悪かったと思う。


「私はいいんだけどさ。まぁ、じっくり考えてみなよ。ちなみに私は古田さんが上司で、同僚にカシケンみたいな熱いヤツが居たら面白くなるんじゃないかって。さっき一緒に働いてるところを想像して、そんな風に思ったよ!とにかく自分が納得いくように、よく考えてみな。それじゃあ、おやすみ!」


「おう、ありがとな。おやすみ!」


 池山と話して、自分のなかで考えなくてはならないことが少し整理できてきた気がする。


 そのおかげもあって俺は、やっとのことで睡魔に襲われることができた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る