第12話 こんな俺で、ごめん

  * * * *



『ようやく、小川さんよりも未涼のことを好きになっている自分に気づいた』


 そう、たしかに木内くんは告げた。

 私のことを、好きだと。


「自覚してからは、毎日が天国で地獄だった。未涼と会うたび心は満たされるのに、この幸せはいつまで続くんだろうって、常に終わりを意識していた。……全部、自業自得だから、馬鹿みたいな話だけど」


 はっ、という短い吐息は、きっと自嘲の笑みだろう。

 そのかすかな音だけで、胸がぎゅうっと締めつけられた。

 彼が今まで一人で抱え込んでいた想いがどれだけのものか、伝わってくるような気がしたから。


「小川さんへの気持ちは誰にも、圭介にも言ってなかったから、秘密にしていればバレないとわかってた。でも……他でもない俺自身が、苦しくて」


 ぽつ、と膝の上で組まれた手の上に雫が落ちる。


「ずっと、断罪してほしかったんだ……」


 涙混じりの上擦った声。堅く握りしめられた手は小刻みに震えている。

 細身とはいえ、男のひとなのに、今はその肩がとても小さく頼りなく見えた。

 それは、これまで木内くんがひた隠しにしてきた彼の弱さ。

 優しいだけの木内くんではなくて。

 臆病で、利己的で、自分でもままならない感情に振り回され続けている、等身大の木内涼くん。

 いとおしい、と心の底から思った。


「今まで、気づけなくてごめんね。一人で抱えさせちゃって、ごめん」

「……なんで、未涼が謝るの」


 私の言葉に顔を上げた木内くんは、呆然とした様子で呟く。

 そんな彼に笑いかけて、頬を伝う涙をそうっと拭ってあげる。


「私、木内くんの彼女なのに、ずっと何も知らなくて、守られてただけだった。私ばっかり幸せで、木内くん一人に重たいものを背負わせてた」

「それは、俺が勝手に……っ」

「うん、木内くんも、もっと私を信じてくれてもよかったと思う。でも、私がもっとしっかりしてたら、木内くんも安心して寄りかかれたと思う。どちらか片方のせいにはしたくないの。お付き合い、してるんだから」


 相手の気持ちを勝手に決めつけて、殻に閉じこもっていたのは私も同じこと。

 私たちは今まで、一人と一人のまま恋をしていた。

 見えないものはないことにした。見えているものからも目をそらしていた。そうしてずっと、自分をごまかし続けていた。

 でも、もしこれから・・・・があるなら。

 今度は、間違えずに向かい合えるような気がする。


「……俺を、許すの?」


 木内くんは、なぜか絶望しているかのように顔を歪ませる。

 許されないことが苦しいのに、許されたところでやっぱり苦しい。

 彼の抱える矛盾を、丸ごと包み込んで受け入れられる私でありたいと思った。


「許すとか許さないとかじゃないよ。木内くんはただ好きな人がいただけで。好きな人がいても私のことも大事にしてくれた木内くんを、私は好きになっただけ」


 木内くんは最初から、いつだって私に優しかった。

 そこに特別な感情がなかったとしても、私の好きになった彼の優しさが偽物だったわけじゃない。

 隠し事があった事実は悲しいけれど、そんな彼のずるさをさらけ出してくれたことに喜びを感じてしまう私は、もうどうあっても彼を嫌いになることなんてできないんだろう。

 先に好きになったほうが負け、なんてよく聞く話だ。

 隠し事がなくなってなお一緒にいてもらえるなら、むしろ私の勝ちとも言える。


「だから、もう自分を傷つけるのはやめて。つらいのとか苦しいのとか、私にも話して、半分持たせてほしいの」


 震える木内くんの手を取って、ありのままの気持ちを告げた。

 せっかく一緒にいるのに心はひとりぼっちだなんて寂しすぎる。

 たくさん苦しんだ分、たくさん苦しめた分、今度こそ二人で恋をしたい。


「……未涼は、やさしすぎる」

「木内くんとこれからも一緒にいたいからだよ」

「そんなの、俺のほうが、ずっと……」


 ずっと。

 その先に続く言葉は、きっともう今の私なら間違えない。

 願望でも、自惚れでもなくて。

 震える手から、掠れた声から、頬を伝う涙から、木内くんの想いを感じるから。


「まだ夜はちょっと寒いし、私の家であったかい紅茶飲もう? 木内くんのくれた、おそろいのマグカップで」


 少しでも木内くんを元気づけたくて、勇気を出して家に誘ってみた。

 放置されたポットとお茶漬けを見られるのは少し恥ずかしいけれど、木内くんなら笑わないでいてくれる気がする。

 ハーブティーはずいぶんと濃くなってしまっているだろうから、もったいないけれど淹れ直そう。

 安心したらお腹もすいてきたから、軽く食べられるものを二人分作って。

 ああ、身体をあたためるためにお風呂にもゆっくり入ってもらおう。


「マグカップ……」

「うん、私のお気に入りの」


 ぼんやりとオウム返しにする木内くんに、笑顔で応える。

 新品みたいにきれいだという指摘に気恥ずかしい思いをしたのはつい最近のことだ。

 二人でお揃いのマグカップを選んだ日、きっとまだ木内くんは私のことを好きになってくれてはいなかっただろう。

 それでも、あのとき私がどれだけうれしそうにしていたか、少しくらいは記憶に残っているかもしれない。


 なんてことない小さな思い出が、木内くんの中に積み重なっていてくれたなら。

 そのひとつひとつが、彼の心を私へと向けてくれたなら。

 長いすれ違いにも意味はあったのだと、信じてもいいだろうか。


「……未涼は、ものを大事にするから、」


 弱々しい声は、吐息のようでいて、悲鳴のようでもあった。


「俺と別れたあとでも、使ってくれるかもしれない、って。願掛けみたいな……呪い、みたいな。そんな気持ちで、色々、贈ってた」


 まるで神様に捧げる懺悔のように、木内くんは思いも寄らなかった真意を語る。

 なるほど、と私は妙に納得してしまう。

 ものを大事にすると言えば聞こえはいいけれど、つまりは単なる貧乏性だ。

 加えて、さっきまでの沈みようを考えると、万が一別れたとしても未練がましく取っておいたことだろう。


 お揃いのマグカップは毎日のように使っている。

 朝食はいつも、トーストとヨーグルトで軽く済ませて。

 好きな映画のパンフレットは定期的に読んで、そのまま思い立ってDVDを借りに行ったりもする。

 恐竜のクッションはお気に入りで、抱きしめてごろごろしたり、一緒に寝ることだってある。

 木内くんから贈られたものは、どれも私の生活に深く根づいていた。

 それはともすれば、お出かけするときしか出番のないアクセサリーよりも、ずっと強い執着心を感じた。


「知らなかった。木内くんって、実はすごく不器用だったんだね」


 思わず、私はふふっと声に出して笑ってしまった。

 出会ったときからずっと、木内くんは器用だと思い込んでいた。

 もちろん、手先の器用さと性格はまったく別だとわかってはいるけれど。

 取れかけのボタンはあっという間につけてしまうのに、かけ違えたボタンを直すのには何年もかかってしまう人だったなんて。

 そんな彼もいとしいと思うのは、やっぱり惚れた弱みというものなんだろう。


「ごめん……こんな俺で、ごめん」


 木内くんは縋るように私を抱きしめた。

 その謝罪は、彼なりの愛の告白なのかもしれない。

 これからも一緒にいることを、自分に許したということだから。

 こんなも何も、そんな木内くんだから好きなんだと言ったはずなのに。しょうがない人だなぁとそっと苦笑する。

 木内くんが理解するまで、繰り返し、聞き飽きるほど伝えていこう。

 広い背中に手を回しながら、しあわせな未来に心をはせる。


「……指輪を、贈ったら」


 つけてくれる? と。

 小さな小さな、涙混じりの声で木内くんが言うものだから。


「すごく悩むかもしれないけど、一緒に選んでね」


 満ち足りた気持ちでそう告げると、私を抱きしめる力がぎゅうっと強まった。




 そうしてまた、私の宝物は増えていくのだ。

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きっと君は後悔するよ 五十鈴スミレ @itukimi

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