第10話 妄想・殺しの序曲

 今回も番外編的位置づけになります。

 特定の一作品、刑事コロンボシリーズから「殺しの序曲」にしぼって取り上げてみます。必然的に同作のネタばらしになる記述が出てきますので、未見の方はご注意ください。

 それから、最後の付け足し部分で、同じくコロンボシリーズ「構想の死角」の内容にちょっと触れています。一応、ご注意をお願いします。



 「殺しの序曲」の内容を簡潔に言い表すとしたら、天才の犯罪、となるでしょう。

 これに対してコロンボも実は天才だということが分かり(視聴者はだいたい知っていましたが)、天才同士の対決、天才ならではの悩みといったところがテーマになるかと。

 本作のトリックは、以前にも言及した通りメカニカルで、他のコロンボ作品に比べて異彩を放っていると言えます。現代の日本で言うならピタゴラスイッチに近いものがありますが、とにかく映像として印象に残る。

 その凝った仕掛け故に、そのままだと現場に痕跡がまるまる残ってしまうのが最大の難点ですが、犯人自身が第一発見者の一人として現場に入り、仕掛けの一部を回収することで解消していました。


 私が「殺しの序曲」を最初に観たとき、この回収する場面(物語が始まってから12分50秒~辺り)でちょっとした誤解をしました。

 第一発見者として現場に入った人達の一人、家政婦さんみたいな赤毛の女性が、回収されるワイヤーの動きに気付いたように思ったんですね。

 家政婦(ということにしておきます)の視線の向きはちょっとずれてるんですけど、ワイヤーは絨毯の下を通っていたみたいですから、思いも寄らぬ離れた場所で絨毯がぴくりと動いたかもしれない。

 誤解したもう一つの原因は、カメラワーク。犯人がワイヤーを引いてリールに巻き付けた場面の直後に、被害者を診る男性とその様子をやや離れた場所から窺う家政婦という構図に切り替わりますが、その切り替わってすぐ、カメラが若干ですが家政婦寄りに焦点を移す感じがあります。これを、「家政婦の動きに注意してね」という制作側からのサインだと私は受け取ったんですね。

 そこから、このあとの展開を想像しました。



 犯行の詳細が明らかになってきて、家政婦は現場で犯人が奇妙な振る舞いをしていたことを思い出す。もしかするとあれはアリバイトリックか何かの仕掛けを回収していたのでないだろうかと当たりを付ける。金銭的に困っていた家政婦は犯人に接触し、警察への目撃証言をいつでもできるとちらつかせつつ、口止め料を要求。犯人は要求を飲むふりをして、第二の殺人を考え始めた。

 ほどなくして、天才らしい、奇抜なトリックを案出。支払いの場で家政婦を殺害する。



 ……という風な具合に。犯人が目撃者から脅されて、結果、第二の殺人を犯すパターンはコロンボシリーズでも何度か描かれており、ある種の定番と言えますから。

 ご存じの通り、実際にはそんな展開にはならずに終わります。勝手に誤解していた私は悔しくて、紛らわしい描写はたまたまか、視聴者を引っ掛ける意図があったか、あるいは元々は家政婦が目撃する予定だったがシナリオが変更になったのか……などと苦し紛れに考えたこともありましたが、まあ「たまたま」だったと見なすのが妥当でしょう(苦笑)。


 ではもし、誤解した通りの展開をさせるとしたら、犯人はどんなやり方で家政婦を始末するのがふさわしいか。

 現実味にこだわるのであれば、事故死に偽装するか、最初の殺人とは無関係の犯罪に見せかける、あるいは逆に、最初の殺人の犯人とされる強盗が家政婦も殺した、このいずれかじゃないかなと思ったのですが……真犯人のキャラクターを考慮すると、自らの天才ぶりをどこかに滲ませないと気が済まないのではないか。

 そう考えると、単純に事故死に見せかけて殺すといったような手段は執らず、凝ったトリックを組み込んでくるだろう。しかもコロンボの存在を意識し始めた犯人は、よりコロンボを試すようなトリックを準備するかもしれない。

 上から目線で相手を試すとき、どうするのが一番効果的に相手を悔しがらせることができるか。それは相手の目の前にヒントをちらつかせておき、あとになって「あれに気付いていればもっと早く解決できていたのに!」と思わせるのがベストだろう。

 この考えに基づくと、「殺しの序曲」で印象に残るアイテムといえば、傘かアイスクリームではないでしょうか。どちらも、犯人とコロンボが二人でやり取りしているときに登場している。

 この内、傘は元々トリックに使われている。同じアイテムを繰り返し使うのも悪くはない。傘のトリックと言えば、島田荘司の初期作品にシンプルで優れたものがあります。あの、傘が開く動作を応用すれば別の機械的トリックができそう。

 一方で、傘を立て続けにトリックに組み込むのは、犯人にとって露見する恐れが高まるかもしれない。犯人が上から目線をほどほどに我慢して、第二の殺人のトリックには傘を使わないとしたら、アイスクリームを使うことになる。

 アイスクリームのトリック……付属するドライアイスを用いるのはさすがに陳腐だろうから、ここはぜひともアイスクリームそのものを使いたい。たとえばアイスクリームの溶け具合を細工して、被害者の死亡推定時刻を誤認させるとか。……天才っぽくはないかな(汗)。


 とまあ、ある誤解(小説だと誤読ですね)から枝道に逸れたストーリーをひねり出すことが、たまにあります。皆さんにもきっとあることと思います。推理物の小説を書くようになってからは、人様の作品を読んでも推理は外れていた方が、自作に使える!となるから嬉しかったり(笑)。



 えー、倒叙推理作品を取り上げつつも、倒叙推理そのものとは関係の薄い話に終始したので、最後に付け足し。

 佐野洋の『推理日記』(光文社文庫他)の何巻だったかは覚えていないのですが、作家によって作品を読むときも着目する点が違う、という話が出ていました。

 記憶がおぼろげですが、ある推理小説について、作家Aは犯人の動きがおかしい(家の者がいつ帰ってくるか分からないのに侵入して細工している)と指摘し、作家Bは被害者の動きがおかしい(愛飲する銘柄の煙草が切れたからといって、あるかどうか分からない遠方まで足を伸ばしている)と指摘していたと思います。

 このように両面から検討するのって、推理物を読むときだけでなく書くときにも大事だと思います。特に、倒叙推理では気を付けねばならないのではないかと。

 何故なら、倒叙推理はそのスタイルから、犯行そのものを描写する場合が多く、そうなると当然、被害者及び犯人の動きを描写することになります。

 オーソドックスな推理物であれば、犯行シーンを省くのはよくあることなので、倒叙推理ほどには被害者及び犯人の動きに神経を行き渡らせなくても、何とかなる側面がある。※手を抜いてよいという意味ではありません。

 そういう観点から見ると、たとえばコロンボ第三作「構想の死角」における犯人の行動は、いささか大胆に過ぎるのではと言いたくなるかも。車のトランクに死体を積み、三時間かけて被害者宅に駆け付けるって、まともに考えたら途中で警察などに呼び止められる可能性がそれなりにありそう。計画段階でこれはだめだと躊躇するのが普通ではないかと。突発的な犯行ならともかく、推理作家が考えた計画殺人ですからね。

 ただ、米国では車の三時間ドライブぐらい長距離じゃないよ、みたいな意識が当然のようにあるとしたら、私の指摘は的外れかもしれません。


 それでは。


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倒叙推理の書き方を考えてみる 小石原淳 @koIshiara-Jun

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