ある作家の死

ツジセイゴウ

第1話 ある作家の死(短編)

 ある一人の作家が死んだ。名もない初老の人であった。「作家」とはいえ、ついぞその作品すら読んだこともない。それでもその人は、ここに居合わせた多くの人に多大な影響を与え、そしてここを去って逝った。その人の名を仮に「K」としておこう。

 半年前、Kはここにやって来た。歳は六十過ぎか、頭には半分程白いものが混じり、少し皺のある顔は微かに笑みがみえた。いつもと変わらぬ入所の風景であった。人が入ってくる度に誰もが自らの寿命に思いを馳せた。自分はこの人に見送られるのか、それとも見送る方になるのかと。

 翌日、私たちは聞き慣れぬ音を耳にした。カタカタ、トン、カタカタ、トン。仕切られたカーテンの向こうからその音は聞こえて来た。静かな病室の中では、その音は殊更に大きく聞こえた。

「へえー、ワープロですか。」

 誰からともなくKに声を掛けた。

「ええ、ものを書くのが仕事なもので。」

「じゃあ、ひょっとして作家とか。」

 向かいのベッドにいた幸子が興味津々の顔で尋ね返した。

「いえいえ、そんな大したものではありません。ただ…。」

「ねえねえ、皆、聞いて、聞いて。こちら作家先生だそうよ。」

 幸子は、よく確かめもしないで、勝手にKを作家先生に仕立て上げてしまった。Kは困ったとばかりに頭の後ろに手をやった。ただ部屋の中の一同は、この珍客の登場を一様に歓迎した。有名でも無名でもいい、作家先生と相部屋になった。少なくとも暗く鬱屈したこの部屋に、Kは一条の光を差し込んだ。

 Kが来て一週間後、信彦が個室に移された。個室に移されるということがどういうことか、ここにいる誰もが判っていた。入所して4ヶ月、他人より少し早い旅立ちであった。部屋の全員が替わる、替わる信彦の手を握り締めて永遠の別れを惜しんだ。 2日後、私たちのもとに信彦の死が知らされた。最期の夜は恐らく残された妻子と静かに過ごしたのであろう。信彦は苦しまずに逝ったのであろうか。部屋の中の全員が仲間の死にそれぞれの思いを馳せた。

 その日の夕刻、信彦のためにささやかなミサが開かれた。

「兄弟は神のご意志により生を受け、そして今また神のもとに召されました。兄弟の御霊が神の下で安らかに眠らんことを祈ります。アーメン。」

 神父の声に合わせるように参列者が一斉に唱和する。モノトーンな神父の声が一層場の侘しさを増した。

 ミサを終え、参列者は沈痛な面持ちでそれぞれの部屋に戻った。私たちの部屋の誰もが口を閉ざし、悲しみを新たにした。そんな部屋の中の鬱屈した空気を最初に破ったのはKであった。

「皆さん、皆さんは『命』の意味を考えたことがありますか。何故この世に命あるものが存在する必要があるのか。こんな辛い思いをするくらいなら、いっそ生まれてこなければよかったと思ったことはありませんか。」

 Kは私たちに唐突に質問を投げかけた。Kの突然の難しい問い掛けに残された全員が一様に小首を傾げた。Kは一体何を言おうとしているのであろうか。

「先生、それは神の思し召しだからです。私たちは神の思し召しによりこの世に生を受け、そしてまた今神のもとに召されようとしています。そうではありませんか。」

 幸子が即答した。私もその通りだと思った。少なくともミサでは、神父様からいつもそのように聞かされてきた。全知全能の神により私たちは生を受け、また死を与えられる。そうではなかったか。しかし、Kは許してはくれなかった。

「あなた方は本当にそのように思いますか。自分の気持ちに偽りはありませんか。自らがコントロール出来ないことを勝手に神の所為にしているだけではありませんか。」

 改めて問い掛けられて私たちは答えに窮した。私たちに与えられた最期の時を静かに神に祈りながら毎日を過ごしてきた私たちにとって、Kの一言は俄かには受け容れられなかった。

「皆さん、いいですか、この世に意味のないものなど存在しません。皆さん、いえ皆さんだけではありません、この世に生きる全ての命あるものは意味があるからこそ存在しているのです。」

 Kは自信に満ちた言葉でそう言い切った。私たち全員は、Kの言葉に大きな衝撃を受けた。私たちの生と死にそれほどまでに重大な意味があるというのか。しかし、この後半年の間、私たちはKの不思議な講義を耳にすることになった。

「この世に存在するものは全て原子から出来ています。水、土、草や木、皆さんの周りにあるものは全て原子から出来ています。私たちの体も元を辿れば、水素や酸素や炭素といった原子の集まりでしかありません。このくらいのことは皆さんも高校の化学の時間に勉強されたでしょう。」

 Kはまるで授業中の学生に語り掛けるように話を始めた。私は何十年か前に、高校の化学の時間に勉強したことを思い出していた。よくは覚えていなかったが、顕微鏡でも見ることの出来ないミクロの世界に思いを馳せた記憶が、今漠然と蘇った。しかし、Kはこんな話をすることで一体私たちに何を語ろうとしているのか。

「ところがこの原子というやつは、そのままでは極めて不安定な存在なのです。放っておくとどんどん姿形を変えてこの宇宙の秩序を脅かそうとします。そして、やがてはこの宇宙自体をも崩壊させるほどに秩序の乱れは増大してゆきます(物理学の専門用語で『エントロピーの増大』とも言います。生命はエントロピーの増大を下げると言われています)。ところが今から数十億年前、この不安定な存在を安定な存在に変える物質がこの世に現れ出ました。それが有機化合物なのです。」

「ゆ、有機化合物…ですか?」

 私は聞き返しながらも、場の一同が強い好奇心を持ってこの難しい話に聞き入っていることに気付いた。こんな真剣な表情をしている皆を見るのは初めてであった。Kは、聞き手が理解しているかどうか確かめるように、一人一人の顔を見ながら話を続ける。

「そう、有機化合物です。別名高分子化合物、生命の基礎を成している物質です。有機化合物は何百何千という原子が強固に結びついて出来た極めて安定的な物質です。その中に組み込まれた水素原子や酸素原子は崩壊することなく安定的に存在し続けます。

 そして、一旦生まれ出た有機化合物は、その後もどんどん結合を続け、巨大化していろいろなたん白質を合成していきます。そのたん白質を元にして生命が造り出されたのです。全知全能の神が一夜にして造り上げたのではありません。何十億年という途方もなく長い時間をかけて生命は造られてきたのです。最初はバクテリアのようなごく小さい生き物でした。それが長い、長い年月をかけて進化し、今日の私たちのような複雑な組織を持つ生命を造り上げたのです。

 人の体は約六十兆個もの細胞から出来ています。その一個一個の細胞がこれまた何兆という有機化合物より造られています。それぞれの細胞は日夜活動を続け、人が生き続ける限り有機化合物を合成し続けます。」

 居合わせた一同の口から長いため息の声が漏れた。Kは、生命が宇宙の秩序を守るために造られた有機化合物の塊だというのである。宇宙は、放っておくとドンドン無秩序が拡大、しやがては自壊してしまう。生命はそれを防ぐためにこの世に現れ出たというのである。生命の出現は偶然でも、神の手によるものでもない、全て仕組まれた必然の産物だというのである。

 Kの話の内容は難解であった。しかし科学的で説得性があった。少なくともいつも聞かされている漠たるお説教とは違った斬新さがあった。

「皆さんは、生まれながらにして命の大切さを教えられたでしょう。無用の殺生をしてはならないと。でも、どうして命が大切なのか、何故生きているものを殺してはいけないのか、その理由を教えられたことはありますか。納得のゆく合理的な理由です。」

 Kの新たな問い掛けに、再び全員が答えに窮した。命が大切なものである。そんなことは言われずとも当たり前ではないか。そう言おうとした私は、しかしついに発声することが出来なかった。部屋の中にピンと張り詰めた空気が私たちを制した。答えが出てこないことを見極めたKは、徐に自らその答えを述べた。

「生命が宇宙の秩序を守るために存在するからです。生あるものの命を絶つことは、宇宙の秩序を乱すことに繋がるからです。ご存知のように、全ての生命は貪欲なまでに子孫を残そうとします。何故だと思いますか。苦しい思いをしてお産をし、そして生まれ出た子供は自らの命を張ってでも守ります。何故だと思いますか。何故自分に損になるような、そんなことをするのでしょうか。自分だけ楽をして、たらふく食べたいものを食べればいいじゃないですか。でも犬畜生ですら自らの子供にエサを分け与えます。言われもしないのに。何故でしょうか。」

 Kは矢継ぎ早に質問した。当たり前のようなことばかりであるが、改めて理由を聞かれると答えに困ってしまう。しかし、今の私たちにはその答えがおぼろげながら見えてきた。宇宙の秩序を守るために全てが仕組まれている。この宇宙に生命が満ち溢れる限り、宇宙の秩序が保たれる。それであれば、生命が貪欲なまでに増殖しようとする理由も、生命が自分よりも子孫残すことを優先する理由も説明がつく。年長の自分よりも、若い子孫の方が確実に多産だからである。全てが生命を極大化するために仕組まれている。

 Kは今、私たちの目の前で何故命が大切なのかを論理明快に説明した。今私たちがここでこのようにして生き長らえていることには、そのように深遠な意味があったのだ。命が尊いということはそういうことだったのだ。私たちは目から鱗が落ちる思いであった。

「先生、先生は随分と難しいお話をされますね。作家というのは嘘で、実際は大学の先生か何かじゃないんですか。」

 私は、Kの眼球の奥底を探るように尋ねた。傍らで皆も同調して頷いて見せた。

「いえ、私はただの凡人ですよ。ただ、遠い昔、科学雑誌を読むのが好きで、いろいろなのを片っ端から読んでいました。ですから皆さんよりは多少科学の知識はあるかもしれません。その頃からです。この世にある全ての事物には必ず何か意味があると思うようになりました。この世に意味のないものなど存在しないと。ただ、それだけのことです。」

 Kは謙遜した。少なくとも私の目にはそれが謙遜であると映った。


 それから一月後、幸子が他界した。享年40歳、末期の胃がんで入院し5ヶ月目のことであった。その日の夜、三郎がKに質問した。三郎は殊更に幸子の死を悲しんだ。部屋の全員がその理由をよく知っていた。人を愛する気持ちに歳は関係ない。

「先生、先生は以前、この世に命あるものは宇宙の秩序を守るために造られた、故にとても大切なものだとおっしゃいました。じゃあ、何故『死』というものがあるんですか。死は命あるものを破壊するものです。先生がおっしゃったことと矛盾していませんか。」

 私は、なるほどと思った。仮に生命が宇宙の秩序を守るためのものであるとしたら、何故全ての生命に等しく死が与えられるのか。最初から生命を不死なものにしておけば、宇宙の秩序は永遠に守られる。今私たちが抱えている苦しみも悲しみもなくなる。三郎の言うとおり、これは大きな矛盾ではないか。

 Kは、三郎の質問にはすぐに答えずしばらく黙っていた。黙って目を閉じて沈思黙考にふけりはじめた。皆、息を殺してKの次の言葉を待った。しかし、何分待っても答えがない。もうこのまま答えがもらえないのではと思ったその時、Kの唇が微かに動いた。

「死は生命を守るためにあるのです。」

 私たちは、不思議な言葉を耳にした。死は生命を破壊するものではないのか。死が生命を守るためにあるとは一体どういうことなのか。答えに窮したため、いい加減なことを口走ったのではないかと。

「皆さん、皆さんは命が自分だけのものだと思っていませんか。確かにそうです、私の命は私だけに授けられたもの、そしてあなたの命はあなたにだけ授けられたものです。でも、実は私たちの命は私たちだけのものではないのです。」

 私はまたしても難しい禅問答を仕掛けられたと思った。Kはこの後何を話そうというのであろうか。

「全ての命あるものは、ゲノムを受け渡しすることによって新たな命を育みます。ゲノムは生命の設計図です。このゲノムに基づいて私たちの体は造られていくのです。家を建てるのと同じです。まず設計図があり、そして材料が揃えられ、それを加工することによって家が建つのです。それと同じことです。私たちの体を形造っているゲノムは、私たちの親から受け継がれ、そしてまた子供へと受け継がれていきます。そうやって新たな命を形成していくのです。」

 つい先日ヒトゲノムが全て解読されたという新聞記事を読んだ。ゲノムに書き込まれた遺伝情報に従って、何百兆というタンパク質が順序よく組み立てられて生命が形造られていく。心臓も、骨も、手も、皮膚も、私の体の全てがゲノムに書かれた設計図に基づいて造られているというのである。でも、それがどうしたというのか。それと死とどういう関係があるのか。私の頭の中はますます混乱の度を極めていった。しかし、ここでKは私たちが全く予想だにしていなかった新たな質問を投げかけてきた。

「でも、その設計図に欠陥があったらどうなると思いますか。」

 私は一瞬答えに窮した。設計図にミスがある?。いやそんなはずはない。全知全能の神が間違いを犯されるはずはない。しかし、そうした私の心を見透かしているかのように、Kの講義は続いていく。

「今、あなた方は神が造り間違いなどするはずがないと思っておられるでしょう。でも、生命は神が造ったものではありません。だからこそ間違いがあるのです。今私たちが、ここでこうやって病気に苦しんでいるのも設計図にミスがあるからです。もし神が造ったものであるのだったら、「病気」などあるはずがないではないですか。」

 神が創ったものではないからこそ、病気が存在する。何と論理明快な説明か。私は、またしてもやられたと思った。

「生命は当初は強固に造られました。何百何千という分子が強固に結合して簡単には崩れないように造られました。ところがそんな生命も、環境の変化や外部からの刺激により常に傷つけられ、壊される運命にありました。紫外線、病原菌、化学物質……等々、生命を脅かす外的要因は無数に存在していました。そうした外的要因と闘う間にゲノムは少しずつ傷つき壊されてきたのです。そして一旦傷ついたゲノムは修復されることなく、間違った設計図のまま次々と自らを複製し続けます。こうしたことが延々と続いていくと、果てはどうなると思いますか。」

 聞いている皆が理解していないと見たKは、ここで少し考える時間を私たちに与えてくれた。設計図が間違ったまま家が建てられる…。恐らく傾いた家が建つであろう。あるいは雨漏りのする家が建つかもしれない。そんな間違った設計図がドンドン世の中に広まっていくと、そこら中に欠陥住宅がひしめきあい、ついには街全体が崩壊するかもしれない。Kが言わんとしていることは多分そういうことなのであろう。何となく分かったようなつもりで悦に入っていた私に、しかし、Kは恐るべき結論をくだした。

「ゲノムの傷がどんどん拡散し、やがて生命全体を維持できない程に大きなものになってしまったら。宇宙を崩壊の危機から防ぐために累々と積み上げられてきた生命がわずか一夜の間に死に絶えてしまうことすらあり得るのです。そう、まさに最後の審判の日が来るかもしれないのです。そうした悲劇的結末を回避するために、生命は傷を負ったゲノムを自ら排除することを思いついたのです。それが『死』というものです。全ての生命に等しく死が与えられることで、生命は全滅することを回避することに成功したのです。もし死というものがなかったら秩序は千々に乱れ、遠くの昔に生命というものがこの世から消え去っていたかもしれません。」

 ああ何ということか。私たちは、今初めて『死』という事象の意味を知らされた。死は決して暗いものでも悲しいものでもない。死は生を守るためにプログラムされているのである。

 人は生を尊び大切にするが、死は常に忌み嫌う。しかし、生と死は表裏一体の関係にあるのだ。死があるからこそ新たな生命が営まれ、その結果として生命は永遠に続いていくのである。古く傷ついたものが自らこの世を去り、新たな命を残していく。その壮大な営みの中で、宇宙の秩序が保たれているのである。

 私はその夜なかなか寝付けなかった。Kの話を何度となく頭の中で咀嚼した。咀嚼すればするほどKの話は難解になり、ますます私の目は冴え渡ってしまった。ただ、不思議なことにKの話には説得性があった。よくは分からないが、妙に納得させられるものがあった。生と死には意味がある。そう、この世に意味のないものなど存在しない。生も死も意味があるからこそ存在している。これ以上は深く考えまい。どの道、死はすぐに訪れる。自分の死が、誰かのために、何かのために役立つのであれば、それでいいではないか。それだけで……。


 それから一週間後の真夜中。一番窓側のベットに寝ていた三郎が、起き上がって窓の傍に身を寄せていた。三郎は昼間の診察の結果を聞いていた。病状の進行が予想以上に速いということであった。それは死期が早まったということを意味していた。三郎は今45歳、ガンで逝くにはあまりに早すぎた。

「眠れないのですか。」

 三郎の姿に気付いたのか、Kが声を掛けた。三郎はまたしてもKに救いの言葉を求めた。

「先生、僕は怖いんです。いくら先生のお話をお聞きしても、いくら立派なお説教を聞かされても、死ぬことに変わりはありません。もう僕に残された時間はわずかしかないのです。」

 暗闇の中で時間だけが過ぎていく。雲間から青白い月明かりが差して、三郎の横顔が薄っすらと浮かび上がった。その頬には一条の光るものがあった。Kは果たして三郎の問い掛けに答えを用意しているのであろうか。

「あなたはどうして死ぬのが怖いのですか。あなただけではありません、どうして人は皆死ぬことを恐れるのでしょうか。死が苦しいからですか、死が辛いからですか。いいえ違います。死はあなたが思っているほど苦しいものでも、辛いものでもありません。死は眠るようなものです。永遠の眠りにつくようなものです。」

 真夜中のKの講義は、またしても意味深な問い掛けから始まった。Kの講義はこのあと一体どう展開するのであろうか。部屋の中の一同は、暗闇の中で息を殺してKの言葉を待った。

「人が死を怖れるのは、死が苦しいからでも辛いからでもありません。死によって自分という存在がこの世から忘れ去られる、それが怖いのです。」

 私は、最初Kの言っていることの意味がよく理解できなかった。部屋の中の一同も小首を傾げてKの話に聞き入っていた。

「死に逝く人は寂しいのです。時の経過とともに、この世に残った人の心から自分というものの存在が消えていくのが怖いのです。ですから、人は死ねばまず墓を建てようとします。墓石に自らの名を刻み、そして位牌を作って仏壇に並べます。自分という人間がこの世に生きていたという証を残し、見る人にそれを思い出してもらいたいがためです。墓石は死に逝く人の悲痛な叫びなのです。自分という人間が存在したことを忘れないでくれと人々に告げているのです。」

 私はなるほどと思った。これまで人が死ぬとなぜ墓を建てるのか不思議であった。仏事の一環くらいにしか思っていなかった。それをKは論理明快に説明してみせた。墓石にも意味があると。しかし、Kの話にはまだ続きがあった。

「でもそんなものは何の役にもたちません。人の記憶とは儚いものです。人が死んで一年も経たない内に、その人はすっかり過去の人となります。あなたが死んで、あなたのことを覚えていてもらえるのは、せいぜい初七日くらいまで、その後は四十九日、一周忌、と節目を経る度ごとに、あなたの名前はどんどん人の記憶から薄れていきます。子供ですら親の墓に参るのはたった一年に一回か二回です。ましてや孫やひ孫になれば、あなたがどんな人であったかすら覚えていないでしょう。

 永遠にみえる墓石ですらそうです。百年も経てば、墓石に刻まれた名前は苔生して判読不能になるでしょう。さらに時を経れば墓石そのものも風化して砂粒と化しているかもしれません。そうなれば文字どおりあなたは海の中の藻くずのように消え去るのです。それが怖くて、人は死を怖れるのです。そうじゃありませんか。」

 私はまたしてもなるほどと思わざるをえなかった。人は、この世に生まれ出て後、僅か数十年ほどの間に死を迎える。どんな長生きする人でも百歳まで生きる人は希である。それですら、長い、長い歴史の中で見れば、ほんの一瞬の出来事に過ぎない。生きている間でさえ、自分が生きているということを主張し続けないとすぐに人から忘れ去られてしまう。ましてや死んでしまった者にとっては、文字どおり死人に口無しである。あっという間に人々の記憶の彼方へと吹き飛ばされてしまうのである。人が死を怖れる所以はそこにあると、Kは言うのである。

 では、Kはどうしろというのであろうか。死に行く者は、ただ無為にその時を待つだけのものなのであろうか。死んだ後、すぐに忘れ去られるのを手を拱いて見ていることしか出来ないのであろうか。皆が諦めにも似た嘆息を洩らそうとした時、Kは最後の救いの手を差し伸べた。

「でも、死に行く者にもチャンスはあります。自らの力で生きた証を残すことも出来るのです。いえ単なる証ではありません。永遠の命を残すすべがあります。」

 皆の目が一瞬キラリと輝いた。それは一体何なのか。Kは一呼吸も二呼吸も間をおいて、静かにその答えを述べた。

「『文字』です。それは唯一、人にだけに与えられた手段です。他の生き物には与えられていません。文字に表わされた情報は不滅です。あなたが記した記録は全て文字という形で後の世に送り伝えられます。そして、それをひも解く人の心の中にあなたという人が蘇ります。それはあなたの子孫ではないかもしれない、全く赤の他人かもしれない。でもそんなことはどうでもいいじゃないですか。どんな見知らぬ人でもいい、あなたという人がどのように生き、どのようなことを考え、何を人に伝えようとしたのか、それを読んで思い出してくれる人がいる。その時初めてあなたは、あなたの人生が無駄でなかったことを知るのです。」

 ああ、何ということか。これがKの言いたかった結論だったのである。「生と死」は、動かし難い宇宙の摂理として等しく全ての人に与えられる。多少の長短はあるかもしれないが、そんなことはこの壮大な宇宙の営みの中で見れば、ほんの些細なことでしかない。それを神の悪戯として嘆き悲しむだけで終わらせていいものだろうか。Kの言いたかったことは、恐らくそういうことだったのだろう。

 その日から、Kのワープロは私たちの部屋の共用物となった。Kは自らが使わない時は、快く私たちにワープロを貸与してくれた。私たちは替る替るワープロの前に座った。Kは、時には私たちの書いた文章を読んでは、評価してくれた。どんな稚拙な文章でも、どんな下賎な話でも、Kはいつも必ず褒めてくれた。

「人が自らの言葉を人に伝える、それに上下や巧拙などありません。ありのまま、思ったままを正直にワープロに打ち込めばいいのです」

Kは常々そう言って指導してくれた。

 三郎も頑張った。毎日必ず一回はワープロの前に座った。ワープロを打つ三郎の顔はキラキラ輝いて見えた。たった三ヶ月ほどの間であったが、三郎の書いた文章は数百ページにも及んだ。

 そして、三郎は新しく出来上がってきた自叙伝を胸にして去って逝った。三ヶ月前に見せた陰鬱な表情はすっかり消え、その顔は穏やかな笑みに満ち溢れていた。私も三郎の著作を読んだ。俄か作家のその文章は決して上手いといえたものではなかったが、読む人に笑いと涙を誘うものがあった。その著作は今もホスピスの図書室の一角に並べられている。

 それから間もなく、Kが来て半年ほどが経ったある日のこと。暑い夏も終わり、海辺に涼やかな秋風が渡り始めた頃であった。カタカタカタというワープロの音が突然パタリと止まった。あっという間の出来事であった。Kは静かに去って逝った。苦しむことも、悲しむこともない、穏やかな死に顔であった。

 明るく輝くワープロの画面だけが、いつまでも消えることなくKの言葉を私たちに伝えていた。

「人は誰でも『作家』である。物を書きたいと思ったその日から。」

(了)

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