ぼくらの情事
野森ちえこ
ぼくはとても満足している
ぼくは一般的な男性より、ほんの少し性欲が強かった。それは結婚したからといってなくなるものでもなく――つまり、妻だけでは満足できず、何人もの女性と関係をもっていた。一番多いときで、五人……いや、六人だったかな。妻をいれると七人だ。
再会したのは、五年前のことだ。妻に先立たれ、子どもたちもとうの昔に独立している。美晴さんもまた、ご亭主に先立たれ、ひとり暮らしの身の上だった。
ぼくらはともに暮らしはじめた。籍はいれなかった。親類縁者。相続。そういうわずらわしいものとは無縁の関係でいたかった。美晴さんも同意してくれた。
幸せだった。若いころのように激しく情を交わすようなことはなかったけれど、互いのからだを慈しむように溶けあう時間は、深いよろこびに満ちていた。
だが、そんな幸福は長くはつづかなかった。二年前、道端で転倒した美晴さんは腰を骨折してしまい、以来寝たきりになってしまったのだ。今ではもう、ぼくのこともよくわからないみたいだ。
ぼくは起きあがれない美晴さんと手をつなぐ。ぼくのことがわからなくなっても、つないだ手を振り払われたことは一度もなかった。
美晴さんの手は皺だらけでカサカサで。だけど、ちいさくて、かわいくて、とても働き者の手だった。
そのちいさな皺だらけの手を、やはりカサカサで無骨なぼくの手にとって。親指から小指まで一本一本、そっとそっと、やさしくゆっくり、ゆっくりと時間をかけてマッサージして、手のひらもまたゆっくりゆっくり、やさしくもみほぐしていく。
そうすると、美晴さんはほっと甘いため息をついて、その頬が幸せそうに染まっていくのだ。彼女のそんな顔を見ていると、ぼくもとても幸福な気持ちになる。
だからこれが。
今のぼくらの情事だ。
ぼくはとても、満足している。
(了)
ぼくらの情事 野森ちえこ @nono_chie
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