ぼくらの情事

野森ちえこ

ぼくはとても満足している

 ぼくは一般的な男性より、ほんの少し性欲が強かった。それは結婚したからといってなくなるものでもなく――つまり、妻だけでは満足できず、何人もの女性と関係をもっていた。一番多いときで、五人……いや、六人だったかな。妻をいれると七人だ。


 美晴みはるさんは、そんな情を交わす女性たちのひとりだった。ぼくは三十代なかばで、彼女は二十代後半だったか……確か、一年にも満たない短いつきあいだった。ぼくはいつもそうだった。女性に本気になられては厄介だから、そうなるまえに後腐れなく別れることにしていたのだ。


 再会したのは、五年前のことだ。妻に先立たれ、子どもたちもとうの昔に独立している。美晴さんもまた、ご亭主に先立たれ、ひとり暮らしの身の上だった。


 ぼくらはともに暮らしはじめた。籍はいれなかった。親類縁者。相続。そういうわずらわしいものとは無縁の関係でいたかった。美晴さんも同意してくれた。


 幸せだった。若いころのように激しく情を交わすようなことはなかったけれど、互いのからだを慈しむように溶けあう時間は、深いよろこびに満ちていた。

 だが、そんな幸福は長くはつづかなかった。二年前、道端で転倒した美晴さんは腰を骨折してしまい、以来寝たきりになってしまったのだ。今ではもう、ぼくのこともよくわからないみたいだ。



 ぼくは起きあがれない美晴さんと手をつなぐ。ぼくのことがわからなくなっても、つないだ手を振り払われたことは一度もなかった。


 美晴さんの手は皺だらけでカサカサで。だけど、ちいさくて、かわいくて、とても働き者の手だった。


 そのちいさな皺だらけの手を、やはりカサカサで無骨なぼくの手にとって。親指から小指まで一本一本、そっとそっと、やさしくゆっくり、ゆっくりと時間をかけてマッサージして、手のひらもまたゆっくりゆっくり、やさしくもみほぐしていく。

 そうすると、美晴さんはほっと甘いため息をついて、その頬が幸せそうに染まっていくのだ。彼女のそんな顔を見ていると、ぼくもとても幸福な気持ちになる。


 だからこれが。

 今のぼくらの情事だ。


 ぼくはとても、満足している。



     (了)

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ぼくらの情事 野森ちえこ @nono_chie

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