燃えよ妻

新巻へもん

敵を知り、己を知れば、やめときゃ良かったのに

「たーたん、ちょーちょ」

 ゲラルドの手を離してパッとサリーが蝶を追って駆けだす。手のひら大の紫色の翅の美しさにすっかり心を奪われているようだ。

「気を付けないと転ぶわよ」

 妻のジルが一応声をかけるが全く心配をしている様子はない。


 村のすぐそばまで広がるシリーウッドの森には、一応、魔物がでないこともない。ホーンラビットとかリッパーエイプとかが時折単独で出没する。まあ、大の大人が武装しており、油断していなければそれほど危険ではなかった。村からそれほど離れていないので角笛を吹き鳴らせばすぐに誰かが駆けつけてくれる。


 もっとも、ゲラルドとジルはどちらかというと駆けつける側だ。王国の西部の山岳地帯を住処とし、近隣住民を恐怖のどん底に叩き落としたブラックドラゴンを討伐した6英雄。そのうちの二人がゲラルドとジルだった。


 ブラックドラゴンを倒して王都に凱旋して祝賀会が開かれた夜、ゲラルドは全身の勇気を振り絞ってジルへの愛の告白をした。これは色々な意味でゲラルドにとってみれば大変なことだった。ブラックドラゴンに一人で立ち向かう方がまだマシかもしれない。


 ゲラルドはオーガもかくやというような巨体の持ち主である。実際にはオーガよりは小さい。かなり小さい。しかし、頭髪が一本もなく、いかつい顔つきのゲラルドに王都の裏通りで会って逃げ出した住民が居たのも事実だ。


 ジルは均整のとれた四肢と表情豊かな美貌を持った活発な女性である。職業は武闘家。ゲラルドにはどういうことなのか全く理解できないが、拳でドラゴンにダメージを与えられるパワーとスピードと技を持っていた。ちなみに脱ぐと凄い。何が凄いかはゲラルドだけが良く知っている。


 ジルはゲラルドの一世一代の告白を二つ返事で了解してくれた。

「まったくもう。いつになったら言い出してくれるのか、やきもきしちゃったわ」

 そういいながら、ジルはゲラルドの首に飛びつき、熱烈なキスをしてくれる。身をかがめながら背伸びをするジルに応えるゲラルドの脳内に星が飛び散った。


 その後の流れに身を任せた結果が、今ゲラルドの目の前でぴょんぴょん飛び跳ねている愛娘サリーである。ゲラルドは可愛らしい巻き毛の天使のようなサリーの姿を目で追いながら、自分に似なかったことを神に感謝した。


 英雄として王都で職を得ていた二人だったが、子供ができたのが分かった途端にジルは実家のあるロールバッケの村に帰ることを主張した。

「初めての出産だし、不安が多いの」

 そういって普段とは異なる表情を見せるジルの提案をゲラルドは全面的に受け入れる。ゲラルドは孤児だったが、ジルが自らの両親のバックアップを受けたいという気持ちは良く分かった。


 王は田舎に引っ込むという二人をなんとか引き留めようとしたが、ジルの決意は固く、最後は盛大な送別の宴を開催して送り出してくれる。6英雄の残りの仲間、魔法剣士、聖騎士、アーチャー、召喚士たちともそれぞれ再会を約して別れを告げた。


 ジルの両親は二人ともいい人だった。久方ぶりに帰郷したと思ったら、夫を連れており、しかも身ごもっているというジルとゲラルドを大歓迎で迎える。村の人々も善人ばかりだった。ゲラルドを見て悲鳴をあげるようなことはしない。むしろ、あのお転婆のジルを娶って貞淑な妻にしていることを言葉を尽くして褒めたほどだ。


 無事にサリーが生まれて、2年が経ち、春の陽気に誘われて、家族三人でピクニックに来ている。少しはしゃぎすぎて疲れたのか、むずかり始めたサリーを抱っこすると家路につく。木々に覆われて気が付かなかったが、森から出ると村から黒煙が立ち上っていた。


 風向きが変わり、騒乱の声を二人の元へ運んでくる。物の焦げる臭いも漂ってきた。

「ご両親もいるし、大事にはなっていないだろうが急いで戻ろう」

 ゲラルドの声にジルが頷く。


 息せき切って村に駆け戻って見ると、流浪の盗賊団だろうか、てんでんバラバラな武装に身を包んだ一団が村人達と武器を交えている。村人側は数人の怪我人がいるようだった。村で食料品店を営むサーシャが腕から血を流して苦悶の表情を浮かべていた。命に別状はないが傷は骨まで達しているようだ。


 横でジルがはっと息を飲むのをゲラルドは感じ取る。サーシャが作る季節の果物を使ったパイは田舎には似つかわしくない絶品だった。ジルの大好物でもある。ごくたまにゲラルドがジルと仲たがいしたときの、詫びの品はいつもサーシャのパイと決まっていた。


 向こうでは雑貨屋のモートンが倒れて呻き声をあげている。モートンは釣りの名人で、ゲラルド家では良くお裾分けをもらう。お裾分けをもらった日の食卓はいつもに増して豪華なものになった。ジルがギリっと奥歯を噛みしめる音が聞こえる。

ゲラルドはジルに声をかけた。


「ジル。落ち着くんだ。みな怪我はしているようだが、これくらいなら……」

 その声をかき消すように向こう側から大きな炎があがる。ジルとゲラルドの家だった。ジルの自慢の花壇の花も踏みにじられている。ジルがワナワナと肩を震わせていた。


 そこへ数人の盗賊団がやってきた。首領らしき男の首には、青く輝く宝石のついたネックレスがかかっている。ゲラルドは目を覆った。あれは自分がジルにプレゼントしたものだ。ついにジルの口から雄たけびが放たれる。

「殺す。ぜえったいに殺-す」


「ああ。ジル。気持ちは分かるが……、どんな存在でも生命はかけがえのない……」

 ゲラルドの声はジルには届かない。どか、べき、ぐしゃ。盗賊たちの体はあり得ない角度であちこちが曲がっていた。


 温厚なゲラルドも盗賊の凶行には心を痛めていた。それでも、盗賊たちが命を散らすことを簡単には是とはできなかった。ゲラルドは、アイアーネの神官である。ドラゴンのブレスを浴びて焼け焦げた体も瞬時に再生できる治療魔法の使い手だった。教義の上からも他者を傷付けることを認めるわけにはいかなかった。好きな言葉は「すべての人に等しく愛を」である。


 そんなゲラルドだったが、今まで眠っていたサリーが目を覚まして、自分の家が燃えているのを見て涙を流しながら泣き始めるのを見ると遂に我慢の限界を超える。心の中でアイアーネに許しを乞いながら、妻への声援をつぶやく。

「燃えよ妻」

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