帝都へ

蒸奇都市倶楽部

帝都へ

 揺るぎない蒸気の力を発揮する機関車に引かれて、車窓の向こうの景色がまるで幻燈のように過ぎ去っていく。のどかな穀倉地帯の広がる大平原をつっきり、西の西海道せいかいどうから東和へと続く鉄路。特別急行〈清風きよかぜ〉号は定刻通りに邁進まいしんしていた。東洋南岸の西部沿岸地域の西海道と東和をつなぎ、さらには東部沿岸地域の東海道まで達する東西の鉄路は大陸の大動脈だ。『東和』が国策として鉄道網の整備を急いだのも、昔から人の往来が盛んであればこそだった。

 東和。

 この言葉の意味するところは大きく分けて三つある。

 まず世界的に見れば西の欧州に対応する東の和州わしゅうを意味する。縮めて西欧、そして東和だ。ひいては和州大陸そのものを指す場合もある。

 次にこの和州内で見れば、大陸に抱きこまれた東洋の南岸部一帯、東海道と西海道に挟まれた地域の北部を東和地方と呼ぶ。

 さらに歴史に目を向ければ、和州の大半を領していた巨大国家の名でもある。こちらは正式には大東和帝國というのだが、こちらもやはり『東和』と呼ばれていた。もっともこれは帝國が解体された今となっては呼ぶ者が少ない。

 帝都に住む人々以外は。

「先ほどから外を眺めていらっしゃるようですが、汽車に乗るのは初めてかしら?」

 談話室にて、ぼんやり車窓を眺めていた私は声を掛けられた。見ると身なりの良い上品な老婦人が隣の席に座っていた。談話室は広々としていて、上等な身なりの紳士や淑女をちらほら見かける。彼らにとっては、一等車ともなれば社交場のようなものなのだろう。さいわいに私は家の関係でそういった人々の相手をするのに慣れている。

「お恥ずかしながら、生まれて初めて相和そうわを出ました若輩でして」

「それで熱心に外をご覧になっていたのね」

 はにかみながら私が答えると老婦人も微笑を浮かべる。

「相和といいますと、たしかいまは第五共和国といったかしら」

「はい。今では国名も相和になっています」

 老婦人は帝都民なのだろうか。帝國解体の折、相和は第五共和国として独立したので、帝都の人はそう呼ぶこともあると聞いている。

「あそこは昔から相和と呼ばれていましたものね」

 数字つきの名詞が国名では味気なくも感じてしまいます。私が思わずそう口にしてしまうと老婦人は上品そうに笑って、

「それは我が方の、帝都の議員たちにも聞かせてあげたいものね」

 名詞が国名では味気ないという私の指摘が、帝都へ対するあてつけに取られたのかもしれない。私が慌てて謝罪を口にすると老婦人は笑顔のままで首を振る。

「いいえ、あなたを困らせる気で言ったのではありませんよ」

 独立したのは故郷の相和だけではない。帝國の首都も独立したのだ。国名を『帝都』として。

「ところで、この辺りはもう東和地方なのでしょうか」

 老婦人は気を悪くしたようでもなく、鷹揚として構えているが、私は話題を変えた。

「ええ、ですが〈城壁〉が見えるまではまだ時間がかかりますよ」

 帝都へ行くにあたってしっかり見てこいと言われていたものの一つが〈城壁〉だ。世界大戦の折、欧州の連合軍を相手に何度も侵入を拒み続けていた蒸気駆動による巨大な要塞。それが帝都をぐるりと取り囲んで、外に向かって睨みを利かせているそうだ。世界有数の巨大建造物だと聞いている。

 車窓の向こうには大平原特有の、のどかな穀倉地帯が広がっている。見上げれば綺麗な青空が続いている。どこまでも澄んでいる空だが、帝都周辺ではどうなのだろう?

「帝都の煤煙ばいえんはやはり厳しいものがあるでしょうか」

 私が尋ねると老婦人はころころ笑って、

「あらあら、地方ではまだそういった先入観がおありなのね。確かに帝都は世界で一番蒸気機関が多い街ですけれどね、煤煙の量は今までからすればそう多くはありませんのよ。十年も前でしたらかなり煤煙も濃くありましたけれども、西部の工業地帯で大きな事故がありましてね。それを機に工場の機械類を一斉に新しくしたものですから煤煙の量はかなり減っておりますのよ。今では順次、帝都中にある都市型供給機関も見直されましてね、煤煙量は第五共和国、いえ、失礼、相和ね。お国とそう変わらないと思いますよ」

 相和はともかく、蒸気機関の力で発展を続けている帝都の煤煙の量が減っているとはにわかには信じがたかった。だが、技術の目覚ましい進歩を考えてみれば、確かに腑に落ちるものがある。

「技術というのは開発され、改良され、そして発展させていくものと言います。おかげで危険な労働を強いられる煙突掃除の仕事はなくなりましたのよ」

「この時代、非人間的な煙突掃除はなくせないものと思っていましたが、やはり帝都は先進的な都市なのですね」

 それもこれも、和州一の技術力を持つといわれる帝都であればこそ、だ。

 故郷の相和では、帝都に比べて技術や環境が需要に追いついていない。深刻化した煤煙被害を受けて、排出削減を訴える政党が選挙で勝った影響で、相和では機関の稼動を制限している。そのため機関工場の閉鎖が相次ぎ、政財界も大混乱だ。

 今度の選挙では稼働緩和を掲げる政党が勝つだろうという見込みになっている。帝都から技術を支援してもらえば、とも思うが、独立した国がかつての首府に支援を頼むなんてできないと与野党そろって頑なだったりする。

 故郷の頑迷さと政局の混乱ぶりを話すと、「さっきの言葉を繰り返すようですけど、まだ戦争直後の先入観があるのね」と微笑む。

「帝都、なんて名乗ってはいますけれども、ご存知の通り、あそこはもう大東和帝國ではないのよ。陛下が退位された今では大本営統帥府、そちらで言えば議会と内閣ね、そこと《時計塔》が政治を行う都市国家に過ぎないの」

 時計塔とは帝都の中心にそびえているという、文字通りの時計塔だ。私はまだ写真でしか見たことがないが、その内部の全てが機械で埋め尽くされており、それで一つの計算機械であるらしい。世界で最高峰の演算能力を有するといわれる時計塔は、帝都を様々な面で支配していると聞き及んでいる。

「ですが帝都は現実的に考えれば和州の盟主も同然です。相和では年配の方々を中心に帝國時代を懐かしみ、また一部の政治家には回帰を模索する向きもあります」

 巨大な国家の解体に伴って、支配、被支配の関係でとらえなおす考えがあるが、相和の位置する西海道や南洲のような、かつて本土とよばれた地域では帝國への回帰を指向する考えがいまだ根強い。

「本土地域の帰属意識の問題ね。それはやはり、先入観と懐古の入り混じったようなものだと思うわ」

 老婦人は小さな咳払いをした。

「独立して半世紀近く、こう言ってはなんですけれど、帝都は和州での経済力で随一となって久しいし、この開きは計算上、日に日に広がっていっているわ。経済というのはね、その開きが大きければ大きいほど、あわさる時に低い方へとひきずられるものよ。例え統帥府が合併を決議しようとしても、《時計塔》がかかる損失を全て詳細に並べ立てて止めさせるでしょうね」

 つまるところ、一番繁栄している帝都が周辺国、つまり、かつての帝國領を併合したところでそれは負債にしかならない。

 そう言い切られたのだが、なぜか私は嫌な気分にならなかった。話し方が学者然とした淡々としたものだったからかもしれない。

 くわえてそういった話をこの老婦人が披露したことにも驚いた。婦人が政治や経済についてここまで語れるというのは意外という他なかった。故郷の相和はいまだ前時代的な考えがあり、女性が言葉を並べ立てれば白い目で見られる。

 老婦人は私の驚きを見てとったのか「あらやだ私ったら。ごめんなさいね」と頭を下げ、小さく笑った。

「昔から経済やら政治やらの学問が大好きでしてね。父が昔かたぎで『女に学問などいらん』と言ってなかなか許してもらえなかったのだけれども、よく書斎に入り込んで学術書を読みふけったものだわ。結婚してからは夫が好きにさせてくれる人でしてね。大学まで行かせてもらえたのは嬉しかったわ。碩学になれなかったのは残念でしたけれどね。でも、あの人の碩学位授与式は忘れられないわ」

 となれば彼女は帝都が定めるところの碩学伯夫人になる。碩学位は帝都への功労者として遇される。また、碩学伯という一代限りの爵位に叙され、華族の一員として認められる。

「驚かせてしまったかしら。ごめんなさいね」

 片目をつむって舌を小さく出す姿は、まるでいたずらを成功させた子供のような表情だった。すぐに驚きから回復した私は非礼を詫びてから、しばらく様々な話に興じた。

 経営学を学ぶため帝都に留学で向かっていること。実家は相和で大きな工場を営んでいること。

 老婦人は楽しそうに聞いてくれた。

 彼女が実は経済分野で博士号まで持っていること。碩学級にはもう少しで届かなかったこと。大学での生活の話は私も大きく興味をひかれた。先程まで、どこか緊張していたのだが、すっかり自然体で老婦人とすごしていた。

『間もなく城壁を通過します。入国審査と機関車付け替えのために停車いたしますが、乗り降りはできません。入国手続きがございますので、談話室のお客様は各個室までお戻りください』

 壁に備えられた伝声管から車掌の声がする。談話室にいた乗客たちは席を立ち、おのおの個室へと向かっていく。車窓を見ると巨大な、灰色の壁が見えた。思っていた以上に高く、重厚だった。

 ただの壁ではない。ところどころに設置された張り出しに、探照灯や砲架が置かれ、壁を這うようにのたくった管が絡み付いている。そして上部には幾つもの煙突が建ち並び、うっすらとではあるが煤煙を吐き出していた。

 あれが城壁。あれこそが帝都への玄関口。私は感嘆の吐息を漏らした。それを見て老婦人は茶目っ気を含んだ様子で「ようこそ、帝都へ」と言ってくれた。

 蒸気の揺るぎない力を発揮する機関車に牽かれて、私はついにやってきたのだ。私が見たこともない都市へ。私の理解を超えた巨大なる都へ。

〈蒸気都市〉、帝都に。

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