第十場 見えない優しさ(2)

「ちょっと、今、ドア閉めたの立香でしょ! 何時だと思ってるの! あと、こんな所に台本投げっぱなしにしないで!」


 光瑠の問題発言について問い質すべく、半開きのドアを姉弟で内と外から押し合ってると、今度はお母さんのお説教が飛んで来た。一時休戦。その大声の方が近所迷惑だよ、ってツッコミは飲み込んで、「はい、はーい!」っと、急いでリビングへ戻る。

 キレたお母さんのめい裁きは、お父さん含め、泣く子も黙るほど恐ろしいことは我が家の常識。


「あら、まとい?」


「え、お母さん、分かるの?」


 すでに脚本を手にしたお母さんが、表紙を見て動きを止めた。ふりがななんて振ってないのに、一発で読めたお母さんをちょっと尊敬する。

「中、見ていい?」って断りつつ、一ページめくると、お母さんは「やっぱりね」って得意げに微笑んだ。


「纏って、江戸時代に町火消が持ってたアレのことでしょ? 当時の江戸は、木造家屋が密集した町作りだったから、消火活動って言えば、延焼を防ぐために周りの家を壊す、破壊消火だったのよね。火事と喧嘩は江戸の華って、聞いたことあるでしょ。特に強くて乾いた風の吹く季節は火事が多くて。冬の北風や、春の南風なんかもそうね」


 春の南風……。

 纏は、桜が満開の季節の話だ。


 いつもなら話半分で逃げるお母さんの歴史話に、今日は黙って身を乗り出す。そう言えばタイトルの意味なんて、まだ調べてもなかった。

 そんな私に気を良くしたらしい時代劇好きなお母さんが、さらに続ける。


「中でも纏持ちは花形でね。吹き荒れる熱風と火の粉に耐えながら、出火元の風下にある屋根の上で、重たい纏を振り続けるの。町の人に火災場所を知らせて、火消したちを励まし、奮い立たせて。この炎は必ずここで食い止める。これ以上、江戸の町は焼かないって、町火消としての誓いと。鎮火できなきゃ、自分の命ごと失う恐れに打ち勝つ強さと。応えようと必死な火消したちも、まさに命懸け。今でも纏は、消防団のシンボルになってるのよね」


「……なんか、かっこいいっ!」


 いつの間にか隣でハモる光瑠と私の感嘆に、発声練習の鉄板、『外郎ういろう売り』の口上並みに滑らかに喋るお母さんは止まらない。


「でしょーっ? お母さん、消防士さんでいいから、あの逞しい腕で一回、お姫様抱っこされたいのよねぇー! あっ、それから、町火消を創設したのは、徳川吉宗の命を受けたあの大岡越前守忠相だし、火消しって言えば、忠臣蔵の赤穂浪士が火消しの格好で吉良邸に討ち入ったのも有名よねっ。あとね、あとね……」


 纏一つで、ついには夢まで語り出すお母さんから脚本を取り戻して、急いで表紙裏に聞いた内容をメモした。


 命懸けで炎を食い止める、かぁ。

 ……あれ、それって、何となくラストの弥生の行動に繋がるような?


「台本の最初にあった半鐘はんしょうの音もね、鳴らし方で火事場までの距離が分かるようになってたのよ。百聞は一見にしかず。立香、スマホ貸りるよ」


 メモと考え事で上の空だった私は、お母さんの言葉に「うーん」って、適当に返す。


「あれ、ねぇ、光瑠。半鐘の音って検索するのどこ?」

「えー? それ、ラインだって。貸して」


 そんな二人のやり取りが頭上を通過した後、突如、割れるような金属音が二度、部屋中に大音量で響いた。ビクリと身体が震えて、走らせてたシャーペンの芯が折れた。


「な、何っ?」


「これが半鐘の音! 光瑠、止めてーっ」


 焦るお母さんと、「ビックリしたー」って言いつつスマホを操作する光瑠。

 火事場が近いと乱打されるというその音に、足元から寒気に襲われた。両腕から顔にかけて、鳥肌が立つ。


 消防車、防災サイレン、スマホの緊急アラーム。そんな現代の電子音とは違う、ガラガラと不安を煽る重厚な警報。


 弥生が火をつけた場所は、清史郎せいしろうの呉服屋の裏手。近いなんてもんじゃない。


 耳のすぐ側で鳴る、半鐘の不規則な連続音と、逃げ惑う人々の声を想像する。キャンプファイヤーやとんど、小学生の頃の薄れそうな大火の体験に、私は幸い恐怖を覚えることは無かった。


 でも弥生は、知ってたはずだ。


「あ、じゃ、じゃあ、江戸時代って無理矢理結婚させられるのが普通だったの?」


 故意に話題を変えた。


「……無理矢理って、命令婚のこと? 特に武家や商家の格式ある家は、相手の家にも同格の身分を求めたみたいね。祝言しゅうげん当日まで顔も知らない。今みたいに、異性と自由に出歩くこともできない。十代で初恋さえしないまま、親に決められた相手と結婚して。中には、他に好きな人がいたって場合もあったかもね」


 弥生の初恋は、結婚後……。


 例えば、無理矢理、千野と結婚させられた後、朝比奈くんに出逢った、みたいな?

 うわ、切ない。私なら、即三行半みくだりはん書かせて離縁したい!


「命令されて姉ちゃんと結婚とか、無いわー」って小さく呟く光瑠には、右腕に渾身のグーパンチをお見舞いしてやった。


「ところで、九条先生のお話、今年は時代劇なのねっ。あの綺麗なお顔の、ほら、千野様! 何役なのっ? お母さん、何があっても絶対観に行くから! 光瑠っ、あんたも行くのよ!」


 時代劇と千野の話で、一人テンションの上がるお母さんに若干引きつつ、弥生の気持ちに寄り添……。


「そうだ、新しい服も買わなきゃっ。千野様に袖の下も準備してー。あー、一緒に悪代官ごっこしてくれないかしらー?」


 ……えないぐらい、千野、千野、うるさいな!


「あ、姉ちゃん。ラインすげー来てる」


「やだ、見ないでよ!」


 まだ私のスマホを持ってた光瑠から引ったくって確認する。若葉と羽美とのグループラインだった。


「演出のこと書いてあるサイト見つけた。他にも無いか探してみる」


 最初は、そんな若葉からのメッセージとリンク先のURL。


「演出が一番脚本のこと理解して、みんなに伝えてあげなきゃなんだねぇ? 大変だぁ! あたしにできることあれば言ってねぇ? 裏のみんなも、いつでもりっちゃんに協力する準備はできてるよぉ?」


 続いて羽美から。


「あの鬼の麻由先輩がね、りっちゃんの気持ちの整理が付くまで、後一日だけ待つって帰り際言ってた」


「周りからより、自分からやりたいって思ってやらなきゃ楽しくないし、何より良い舞台が作れないって言ってたねぇ?」


 ドキリとした。

 ウソ……、先輩たちも気付いてたんだ。


「とりあえず」


 ここだけ、時間差で同じメッセージが届いてる。


「裏のことは任せて、りっちゃんは脚本読み込みなよ!」


 舞監ぶかんで部長の麻由先輩。大道具をメインに、裏方をオールマイティに担当する若葉。衣装にメイク、小道具の羽美。照明は二年生と一年生。音響は一年生コンビ。あとは……。

 裏方みんなの顔が次々と浮かぶ。


 みんなが待ってる? 協力する体制を整えて、待ってくれてる。

 私なんかのために。


「頼りなくてごめんね。二人ともありがと」


 滲む視界の中、指先だけで送った。

 間を置かず、更に通知が来る。


「それと、昨日のクレープ屋さん、言い出したのは千野くんだよぉ?」

「千野って、分かりやすく優しくはないけど、りっちゃんは、分かりやすくタピオカ好きだから」

「落ち込んでるりっちゃんを、励まそうとしてくれたんだねぇ? ステキー。あたしのタイプじゃないけどぉ」

「千野は言い方も言うことも厳しいけど、あれで面倒見はいいし。りっちゃんのことは特別気にかけてると思う。わたしもタイプじゃない」


 えっ、昨日のって、千野が?

 なのに、私……。


「九条先生は言い方は優しいけど、厳しいよねぇ。先生もタイプじゃないけどぉ」

「あの宿題、相当読み込まないと答え出せないしね。わたしも……先生と恋愛とかあり得ないから!」

「あたし、朝比奈くんが一番好きかなぁ」

「わたしも、その三人なら朝比奈くん」


 これには全力で「ダメ!!!」のスタンプを送った。


「じゃあ、朝比奈くんに見られても恥ずかしくない舞台作らなきゃ」

「だねぇ」


 本当、そのとおりだ。

 何にも見えなくなってて、何にも気付かずにいた自分が恥ずかしい。



『俺は、中途半端にやるのが一番嫌だ』



 ふと、一年前の千野の言葉がクリアに浮かんだ。

 あ……れ、『絶対』って、もしかして。

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このカーテンコールは君次第! 仲咲香里 @naka_saki

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