第九場 見えない優しさ(1)

 登校時には地獄でしかない、校門から自転車置き場へと続く階段を下りつつ、若葉と羽美に、昨日からの千野とのことを話した。何の隔たりも無い眼前に、今日も薄く雲のかかる夕焼け空と、駅方向の坂之町市が、風と共に一望できる。


 坂之町市イベントホールは、この景色の中にあったっけ。よく分かんないや。


 若葉が「そういうことね」ってため息のように呟いて、私を挟み、羽美と顔を見合わせてる。それに羽美が、


「ねぇ、りっちゃん? 朝比奈くんから告白されるなら、何て言われたいぃ?」


 なんて急に言い出すから「ほえっ?」って、階段踏み外すとこだった。


「僕と結婚を前提にお付き合いして下さい」


 気の早い求婚は、朝比奈くんの声を真似たらしい若葉の告白。びっくりするほど似てない。


「君と出逢えるのをずっと待ってた。水月さん、僕じゃ、ダメ? とかぁ?」


 たぶん羽美は、マンガの読み過ぎ。


「……どっちもアリだけど、立香りっかは誰にも渡さない、って展開希望!」


 一瞬、妄想して、大赤面した顔に作り笑顔を乗せて、暮れてく街に放ってみる。自転車三台で抜きつ抜かれつ、十五分。浮かびそうな涙は逆風に消える。


 いつもの別れ道に着く頃には、何十通りの告白を思い付いただろう。その中のどれか一つが、いつか現実になる。今だけは、そんな未来を想像してみても、誰も怒らないで。




 若葉と羽美のお陰で幾分か元気を取り戻した私は、家のリビングのソファにうつ伏せて、ボーっと千野の言葉を思い出してた。すぐ側のローテーブルには、一応、一ページ目を開いた脚本がある。


 やる気がないわけじゃない。でも、不安でいっぱいで割り切れない自分がいる。ほぼ書き込みのない脚本を見て、千野はその辺、見抜いてたんだろうな。


 とは言え、一回ぐらい、弱音吐いてみたっていいじゃん。


 同じテーブル上には、ラインのトーク画面に「千野のアホー」って百回書いたスマホも置いてある。送ったら色々終わるから送らないけど。


「『絶対』って、何よー……」


 とにかく今は脚本を読まなきゃ。千野とのことより、読んで、どう演出するのがベストか考えなきゃ時間がない。先生からの宿題にも答えられない。


 頭では分かってる……。


 そもそも先生の脚本には、基本的な設定と台詞しか書かれてない。先生によっぽど強い思い入れが無い限り、効果音の指定はあっても、それ以外の音楽や照明、衣装、舞台装置については、ほぼ記載無し。


 例えば、



 第一幕第一場


 ◯清史郎せいしろうの屋敷(夜)

 寝室で眠る清史郎。

 半鐘はんしょうの音。


 虎鉄こてつ、襖の前でひざまづく。


 虎鉄「若旦那様!」


 清史郎、目覚める。


 清史郎「虎鉄か?」



 こんな感じ。

 極端に言えば、この場面はシリアスなのかコメディなのかによって、それらが違ったものになることは分かる。

 今回の場合、ここはシリアスに、焦った感じでりましょう。


 ……それ以外、何かある? その繰り返しで、無駄な時間ばっかり過ぎて行く。昨日も脚本は後回し、英語の辞書とスマホを交互に見てる内に寝ちゃってた。


「姉ちゃん、風呂ーって、うわ、それ新しい台本? 悪いけど、おれもう台詞練習付き合わされるの勘弁だからな」


「うん、今年はいいよ」


 ふわりとボディソープの匂いを漂わせる光瑠ひかるに、うつ伏せのまま返事する。脚本を覗き込む光瑠の横から、目だけで壁の時計を見ると午後九時を過ぎてた。


「だから、去年みたいに女子高生だの魔女だの、姉ちゃんの役以外の台詞全部言わされるとか最悪……って、え? 何で?」


「私、演出になったから……」


 重い体を起こしつつ、改めて現実を言葉にすると、すんなり認めたみたいで胸の奥が波立った。


「演出? 演出って、灰皿投げる役の人?」


「……ふざけないでよっ」


 肩にタオルを掛けて笑う光瑠に、自分でも驚くほど感情が高ぶった。


「えっ、姉ちゃんっ?」


 どうしようもなく込み上げて来るものに、走って自分の部屋まで行き、勢いよくドアを閉めて、そのままベッドにダイブする。ギシリと軋む音が悲鳴にも聞こえた。


「……姉ちゃん?」


 コンコンと遠慮気味な光瑠のノック音が、ほとんど間を空けずに追いかけて来る。


「入って来ないで!」


 なのにノブの回る音が続いて、光瑠がバツの悪そうな顔を覗かせた。


「だから、入らないで……っ」


「これ以上入らないよ。ごめん、おれ無神経なこと言ったんだったら謝るよ」


「……私こそ、ごめんねっ。だからもう一人にしてよっ」


 完全な八つ当たり。ドア開けただけで、壁を背に廊下に座った光瑠の方が、今は年上に感じる。


「演出って何やんの?」


「え……?」


 意外な質問に感じた。

 何? あれ、そう言えば何だろう。


「えっとー、役者の演技にダメ出ししたり、動きを指示したり、最終的にその脚本に描かれてる世界をどんな風に作り上げるか決める人、かな……」


 たぶん。


「へぇー、それって、めっちゃ偉い人ってこと?」


「偉い……。うーん、と、その舞台の最高責任者とか総監督、になるのかなぁ?」


 う、言ってて自分の首絞めてる気がする……。


「マジか! 姉ちゃん、すげー!」


 光瑠が、十数年振りにキラッキラな顔で私を振り向いた。


「アイドルグループだったらリーダーじゃん! 会社だったらCEO? ってことだろ! アイドル並みに可愛いわけでも、会社背負えるような成績でもないのにさぁ」


「うるさいっ、余計自信無くすわっ」


「何? 嫌なの?」


 千野と同じ台詞に、ズキリと心が痛んだ。


「……嫌じゃなくて、自信が無いだけなのっ。そりゃ本当は最後の大会になるかもしれないし、キャストとして舞台に立ちたかったけどさ。でも、もう決まったことだし、諦めてる。だから、演出やる自信が無いだけ」


 本当は千野に聞いて欲しかったことを、やっと吐き出せた。なのに言ってて、光瑠にさえ言い訳してるようでモヤモヤが募る。


「じゃあ、とりあえず、やってみればいいじゃん」


は? 何、その軽いノリ!


「だからっ、そんな簡単じゃないんだってばっ」


「だって自信なんて、結局やらなきゃ付かないじゃん。おれも剣道の試合前は色々考えて不安になるけど、あれだけ練習したんだから大丈夫って思えるだけの練習はしてるし。姉ちゃんも、だから夜遅くまで台詞練習してたんだろ?」


「そ、そうだけど」


「演劇のことなんて全然分かんねーけどさ、いきなり上手くできないのは、剣道も演劇も同じだろうし、練習以上の実力は出ないのも同じじゃねーの?」


「仰るとおり、かも……」


「だったら、初めの一歩、踏み込むしかなくない? おれならそうするよ。ていうか、新しい台本持って帰った日は、大丈夫かってくらいテンション高かったのに、今日みたいな姉ちゃん逆に気持ち悪いわ。その顔とか言い方とかさ、すっげーやりたくなさそうに見えるよ」


「一言多いけど、悔しいくらい返す言葉も無いよ……」


 さすが現剣道部主将。リビングの金メダルたちと併せて、言葉の重みが違う。素直に、まずはできるところから向き合ってみようかなって、思えてしまう。


「けど、最高責任者とか。姉ちゃん、マジかっけー!」


「ま、まあね」


 思わず得意になってふんぞり返る私に「あと、すげー単純」ボソッとツッコム光瑠を「何か言った?」って、いつもどおり睨みつける私は、やっぱり単純……なんて認めたくない!

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