第八場 衝撃のラストと深まる溝(2)

「……水月みづき、今、何て読んだの?」


 九条先生の問いに、半分上の空だった私は、ハッとして顔を上げた。


「……暗転あんてん、です」


 よく見ると、目の前に広げてたのは昨日もらった方の脚本だった。クライマックス手前、気の進まないまま、それでも分からないなりに考えて書き込んだ演出プランを、いつの間にか口にしてたみたい。先生のト書きに数箇所足しただけの、拙い内容だって自分で思ってる。


「うん。暗転の意味、分かってる?」


「え? えっと、全ての照明を落として、舞台上を真っ暗にした状態で場面転換を行うこと、ですよね?」


「うん。で、今ので何回目?」


「えと……五回目、ですかね。すみません、勝手に昨日考えたの読んじゃってました」


 私の答えに、先生が悩ましげに頭を掻いた。


「元々ボク、一回しか入れてなかったはずだよね」


「……はい。なので場面ごとに入れてみたんですけど、あの、ダメならやめるんで言って下さい」


 その方が、間違いがなくていいと思うし。


「水月。暗転はテレビドラマの合間に入るコマーシャルと同じで、せっかく物語の世界に入ってくれてたお客さんの気持ちが、そこで途切れちゃうんだ。安易に多用すると観てくれてる人の集中力を削ぐから、できるだけしない方がいいって、去年……言ってなかったっけ」


 小さくため息を吐く先生に、チクリと胸が痛む。


 聞いたっけ、そんなこと……。それとも、私が聞き逃してただけなのかな。暗転の回数とか意味なんて、今まで意識したことも無かった。


「あの、じゃあ、特に後半、どうやって場面転換するんですか……?」


「うん、それを考えるのが水月の仕事なんだけど……とりあえず、時間無いし先に進もうか」


 シンと沈む室内が妙に重く感じる。急激に恥ずかしくなって、急いで昨日の脚本を閉じた。


 正直、去年は自分の役だけ中心に考えててもなんとかなった。それこそ暗転なんて、ト書きに書いてあるから、先生が言うから、ただそれに従ってただけのように思う。


 そんな私が、今回はト書きにすら無い、舞台を裏から支える部分を考えなくちゃいけないなんて。絶対に無理だ。



 再開した本読みで、未玖みく先輩の弥生と、千野の直義との掛け合いが始まる。初々しさと、切なさと、胸の痛みと。二人とも、さっき初めて読んだとは思えないくらい感情を乗せてて、時々、心を無にしては聞けなかった。


 未だ残る、羨望と、ほんの少しの、嫉妬。


 たまに詰まって、お互い窺うように合わせてる違和感。ああ、そこはもっと。

 先生が何も言わないから、私も言わない。


 でも私なら、どう演じるだろう……。



 脚本の最後で、ふと台詞が止まった。


「先せ……弥生……最後のせ……」


 未玖先輩のウィスパーボイスに、先生も私も顔を上げて先輩の方を振り返る。


「ごめん、小関。もう一回言ってくれるかな」


 困り顔で身を乗り出して聞き取ろうとする先生に、仕方なく通訳に回ることにした。もうあんまり、発言はしたくないんだけど。


「あの、先生。先輩は、弥生の最後の台詞が『 様』って空白になってるんですけど、ここは誰の名前が入るんですか? って、聞かれてます。私も知りたいです」


「ああ。ちなみに、水月は誰だと思う?」


 へ?


 まさかの質問返しが来た。しかも、どことなく楽しそう?


「いや、でもこれ、先生の脚本ですよね」


「そうだけど、演出は水月だよ」


「いやあの、私の答えより、脚本を書いた先生がこの人だって思いがあるなら、みんなそれを聞きたいと思うんですけど……」


 これって、それこそ先生が去年嫌いって雑談してた、職場や合コンで「私、何歳に見える?」ってクイズされるくらい不毛な会話、じゃないのかな。


「ボクは水月の答えが聞きたい」


 今度は笑みを消し、真っ直ぐ先生に問われた。真剣に答えないと怒られそうな顔だ。


 何これ、国語の授業みたい。

 そんないきなり誰って言われても……。こんなことなら、黙ってれば良かった。



 物語の最後、直義に懐刀ふところがたなを首筋に当てられた弥生が、抗いもせず、誰かの名を呼ぶシーンがある。


 大好きで、両想いだと信じ続けた相手に初めて触れられた一方で、それが間違いだったと知った瞬間でもあって。同時に、たくさんの人の幸せを奪い、本当に信じるべき人を裏切ったという事実にも苛まれて、その報いも受けようとしている。


 この時発した、弥生の気持ちは。


 清史郎様を信じていれば良かった?

 お千代さんにごめんなさい?

 それでも直義様が好きです?

 はたまた、自分の両親や、神仏の姿かも……。


 どれもありそうで、それによってラストが全然違う印象になるんだ。


 自然と千野に視線を送ってた。


 あー、こういうの、千野と話したい。

 本番に向けてだろうと、普段の練習だろうと、新しい物語に取り組む度、今まで何度も自分の考えを言い合って、納得したり、させられたり。その時間がすごく楽しかった。


 今は自分も考えるように脚本を見つめ、私の方なんて見向きもしてくれないけど。


「じゃあこれは、水月と小関への宿題にしよう。明日までに考えておいで」


 元々そのつもりだったのか、先生はほとんど待たずに笑顔で宿題を課すと、私に進行を引き継ぎ、後方支援に回る。まずは脚本全体について、時代背景等、最低限の補足説明を加えながら「今日は定期試験問題を作らなきゃいけないから」って、嫌になる情報をわざわざ残し、二時間程で部活動を終えた。


 完成版の脚本は今日受け取ったばかり。本格的な練習は、明日からってことになるだろう。結局、私も、先生の言ったことをメモして終わったし。


 でも、疲れた……。

 なんか、気疲れで激しく消耗して教卓に突っ伏す私に、


「水月はその調子でいいと思うよ。明日、宿題の答え聞くの楽しみにしてる」


 そう先生は声を掛けてくれたけど、一体どの調子なのか聞きたい。確か先生、大学で演劇やってたって言ってたし、こういう所は鵜呑みにできないかも。


 顔だけ上げると、ちょうど席を立つ千野の姿があった。そのまま帰るつもりなのかな。


 千野が演じる直義は、きっと今回のキャストの中で一番難しい役だ。だからこそ、千野とはこれから、話さなきゃならないことがいっぱいあると思う。


 こういうのは先手必勝、言ったもん勝ち、やる気アピールして、とにかく早めに関係修復を図ろう!

 よし! って心の中で気合いを入れて、駆け寄って千野のジャージの裾を掴んだ。


「ねぇっ、今から一緒に弥生の台詞考えよっ?」


 振り返る不機嫌そうな千野が、静かに口を開く。


「水月はその前に、やるべきことがあるだろ」


 役の気持ちを考えるのは好きだし、得意だし、それなら張り切ってやれそうだよ、私!


「でも、これ、明日までの宿題だし、いつもみたいに千野と色々話したい!」


「演出の水月への宿題だろ。俺に聞くな」


 ……何、その言い方。

 さすがに、さすがに今のは傷付いた。


「何で……? 演出って、誰にも相談しちゃいけないの?」


 奥歯をグッと噛み締めて、鼻奥からツンと溢れそうになる感情を押し留める。


「なら聞くけど。水月の『絶対』は、今のままで叶うって心の底から思ってんのか?」


「何、絶対って……」


 ヤバイ、声掠れる。

 でも、ここで泣いたら本当のケンカになっちゃう。


「……は? 信じらんねー。それ忘れるって、マジあり得ないから。演技なら今すぐ許す。本当は覚えてんだよな」


 演技じゃない。でも、ゆっくり考える余裕もない。


 千野が燃えるような目で責めてくる。忘れるのは許さないって、その色が語る。それでも、黙って唇を結ぶ私に、千野がため息と呆れた笑いを同時に漏らした。


「昨日からの態度、だからかよっ。今の水月、ホント最悪だな!」


「お疲れさまでした!」って、誰に向かうともなく、一度だけストレス全部吐き出すように言い残し、千野が視聴覚教室を後にする。


「何、今の? 珍しい」

「千野くんとケンカでもしてるのぉ?」


 あんな喉痛めそうな声の出し方する千野は、初めてかもしれない。それほど大事なことで、致命的に怒らせたんだ。

 だとしても。


「分かんない……っ」


 それなら一言、教えてくれればいい。


 千野の開けた出入り口ドアから、軽快な吹奏楽の合奏が響く。高校野球の試合でよく聞く応援歌だ。

 私の心には今、一つも届かないけれど。


 若葉と羽美の心配声に、私は情け無い声で返すしかなかった。

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