最終話

 空間が、自分が、ぐにゃりと音も立てず曲がった。えもいわれぬ痛みと、多方面からくる空間の引力と反発力の気持ち悪さに良輔は呻いた。


 とうとう来たか。これも予想されていた1つ。私自身が調整対象になること。


 意識が混濁し、飛びそうになるのを堪え、タイムマシンまで這いずり向かう。何とか乗り、起動スイッチを押そうとする指が、歪んだ視界に指が定まらない。


「この時間の歪みをここで超えなければ、加奈を助けられない」


 良輔は叫び、走馬灯のように現れては消える加奈の思い出を見ながらスイッチをなぞり、押した。そして同時に、意識を失った。


 気がつくと、良輔は部屋に戻っていた。


「・・・何とか逃げ切れたか」


 そう呟き、立ち上がろうとするとよろけて倒れた。かなり体に負担がかかったようだ。そして再び起き上がろうとした時、またよろけた。

 良輔はごろんと仰向けになり、大きく息を吐いた。ただでさえ歳をとっているのに、あの衝撃は体に堪えたのだ。


「思えば加奈があの時・・・」


 あの時?と良輔は思った。

 あの時とはどの時だ?と慌てて言葉を繋ごうとする。


「ほら、あの時、暴走車にぶつかったときから・・・」


 加奈のきっかけを言えた事に安堵したが、何か違う気がしてならない。

 暴走車とは、何だ?今、私が言った言葉はなんの事だろう。

 良輔は途轍もなく不安になった。

 おそらく今自分に起こっていることは歴史の揺さぶりだ。恐らく、私は歴史に取り込まれようとしている。


 それはまだダメだ。加奈を助けるまでは。


 良輔は近くの紙を手に取り、ふらつく指で書きなぐった。


 ー8/18 かな じてんしゃ のってしぬ わすれるな かな まもれ ー


 そしてそれを握りしめると、タイムマシンになだれ込んだ。

 もう私にも時間がないらしい。早く行って加奈を助けないと。このまま記憶をなくすと、私は加奈の父親がわりのおじさんとして、加奈の死体を見送る人生できっと終わる。


 それを選んではいけない。


 タイムマシンが稼働を終えると、良輔は自動帰還モードに切り替えた。これで次元収縮は避けられる。後は間に合うように帰るだけだ。たとえ帰れなくなったとしても・・・。


「帰る?どこに帰るんだ?」


 自分の家に?それはどこだ?


 違う。

 今はそんなことはどうでもいい。

 今は加奈のところに帰るんだ。急いで、今すぐに。良輔は車に乗り、加奈の家に向かった。ただでさえ歴史の揺さぶりに体調を崩しているためか、車を運転する事は苦痛だった。加奈の家に近づくにつれ、また徐々に視界が霞む。


「まだだ。まだ諦めるな」


 握ったハンドルに力が入る。


「もうすぐだ。そこを曲がれば、見える」


 異常なほど重く感じるハンドルを左に切ると、そこには自転車に乗ろうとしている加奈が見えた。こちらを見て驚いている。


 まずい。


『このままでは、私が、加奈を、轢く』


 なんという事だ。時間は私ごと歴史の歪みを正すつもりか。良輔は朦朧とする意識の中、左手に持つくしゃくしゃになった紙の一部が目に飛び込んできた。


 見えた文字はひとつ。


『まもれ』


 そばに誰かがいる気がした。

 誰かに守れと声をかけられた気がした。

 そしてその瞬間だけ、良輔の意識が明るくなった。もっとハンドルを左に曲げろ、ブレーキが踏めないなら、足ごと離せ。歯を食いしばりながら、長く思えるその一瞬の中で、順番に体に伝えた。


 車の運転席のドアの横を加奈の姿が過ぎる。


 ---ああ、良かった。


「・・・うさん!お・・さん!!」


 加奈の呼ぶ声が聞こえる。

 揺さぶられる体に痛みが走った。


「お父さん!!目を覚まして!!」


 良輔は寝ぼけたように呟いた。


「加奈か、無事か」

「無事か、じゃないでしょ!お父さんこそこんな車の運転して!危ないじゃない!」

「そうか、良かった。それで、自転車に、乗るのか」

「自転車だって潰れてグシャグシャだよ!去年お父さんに買ってもらったのに!」

「今日は乗るな。死ぬ。また買ってやる。守れたお祝いだ」

「もう、死にそうだったのはこっちだよ。交通ルールも守れてない」

「そうか、すまんな」


 は、眠りに落ちた。


 2018年8月18日。

 の結婚式が始まる。


 遼太郎は朝からそわそわとしていた。

 教会で3人だけの式をすると決めたのは、他でもない加奈だった。新郎の良輔君もよく認めたものだと、驚いていた。

 ちょうど2年前のあの日、どうして私が彼の家の車に乗って加奈の家に行ったのか、説明がつかなかった。

 また彼、良輔も何故か気味悪がる事もなく、これも縁ですね、と許してくれた。後でもう一度聞いたが、彼もあの時はそうするのがすごく自然だと強く思ったらしい。

 私も、彼とはどこかであった気がしてならなかった。加奈が初めて彼をつれてきた時、この男なら大丈夫だと確信した。

そしてあの時の、あの事故の対向車の所有者だとわかり、私は平謝りをしたものだ。

 あの時、私の車だけで避けられたわけじゃなかった。彼の車が正面から当たって逸れてもいたのだ。


 今、私は加奈と一緒にバージンロードを歩き、良輔君に加奈の未来を託そうとしている。


 加奈の手を握りしめて歩き始めた。


 そして良輔君の前に立ち、遼太郎は話はじめた。


「良輔くん」

「はい。お義父さん」


 遼太郎は良輔を真っ直ぐに見つめた。


「加奈を幸せにしてやってくれ」

「はい。必ず」

「私ができなかった分も、だ」

「はい・・・? 加奈は、お義父さんと過ごせて、とても幸せだと」


 遼太郎は笑った。


「いいんだ。君なら必ず幸せにできる。私にも分からないが、何故か分かっているんだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私の時間が許すかぎり、君のそばにいたい やたこうじ @koyas

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ